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官能小説のススメ、、、笑

 地面に落っこちてしまったバニラアイスのような格好で猫が溶けているほど暑い夜、僕は一緒に歩いていた友達から興味深いことを聞いた。

「インターネット上のトラフィック(通信されているデータ量)の10%〜20%くらいはエロサイトのものらしいよ」

 なるほど、と僕は思った。その上で、「じゃあ、noteにエロ系の記事を書いたって社会通念上、許されるのではないか」と考えた。(いったい誰が文句を言いに来て、誰が許してくれるのか知ったことではないが)

 さらに申し上げれば、「小説を100冊ほど読んだなら、そのうちの10〜20冊くらいは官能小説でいいじゃないか」と思いさえした。そして、家に帰ってからキンドルの本棚や物理的な本棚を眺め、小説の冊数を数えてみた。やや官能小説の割合がインターネット上のトラフィックから算出される標準よりも多いのだが、それは僕が若い男であることを鑑みれば許される範囲だろう。(だから、いったいどこの誰がそのことで僕を糾弾し、許容するというのだ?どうしてそんなことを思ってしまうのだ?笑)

官能小説のススメ、、、笑

※全体を通して、男性向けにやや傾いてしまった文章になっていますが、もちろん、女性にもオススメです。

 大抵の男は定期的にマスターベーションを行う。(そこには良いも悪いもない。ただの現象に過ぎない。りんごが木から落っこちるように。あるいは、水が低きに流れるように。)そして、今の時代、マスターベーションを行う男の大半はエロサイトを使用する。(特に動画に頼る人が多いだろう)

 僕は、「大抵の男」の例には漏れない。定期的なメンテナンス&リリースを行っている。しかし、その際に使用するツールはやや珍しいものだろうと思う。(僕は自分と同じ方法を選択する人にこれまで一人しか会ったことがない)

 僕がマスターベーションに使用するツールは「官能小説」である。それは、僕が文字で表現された空間に強い臨場感を感じるからだろうと思う。だからこそ僕は小説を書くし、読む。プロフィール欄を見ていただければ分かると思うが、僕はフランス書院官能大賞(官能小説界ではもっともメジャーな賞なんじゃないかな?)の一次選考を通過したこともある。通過率は8%程度。生まれて初めて書いてみた官能小説でそんなことになってしまい、僕は驚くと同時に自分に対して少々呆れてしまった。

 ここから先は、マスターベーションに官能小説を使用することのメリットのみを書き連ねていく。もう一度言う。メリットのみだ。なぜなら、ほとんどの人たちは官能小説にデメリットのみを感じているが故に、あまり手に取ったことがないのだろうと思うからだ。

官能小説のいいところ1

 まず、人の認識に関わるあるテーゼを受け入れていただきたい。それは、「人は、欠落している情報を自分に取って都合の良いデフォルトで埋める」というものだ。

 例えばテレフォンペレーターのことを意識していただければわかりやすいかと思う。どういうわけか、テレフォンオペレーターにはあまり「ブサイクな人」がいるイメージがない。それは、我々が相手の「声」に関わる情報しか仕入れることができないので、外見は自分に取って都合の良いデフォルトで埋めてしまうからだろう。

 あるいは、「マスク美人」「マスクイケメン」という言葉について考えてみてもいいかもしれない。ほとんどの人は、マスクをしている状態の方が美しい人物だ、という印象を与えることができるだろう。なぜなら、マスクにより隠されている相手の顔のパーツを、我々は自分にとって都合の良い形で埋めて認識してしまうからだ。


 このように、我々は欠落している情報を、自分に取って都合の良いもので埋めていく、という性質がある。

 であれば、欠落している情報が多いほど我々が都合よく認識することのできる領域が広くなる。その際たるものが「小説」であると僕は主張したいのだ。

 例えば動画や静止画でもいいが、それらは欠落している情報が少ない。VRなんてその際たる例だ。(モザイクみたいなので肝心の部分が抜け落ちていたりはするけれども笑)
 だからこそ、「都合よく埋めることのできる領域」が少ない。満足度も低くなるんじゃないかな?

 一方、小説は、ほとんど全ての物理情報が欠落している。相手の背格好、顔立ち、声、肌の温もり、、、そういったものを自分なりのデフォルトで埋めていくことになる。

「じゃあ、結局のところ、”妄想”が一番じゃないか、小説なんて読まなくていいじゃないか」

 そういう意見もあるだろうけれど、それには反論が可能だ。僕らは自己刺激を低減させてしまうという性質も併せ持つ。自分で自分をくすぐっても、くすぐったくない。叩いても痛くない。

 だからこそ、外部からの刺激は貴重だ。それが与えられた方が充実したマスターベーションになるだろう。その一方で、そうした情報は可能な限り欠落している方がいいのだ。

 上記が、官能小説のメリットの一つだ。(まだ他にもある)

官能小説のいいところ2

 他にも、官能小説には「内面描写が可能である」という大きな利点がある。心の動きをそのまま書くことができるのだ。そんなことができてしまう小説と比べれば、大抵の動画や静止画は外面描写のみに留まっている。僕に言わせれば、それは「粘膜同士の摩擦運動」に過ぎない。その摩擦のさせ方に様々なバージョンがあり、そこにはクリエイティビティを発揮する余地があるにはあるのだろうが、あまりない。あまりエロ動画を見ることのない僕ですら、「あ、同じやつ、もう見た」となってあくびが出てしまう。(あるいはスキップボタンを押す。)
 まれに「これはなかなか」と思うものに出くわしても、それはやはり「アクロバティックな組体操」にしか見えない。

 人の外面にはそれほど多くのバージョンがない。版で押したように、同じような美しさを持つ人たちが、同じような格好で、同じような摩擦運動をしている。その一方で、内面は多岐にわたる。そこには様々な予想外があり、心の震えがあり、時には感動さえもある。

 ぜひ、内面描写の豊かな官能小説を読んでみてはいかがでしょうか?

※ただ、時には外面描写にばかり拘った官能小説もある。それらは臨場感を高めようとするがあまり、内面描写を疎かにしてしまっている場合がある。そうした作品は僕もあまり好きではない。

 ※あるいは、ただひたすらに暴力的であるのみ、といった作品もある。そうした作品群には「暴走系」という札がついていたりする。それもあまりおすすめできない。

官能小説のいいところ3

 また(これで最後にしようと思うが)文字情報は、抽象的なものを(目には見えないものを)表現するのに向いている。例えば僕がもっとも好んでいる官能小説家の佐伯香也子先生はブログの中で自らの小説のテーマを「受容の享楽」と書いている。他者を丸ごと受け入れることそのものに深い享楽がある、と先生は言う。ジャック・ラカンを読みかじったことのある人なら、”享楽”と言うワードに反応するだろう。そう、これは「他者の享楽」に基づくものだ。
 そうした抽象的なものは、性的な興奮を妨げこそすれ、煽ることはないだろうという意見もあるかもしれないけれど、僕は「そうとも限らない」と断言しておく。むしろ、物理的な刺激の方に、僕は天井の低さを感じる。おっぱいの体積や、粘膜の摩擦運動の苛烈さがもたらす刺激には上限がある。(だって、いくら”大きい”方がいいとはいえ、東京ドームみたいなものがくっついてても困るだけじゃない?)

 抽象的な刺激の方がより天井が高いと僕は思っているし、そういったものを優れた官能小説は表現してくれていると思うのだけれど、どうでしょう?

おすすめの作品

 最後におすすめの作品をいくつか紹介しておこうと思う。

小川洋子『ホテルアイリス』
 繊細で美しい文章です。プロの作家さんはさすがだな、と思います。個人的な話ですが、僕は日本の現役女性作家の中では小川洋子さんの文章が一番好きです。


松崎詩織『くちづけ』
 短編集です。
 性的な執着を、そのまま生きることそのものへの執着と捉えて描いている『ナースコール』という短編が特に好きです。また、表題の作品も美しいラストです。


勝目梓『秘色』
 幾分、主人公のおっさんがひねくれていますが(いや、この小説の世界全体が不思議な歪みかたをしていますが)面白い作品です。インタビュー調の文章も語り口が洗練されていて、おかしみもあって、読みやすいです。サスペンスとして読むこともできるのかな?

深志美由紀『花鳥籠』
 映画化されています。
 高度に作り込まれた作品で、普通の生活を送っている限りは決して触れることのできないリアルを描いてくれています。感動もあります。(エンターテインメント小説として読んでも、あるいは純文学として読んでも十分に面白いかと思います。)

 本記事中に挙げた佐伯香也子先生の作品の中では『甘美な拷問』あたりがおすすめだが、タイトルから明らかなように、ずいぶんとハード・コアな内容なので初めて読む方にはちょっとキツすぎるかもしれない。もちろん、読んでみることは薦めるが、慣れない世界にドン引きして、離れていってしまうのはもったいないことだと思うので、あまり強くは推せないかな。(もちろん、客観的な利点を排すれば、僕はこの作家さんの作品を強く推したい。初心者の人にもオススメである。なぜなら、僕が官能小説を積極的に読むようになったきっかけは『甘美な拷問』だからである。)



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