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読書メモを公開。筒井康隆の主張でパニクったり、数学本のレトリックに感心したり。

再来月、生まれて初めて実店舗を出すのでそのための準備が大わらわである。明日は、シンクを階段で運ぶというタスクがある。業者任せにしないで自分で購入してしまったので、自分で搬入するハメになった。

シンクって手で持てるんですかね……。持つという発想がなかったけど……。


店を出す上で本質的な「コンセプトを考える」とか「運営システムを考える」とかそういうタスクに集中したいのに、「シンクを運ぶ」とか「前のテナントが残していった郵便物で破裂寸前の郵便受けを掃除する」とかの雑用が無限に湧いてきて、可処分時間を埋め尽くしてしまう。つくづく世界はブルシット・ジョブを量産する装置だなと思う。

そういうことで、「いかん!noteを書いている十分な時間がない!」と久しぶりに頭を抱えることになった。シンクを抱えたり頭を抱えたり、毎日色々なものを抱えて忙しい限りだ。


そういうワケで、新しくじっくり構成を考えるのは難しいので、過去の自分に頼ろう。昔の僕が書いていたものを再利用することにする。

具体的には、読書メモである。2年くらい前の自分がつけていた読書メモを公開しつつ、補足を書く形で一記事にしてしまおう。手抜きといえば手抜きなのだが、何といっても読書メモには本をじっくり読んだ叡智が籠もっているワケだし、読書メモを並べて分析することで、何か意味のある発見を導き出せるに違いない。お付き合いください。


数学序説


概要

1950年ぐらいに出た、「戦後もっとも使われた大学初等数学の教科書」。

2年前の僕はスノッブぶりたい気持ちがピークだったので、「大学の教科書で伝統があり、読み物としてもおもしろいらしい」というこの本に惹かれて読んだ。数学の根本的な復習をいつかやりたいと思っていたので、当時の僕にとってピッタリの本だった。

……はずなのだが、読書メモの様子はちょっとおかしい。


読書メモ

パスカルは「説得術について」で人を説き伏せるのに2つの方法があると言った。(p18)

①理詰めでとことん議論すること
②相手が気に入るものの言い方をすること

そして2は放棄した。パスカルのような言葉のプロも諦めている。示唆に富んだ話だ。レトリックや感情的な説得より、理詰めで人を説き伏せる方が楽なのだ。

初っ端から本題と関係ない「パスカルの逸話」に食いついている。この本は数学史の小話も交えながら数学の話を展開するのだけれど、僕はいきなり小話だけをメモしている。


次のメモがこちら。

ユークリッドの『原論』は聖書の次に読まれた書籍(p32)

またも細かい雑学である。数式を追って出てきた知見とかではなく、「聖書の次に読まれた本はユークリッド『言論』という小ネタに食いついた。多分、本の中ではユークリッド幾何学について数学的な話が展開されているはずだが、読書メモには何も残っていない。

そして、読書メモはこう続く。

医術の進歩とは名医というものをなくすことだ(p61)

この本、レトリックが上手い。いる幾何学の補助線閃きはダサい、だから解析が生まれた、というたとえ。

今度はレトリックに注目している。数学の話はやはり置き去りである。

どうやら、「補助線を閃けば解ける」→「ベクトル解析で誰でも解ける」みたいなパラダイムシフトのたとえ話として「医術の進歩とは名医をなくすことだ」という一文が出てきたようだが、パラダイムシフトの内容よりも「この本、たとえ上手いな~」という方に食いついている。数式の話は未だに出て来ない。


アラビアで書かれた「アルジャブルとアルムカーバラの計算の書」という代数学書があり、「アルジャブル」から'algebra(代数学)'という言葉が生まれた。(p77)

へええ。アラビア語由来で代数学か。意外。ギリシャ語じゃねえんだ。すごい。意外とアラビア語由来なの、「アルゴリズム」と同じパターンだな。

今度は語源に食いついている。いつになったら数式が出てくるんだ。



篤学の士はイスラム教徒に変装してイスパニヤの大学に遊学した(p79)

マンガみたいな話だ!コルドバ大学の講義に出席して『原論』の写しを入手したらしい。スパイ映画みたいで最高!

また小ネタである。次から次に雑学ばかり収拾している。

あと、「マンガみたい」でいくのか「スパイ映画みたい」でいくのか、どっちかにしてほしい。いつも思うままに読書メモをつけているので、まったく整理されていない。


読書メモは突然終わった

……以上、『数学序説』の読書メモはここで突如終わっている。80ページくらい読んで挫折したのかもしれない

結局、読書メモの中に数式は一度も登場しなかった。数式が出てこないのはもちろん、数式を追っていた形跡すらない。2年前の僕がこの本をどんな読み方をしていたのか、もはやさっぱり分からない。たしか「数学の復習になるなぁ」と思いながら読んだはずだ。つまりそれなりにちゃんと数式も追ったはずだが、それは何の発見ももたらさなかったのだろうか。僕に刺さったのは小ネタだけなのだとしたら、とても悲しい話である。


筒井康隆『創作の極意と掟』


概要

筒井康隆の創作論が詰まった本。「凄味」とか「色気」とか「表題」とか、色々なトピックを章立てして、創作論を書いている。
(※「凄味」や「色気」と「表題」はレイヤーが違う気がするが、筒井康隆御大にそんな細かいツッコミをしてもしょうがないのでスルーしよう)

この本はかなりおもしろかったので、読書メモも割とボリュームがあった。抜粋して紹介したい。


読書メモ

”その正当性があまり正当でなく、ちょっとズレていたりした場合の方が凄味が強く出る。わたしの感覚は正しいと主張して少しまともではない感覚を表現する方があきらかに凄味があるのだ。(Kindle位置63)”

「凄味」の章より。僕もこれは超共感する。ズレている人が「私の感覚が正しい!」と言っているのは凄味があるもんな。

普通の穏やかな読書メモだ。


”逆に言うなら自分の考え方すべてに自信満満という人の書いたものには、まったく凄味がない。なぜ自信満満なのかというと、その考え方が誰にでも受容れることのできる凡庸な、陳腐極まりないものであることが多いからだ。それこそがまさに良識のつまらなさであり、普遍的な価値観の退屈さであり、自動的な思考の馬鹿らしさなのである。(Kindle位置74)”

めちゃくちゃ良い。普通のことを堂々と主張する人(○○さんとか)に対して使える煽りとして非常に有用だ。引用メモに入れておこう

と思ったら、実名が出てきた。「○○さん」のところには思い切り知人の名前が入っていた。穏やかじゃない。知人をバカにするためのフレーズを引用メモに入れるな


色気の章については、よく分からなかった。何言ってるのこの人?

「色気」の章がよく分からなかったらしい。それどころか、「何言ってるのこの人?」とまで言っている。まったく、2年前の僕はしょうもない存在だ。作家としての経験も薄い、筒井康隆の主張する「色気」を介さない朴念仁である。

この2年間で成長した僕は改めて、『創作の極意と掟』の「色気」の章を読んでみた。

そしてここでも「死」が色気と密接にからみあって現れる。散歩の途中でふと動物の死骸に遭遇したり、森の中を死に場所に選んだ女性の白骨死体などが作者に死を思わせ、彼女自身のことばによれば、「すぐ傍らに死があるから『いまの瞬間』をこのうえなく美しく感じたのだろうし、書いている幸福感を感じることができたのだという思いがこみあげてきた」というのである。これこそがすべての作家の持つべき感情ではないだろうか。そこにこそ小説としての色気があると筆者は言いたいのである。また、作者自身の色気でもあると言いたいのだ。

筒井康隆.創作の極意と掟(講談社文庫)(Kindleの位置No.164-169).講談社.Kindle版.

「死」は色気と密接にからみあっているらしい。散歩の途中で動物の死骸に遭遇して死を思い、幸福感をおぼえた。そしてそれこそが小説としての色気であるし、作者自身の色気でもある。何言ってるのこの人???

2年前の僕がよく分からなかったものは、今になっても分からない。「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉があるが、僕は2年会わなくても刮目して見なくていい。何も変わらない。


「破綻」の章、めちゃくちゃおもしろい。半村良『虚空王の秘宝』に対する筒井康隆の解説がすごい。読まずに解説を引き受けちゃったけど、後から破綻している作品だということを知った。で、「これ破綻してる作品だよね」と書くワケにはいかず、なんとか誤魔化した文章。

”われわれSF出身作家には、とても手に負えないとわかっていながら敢えて挑戦するという共通の傾向がある。(中略) そのため連載が中断したり、ついには未完に終わるという場合すらある。これを許してくれるSFの読者は、やさしいというよりむしろ、作家がそれほど巨大なテーマに挑戦すること、そのこと自体を壮大な思考実験である証左として歓迎する向きがあるのではないだろうか。(中略) 批評家による常套的な批評であれば単純に『この作品は冒頭の大風呂敷を処理しきれずに破綻している』と書かれることはまず間違いのないところだ。しかしわれわれ同業者つまり作家としては、また一般読者としては、小説の面白さを決して予定調和に終る作品にのみ見出すのではない”

「物は言いよう」を上手くやっていてすごい。「これ破綻しとるやんけ!ラストがグダグダだ!」と思いつつ、「何とかそれらしい解説を書かねば」と思った筒井康隆の心境を思うと味わい深い。

「破綻した作品です」と言わずに解説を成立させることができるのも、筒井康隆御大の実力だろう。見習っていきたい。


裁判百年史ものがたり


概要

この本はかなりおもしろかった記憶がある。極上の筆致で歴史に残る超有名裁判をめぐる物語をいくつも描いた本。ひとつひとつの裁判がすべてドラマチックで超おもしろいのに、通して読むことで日本における法廷の歴史まで概観できるという奇跡みたいな本だった。

これだけ素晴らしい本なんだから、読書メモにもたくさんの感動が残っているに違いない。


読書メモ

玉川正警視、「正警視」っていう役職が昔はあったのかな?と思ったら、「正」って名前か。ややこしっ。フルネームで表記しないでくれや(Kindle位置1787)

くだらない。メモするほどのことか。「警視正」という役職が実在するせいで「正警視」という文字列が役職に思われてしまった、というくだらない話をメモしている。もっと他に書くことあるだろ。

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