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僕が見たメンヘラ理系男子たち。あるいは通過儀礼としての痴情のもつれ

「遊べるのは大学生のうちだけ。学生時代は遊んでおけ」というアドバイスをするオジサンがよくいる。

僕は個人的にはこのアドバイスが嫌いである。大学生は勉強した方が良いし、大学生に戻れるなら僕は遊ぶ時間を減らして勉強する。「学生時代は勉強しておけ」というのが正しく、真実の教えだと思う。

では「学生時代は遊んでおけ」というアドバイスは間違いだから駆逐されるべきかというと全くそんなことはなく、むしろそこそこ言っていくべきである。

なぜなら、「学生時代は遊んでおけ」という言葉は【方便の教え】として優れているからだ。

世の中には、【方便の教え】と【真実の教え】が存在する。典型的な例はこうだ。

方便の教え: 人を見たら泥棒と思え

真実の教え: 世の中には善人も悪人もいる。騙されないために、人を見抜く目を持ちなさい。

言うまでもなく、「人を見たら泥棒と思え」という教えは真実ではない。世紀末じゃねえんだから。

(引用元:「北斗の拳」)

ケンシロウは多分「人を見たら泥棒と思え」でやっているだろうが、僕らはそうではない。これは真実ではないのだ。

真実の教えは、「善人も悪人もいるのだから、適切に見抜きながらやっていこう」ということになる。しかしこれは、「それができれば苦労しない」的な話であり、教えとしては機能しないのである。

だから、方便の教えが生まれるのだ。「とりあえず人を無作為に信じるよりは疑った方がダメージが少ない」ことから、「人を見たら泥棒と思え」が生まれる。

正しくはないのだけれど、能力がない人にはこう教えておいた方が役立つ

そういう場面は腐るほどある。というか、ほとんどの教育課程も”方便の教え”を採用している。例えば、中高生の化学の教科書は未だに原始的なラザフォード模型によって原子の構造を説明している。

(画像出典元:http://ne.phys.kyushu-u.ac.jp/seminar/MicroWorld/Part2/P25/Rutherford_model.htm

原子核の周りを電子の粒が回っている」という牧歌的な説明は厳密には正しくない。電子は確率的にしか存在せず、粒子として回っていたりはしない

ではなぜこの正しくないラザフォード模型が使われるのかといえば、分かりやすいからである。量子論を知らない高校生に説明するには、ラザフォード模型のシンプルさがうってつけだ。正しくないけど、とりあえずこれで理解しておこうという教え、すなわち、方便の教えである。

教育において正式採用されていることからも分かるように、方便の教えは価値がある。真実を理解する能力がないものには、方便の教えを与えておくべきなのだ。

話を「学生時代は遊んでおけ」に戻そう。僕はこれを真実だとは思わないが、方便の教えとして悪くないと思う。

真実の教え「学生時代はとにかく勉強しろ」を伝えたところで、どうせ大半の学生はできないからだ。主体的な本当の”勉強”は難しい。

興味あるテーマを探し、文献を当たり、実地調査をしたり、アウトプットをし、仲間を作り、実験プロジェクトを立ち上げて……そういう意味のある”勉強”をするためにはかなり頑健な知の基礎体力を必要とする。

ほとんどの大学生は知の基礎体力がない。彼らにとっての勉強とは、”与えられたカリキュラムに沿う作業”であり、主体的に動き回るものではない。

したがって、「とにかく勉強しろ」と言われたところで、ほとんどの大学生は本当の意味を理解できない。せいぜい、与えられたレポートを一生懸命書くのが関の山である。

大学生にもなって、与えられたカリキュラムを漫然と一生懸命やるのだ。受験勉強の延長である。これは一番愚かしいことだ。与えられたカリキュラムを漫然とやるくらいなら、ずっと合コンをしている方がいい。

そう、「勉強しておけ」という教えは真実なのだが、主体的に勉強する能力がない人にはかえって毒になる。能力がない人には、「遊んでおけ」の方が適切な教えなのだ。

上位1%の人は主体的に勉強できるからいいのだけれど、99%はそうではない。99%の人は「勉強しろ」というアドバイスを真に受けたところで、受験勉強の延長のようなことしかできない。

受験勉強の延長は楽しくない上に、やってもあまり役に立たない。一方、「遊ぶ」のは、今後の人生でそれなりに役立つ

通過儀礼としての「痴情のもつれ」

人間関係がそれなりに固定されていた高校生と違って、大学生はずいぶんと自由だ。関わる人間の数は爆発的に増え、人間関係には多様なラベルが貼られることになる。

すると、今までの人生では考えられなかったような多様な人間関係のトラブルが発生する。特に、爆増するのが「痴情のもつれ」である。大学生になるとセックスはずいぶん身近なものになり、それに伴った悲喜こもごもが生まれるのだ。

思うに、オジサンの「学生時代は遊んでおけ」の8割くらいはこの「セックスに伴う悲喜こもごもを若いウチにやっておけ」というメッセージであるような気がする。

というのも、この悲喜こもごもを体験してこなかった結果、大変なこじらせ方をする人がたくさんいるのだ。具体的には、「メンヘラ理系男子」が生まれる。
※多分、理系に限らないし男子にも限らないのだけれど、単に僕の観測範囲にいっぱいいたのが理系男子だったのでこう表現している。

メンヘラ理系男子にならずに済む」という程度の意味で、痴情のもつれを経験しておくことは人生の役に立つ。

だから、主体的に勉強できない99%の学生はせめて「遊んでおけ」ということになる。今ダラダラしてる勉強できない大学生諸君、ダラダラしてるよりは痴情をもつれさせよう。

さあ、お待たせして申し訳なかった。今日は「僕が見たメンヘラ理系男子」の話をしていこう。

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