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スピリチュアリズムの歴史を知っておけばインフルエンサー志望をバカにするのに役立つ。あとキンコン西野サロンはラジオであり社会福祉。

つい先日、イケダハヤト氏に勇気をもらってメガバンクを辞めた方がいるらしい。


どうもこの女性はスキンケア系のインフルエンサーとして生きていこうとしているようだ。しかしまだフォロワーは100人程度で、明らかに会社を辞める段階にはないように思える。副業でもうちょっと結果を出してから辞めたらよさそうだ。


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(スクショ引用元:https://twitter.com/Maaai260

しかしそれでも、彼女は辞めた。食っていく算段がないのに会社を辞められるというのはすごいことである。なかなかそんな無謀な行動はできない。

ではなぜ彼女はそんな行動ができたかというと、「イケハヤさんのTwitterに勇気づけられ」たからだそうだ。なるほどなるほど。世界はそれを蛮勇と呼ぶんだぜ


蛮勇(バンユウ)
事の理非や是非を考えずに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。

デジタル大辞泉より引用)



こういう人は例外なく性格の悪いネット民のおもちゃにされてしまうので、彼女のツイートには大量の「あちゃ~!やっちゃいましたね!騙されてますよ!」的なリプライがたくさん飛んできた。

そして、彼女はメンタルをやられてツイートを消していた。


会社を辞める蛮勇は与えられても、批判コメントに耐える勇気は与えられていないらしい。

このメンタルの弱さではインフルエンサーにはなれないと思うので、ぜひイケダハヤト氏からもっとたくさん勇気をもらった方がいいと思う。彼女の今後の健闘を祈りたい。


さて、ちょっと前までは僕も「フォロワー100人のヤツがイケハヤ氏から勇気をもらって辞めたのか~、独立に必要なのは勇気とかじゃなくて軽薄な言説を真に受けない知性だと思うけどな~」などとストレートにバカしていたのだが、最近はもうこういう人を見るのが食傷気味で、ストレートに味わえなくなってしまった。


何かでキミをバカにしたいんです

そうはいっても、せっかく蛮勇サンボマスターを見つけたので何かにかこつけてバカにしたいところだ。何かでキミをバカにしたいんです、そういう気持ちになっている。高まれよ嘲笑の可能性


そこで、ちょっと視点を変えてみることにした。今日はスピリチュアリズム(心霊主義)の歴史について考えてみたい。

というのも、実は「スピリチュアリズムの歴史が分かればインフルエンサー志望の本質も分かる」のである。


スピリチュアリズムの歴史とインフルエンサー志望

スピリチュアリズム(心霊主義)とは、ザックリ言うと霊と交信できるとする考え方のことだ。細かい定義は色々あるが、今日は踏み込まないでおく。

スピリチュアリズムの歴史は長い。人類が本格的に心霊との交信を始めたのは、19世紀半ばのことである。実に150年以上昔だ。

「スピリチュアリズムに傾倒する人」と「インフルエンサー志望の人」は時代もやっていることも全く違うので、一見なんら関係ないように見える。

しかし、そうではない。人間の愚かさは150年前も現代も全く変わらない。「歴史を学べば、人間は歴史から何も学ばないことが分かる」と言ったのはヘーゲルだが、彼は実に正しい。19世紀にスピリチュアリズムの中で起きたことが、現代のインフルエンサー志望の中でも起きている。


そして、スピリチュアリズムの歴史を知っておけば、しょうもないインフルエンサー志望とその関係者を見た時により楽しくバカにできるようになる。

例えば、こんな悪口を使えるようになる。「貧民墓地に埋葬されそう」「タップダンスに騙されちゃった人だ」「商魂と交信するタイプの霊媒師だ」「お前の家、まだラジオ普及してないの?」などなど…。

そういうことで、今回はスピリチュアリズムの歴史を駆け足に見つつ、インフルエンサー志望界隈との類似性を指摘する。

150年前のスピリチュアリズム信者と現代のインフルエンサー志望者は本当に驚くほど似ている。この歴史に学ばない人たちの世界を、ぜひ堪能してもらえればと思う。


スピリチュアリズムを誕生させた2人の姉妹

スピリチュアリズムの萌芽は、1847年、ニューヨーク州の片田舎から始まる。全てのきっかけは、2人の幼い姉妹だった。ケイト・フォックスとマーガレット・フォックスの2人。ここではフォックス姉妹と呼ぶことにしよう。

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(画像引用元:https://www.nazotoki.com/fox.html


両親と一緒に、田舎の小さな家に引っ越してきたフォックス姉妹は、とあるイタズラを思いつく。「リンゴにヒモを結びつけて、ラップ音を遠隔で出せるようにしよう!」。子どもらしい無邪気なイタズラである。

夜、一家がベッドに入って明かりを消した後、姉妹はリンゴに結んだヒモを操る。リンゴは床に落ちたり壁にぶつかったりして物音を立てる。そして姉妹は言う、「なにこの音!?怖い!幽霊じゃない?」と。

このイタズラを真に受けた両親はすっかり狼狽し、「この家には幽霊がいるのだ」と信じ込むようになった。イタズラ好きの姉妹にとっては楽しくてしかたない展開である。彼女たちはどんどんエスカレートし、続々と新手法を開発しながら、あの手この手で幽霊を演出していった。


彼女らが開発した手法の中で最もインパクトの大きかったのは、「霊との交信」というものである。これがスピリチュアリズムとして世界を席巻することになるとは、本人たちさえも全く予想していなかっただろう。

フォックス姉妹は霊に対して「イエスなら1回、ノーなら2回床を叩いて欲しい」という要領で質問をしていく。すると見事にやり取りが成立した。(自分たちで音を操っているのだから当然だ)

しかしこの「霊と交信できる」という現象は一大センセーションを巻き起こす。「私も霊と交信したい!」という何百人ものミーハーがフォックス家に集まってきて、多くの人は実際に霊との交信(というか、少女との交信)に成功した。


姉妹のメンタルはすごい

「この家には幽霊がいる」という事実が大量の人によって確認されてしまい、フォックス姉妹の両親はとんでもないストレスを感じるようになった。

家に幽霊がいる(しかもそれを見に来る何百人ものミーハーもいる)というのはすごいストレスらしい。母親は心労により髪が白くなり、父親は仕事が一切手につかなくなった

それでも、心霊現象は終わらなかった


僕はこの話を聞いたとき、「いや、姉妹のメンタルどうなってんの???」と思った。


想像して欲しい。あなたは子どもで、最初は軽いノリで「幽霊が出るドッキリ」を両親に仕掛けたとする。

しかし、そのドッキリは上手くいきすぎてしまい、自宅へ何百人もの人がひっきりなしに幽霊と交信しにくるようになった。

あなたはこの時、どう思うだろうか。「ヤベッ、軽い気持ちでイタズラしたら大騒ぎになっちゃった。もうやめよう」と思うのではないだろうか。そして、「ドッキリでした~!」と打ち明けるか、あるいは段々幽霊が出ないようにして有耶無耶にしてしまうのではないだろうか。僕もそうすると思う。どう考えてもこのドッキリはもう幕引きの時である

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だがこの姉妹はそれをやらなかった。何百人という大人をずっと騙しながら幽霊のフリをし続けたのである。

それだけではない。あるタイミングで、両親は目に見えて消耗し始める。母親の髪はたった数ヶ月で白くなり、父親は仕事ができなくなる。それでも姉妹はイタズラをやめない

これはもはやイタズラ好きとかそういうレベルではない。「母さんの髪、白くなってきたなぁ~。まあ、幽霊ドッキリは続けるけど」という発想は常人のそれではない。サイコパスだ。ドッキリサイコパス姉妹


メガバンクを辞めた蛮勇サンボマスター氏が見習うべきは、このメンタルの強さだと思う。Twitterでちょっと批判されただけでツイートを消しているようではいけない。母親の髪がストレスで白くなってきても気にせずにドッキリを続けるくらいでないといけない。

アインシュタインは「結果というものにたどり着けるのは偏執狂だけである」と言ったが、フォックス姉妹はまさにこれを体現している。

両親が心労でとんでもないことになってもドッキリを続ける偏執狂っぷりこそが、スピリチュアリズムの創始に繋がった。


霊界と人間界の媒介は”お金”

無邪気なかわいいフォックス姉妹のイタズラは、次第にビジネスとして機能するようになった

彼女らの交霊術は大人気を博し、アメリカ全土・ヨーロッパ全土を巡る交霊ツアーなども行われた。どこに行ってもチケットは即日完売だった。ビートルズみたいな世界観である。


面白いのはここからだ。「霊と交信できると儲かる」ということが発覚するやいなや、「オレも霊と交信できます!」という人が1万人以上いきなり出現した。人間とは本当に図々しい生き物である

しかし僕はこういう商魂たくましい人たちの人間模様を見るのが嫌いじゃない。「おっ、霊と交信すると儲かるのか!んじゃいっちょ霊と交信しちゃうか!」というスタンスは清々しさすらある。

彼らが交信している相手は霊魂ではなく商魂なのだが、そのあたりの区別は消費者には難しすぎたようだ。ビジネスチャンスに乗っかった商魂霊媒師たちもかなり人気を博し、1859年にはスピリチュアリズムに関して500を超える書籍と30を超える雑誌が出版されていた。出版物が少ない時代においてこの盛り上がりはまさに一大センセーションと言っていい。


スピリチュアリズムの盛り上がりは、バブル経済にそっくりだ。実態はないのに、それ自体が好循環でどんどん加速していく。

①「儲かるから」という理由でたくさんのエセ霊媒師が出現し、その様子が出版される
②消費者はその情報にたくさん触れるから「これだけたくさんの人がやってるんだからきっと本当なんだ」と考えてスピリチュアリズムに傾倒する
③スピリチュアリズムが更に盛り上がり、霊媒師はより儲かるようになる→①に戻る


結局、霊界と人間界を媒介したのは金であったと言える。資本主義社会においては、儲かるのならば死者も口を開く。文字通り「地獄の沙汰も金次第」なのだ。


真実を明るみに出すのは”貧困”

人間を霊界と繋げたのが「お金」だったとするなら、我々を真実と繋げたのは「貧困」だった。

最初に交霊を行ってから40年の時が流れ、フォックス姉妹は苦しい状況の中にいた

なぜなら、霊媒師が出現しすぎて市場は過当競争に陥り、稼ぐのが難しくなったからだ。市場原理は残酷である。


その結果、フォックス姉妹は酒浸しの毎日を送ることになる。母親の髪が白くなっていくのには耐えられても、金がなくなるストレスに耐えるのは難しい。資本主義社会とはそういうものなのかもしれない。

そして姉妹はとうとう覚悟を決める。40年越しのネタバラシをすることにしたのだ。

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姉妹は、1500ドル全ての真実を売った。ニューヨーク・ワールド紙に全てを告白したのだ。最初はリンゴを使ったかわいいイタズラだったこと、続ける内に徐々に洗練された方法を開発していったこと、脚の筋肉を鍛えて、脚をほとんど動かさずにかかとでラップ音を出せるようになったこと……。

すごい事実である。フォックス姉妹は「見た目には脚を全く動かさずに、人間離れした速度で床から音を出すことができた」そうだ。霊媒師としてはイカサマだが、変わり種タップダンサーとしては超一流だ。スピリチュアリズムに騙されていた人は皆、タップダンスに騙されていたのだ。


そんな巧みなインチキを開発してきた彼女らは、ニューヨーク・ワールド紙上でこう語っている。


スピリチュアリズムは、最もたちの悪いいかさまです……完全に抹殺されてほしい


なんで他人事みたいな言い方なの???

自分のイタズラから世界中に広がったのに、なぜか「完全に抹殺されて欲しい」と被害者ヅラしているのが面白ポイントである。

どのツラ下げて言ってんだアワード作品賞ノミネート作品だと思う。


「インチキ暴く芸人」として巻き返しを図るが……

さて、ネタバラシをしてしまったフォックス姉妹はもう霊媒師としての食い扶持を得ることはできない。

彼女らが選んだ新しい仕事は「スピリチュアリズムのインチキを暴く芸人」であった。「トリックの実演会と解説」を色々な都市でやって回ることにした。これで再び人気を博すことができると思ったようだ。

この路線変更は一見、正解に思える。「皆が王道に飽きてきた頃に、逆張りを始める」というのは現代でも十分に成立するすごく正しい戦略だし、上手く行けば何百万というスピリチュアリズムの信者たちの目を覚まさせて丸ごと自分たちのファンにできる

しかし、人生はままならない。「インチキ暴く芸人」への転身は大失敗に終わった


失敗の最大の要因は、ほとんどのスピリチュアリズム信者が真実を暴露された後もずっとスピリチュアリズム信者であり続けたことだ。

なんと、創始した本人たちがウソだったと認めているのに、ほとんどの信者はそれを認めなかった

「お前らはニセモノかもしれないけど、他の人はホンモノ!」という姿勢ならまだ分かるが、「いや!お前らが何と言おうが、お前らの能力はホンモノだ!」という姿勢の人も結構いたらしい。本人ガン無視。驚異的なメンタルの強さである。スピリチュアリズムを信じる人はメンタル強くなりがちなのかもしれない。メガバンク辞め蛮勇サンボマスター氏はスピリチュアリズムを信じたらいいのかもしれない。


結局、スピリチュアリズムに傾倒する人は現実を見たくなかったのだ。皆騙されていたかったのだ。だから、「インチキ暴く芸人」に需要などあろうはずもない。トリックの実演会のチケットは全然売れなかった

この状況について、マジシャンのジョン・マルホランドはこう述べている。

インチキには喜んで金を出す人々が、教育を受けるためには財布のひもをゆるめないのだ。

悲しい話だが、実に正鵠を射た表現だ。この状況は150年経ってもほとんど変わっていない。堀江貴文イノベーション大学に毎月1万円の学費を払う人が、1万円の学術書を買うことはない


ちなみに、「インチキ暴く芸人」への転身に失敗したフォックス姉妹は、結局またすぐ撤回して霊媒師に戻った。「あの記事の内容はウソです!」と喧伝して、再び交霊会をやっていたらしい。どのツラ下げてやってんだアワード最優秀賞の受賞は間違いない

再び交霊会をやっても、当然ながらファンは以前よりも減ってしまい、収入もかなり厳しいものになったようだ。フォックス姉妹はアルコール中毒になりながら貧民墓地に埋葬されるという悲惨な末路を辿る。「悪銭身につかず」を地で行った形だ。詐欺師の末路はこんなものだろう。


なぜ信者の目は覚めたのか

それにしても、「創始者が否定しているのに信者は誰も目を覚まさない」というのは非常に面白い現象だ。

こうなってくるともはや信者の目は一生覚めないような気がする。死ぬまでスピリチュアリズムを信仰していくしかないのではないか。

直感的にはそう思うのだが、実はそうではなかった。1920年頃から、スピリチュアリズムは急速に衰退した

そのきっかけは実に意外なものである。



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ラジオだ。


ラジオが普及したことによって、人々は退屈な夜を過ごさなくてよくなった。結局、皆がスピリチュアリズムに夢中になっていた最大の理由は”退屈”だったのだ。ラジオ普及前は死者のメッセージくらいしか聴くものがなかった。

死者のメッセージはラジオに比べて大いに問題がある。霊を呼べるかどうか不安定だし、解読が難しいし、しかも情報は不正確である。コックリさんで呼んだ霊の賢さは参加者の賢さを越えない。

ラジオはもっとずっとすごい。電源を入れてチューニングすればいつでも安定して面白い正確な情報が聞ける。死者のメッセージに勝てないところがほとんどない

そういうことで、ラジオの普及によってスピリチュアリズムはあっさり駆逐されてしまった。本人が否定しても目を覚まさなかった信者は、ラジオによってあっさり信仰を手放した。


つまり、彼らにとって大切なのは、真実かどうかではなく、退屈かどうかだったのだ。

「スピリチュアリズムはイカサマだから捨てろ!」と言われても、彼らは信仰を捨てることはできない。夜が退屈になってしまうからだ。

だが、「はい、ラジオ」とラジオを与えると、彼らは勝手に信仰を捨てる。死者のメッセージよりも面白いものがあればそっちを聴くからだ。


プラグマティズム(実用主義)という考え方がある。ざっくり言うと「真理かどうかは、実践した時に得するかどうかで決まる」みたいな考え方だ。

スピリチュアリズムはまさにプラグマティズムによって支えられていた。真っ赤なウソだったが、信者にとっては夜の退屈を埋めるために有用だったので真理だったのだ。


今も昔もアホの行動原理は変わらない。彼らは「正しいかどうか」などという面倒なことは考えず、今ある欲求をとりあえず満たしてくれるものを望む。


ここから有料。実例をあげながらインフルエンサー志望の愚かさに触れたい

以上、長々とスピリチュアリズムの歴史を見てきたが、いよいよここから本題に入ろう。

ここからは、僕が出会ったしょうもないインフルエンサー志望の実例を挙げながら、彼らの愚かさについて書いていく。そして結論として、キンコン西野サロンはスピリチュアリズムにおけるラジオと同じ役割だし、現代における社会福祉であるという論を展開する。今まで僕は散々西野サロンをバカにしてしまったが、これは必要な存在だったのだ。

ということで、以下有料である。単品購入(300円)もできるが、定期購読(500円/月)がオススメだ。いつ入っても今月書かれた記事は全部読める。8月は5本更新なので3倍オトク。


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