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『飛龍伝2020』菅井友香が演じる前向きのマゾヒズム

『飛龍伝』である。

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とにかく自分は飛龍伝が好きすぎて、「若者たち」のイントロを聴くだけで鳥肌が立つぐらいである。なので、冷静にこの作品について語ることができない。でも冷静に語ろうがそうでなかろうが言ってることは無茶苦茶なので気にせず書く。

とはいえ上演機会はそう多くないので、これまで観たのはまず1994年の石田ひかり主演の舞台。続いて2003年の広末涼子主演の舞台。そしてつかこうへい没後最初の公演となった、2010年の北区つかこうへい劇団による舞台。

次が2013年の桐谷美玲主演の舞台。以来、6年半ぶりの『飛龍伝』となる。

どれもいい舞台だったが、2003年の広末涼子は別格だった。山崎一平役はもちろん筧利夫、桂木純一郎は春田純一。演出はつかこうへい先生自身。飛龍伝というより、飛龍伝×広末涼子×筧利夫×春田純一×つかこうへいのコラボレーションによる何かとんでもない、歴史的な公演だった。これはWOWOWで放送されており、録画したものは今もときどき視聴する。これ、ブルーレイで出してくれないかなあ。

そして今回の神林美智子は菅井友香。欅坂46のキャプテン、菅井様だ。この報を聞いて、全身の血が沸騰した。もちろん久しぶりに『飛龍伝』が観られるというのもある。それに加えて、菅井友香はこの役にぴったりだ、と直感したからだ。華奢で、美人で、お嬢様で、キャプテンなのにポンコツで、そしてドM。この役にあまりにもピッタリではないか。

都営新宿線の遅れでギリギリに新国立劇場中劇場へ。席に座ってほどなく「若者たち」が流れる。

そして登場した菅井友香。ぎこちない動きながら、その激しく変化する表情に目が吸い寄せられる。悲惨な状況に追い込まれるほど輝くその笑顔は、つか作品の評論でしばしば使われる「前向きのマゾヒズム」そのものだ。このキャスティングは直感どおりの大勝利である。

対する山崎一平に石田明。ライブで観るのは松井玲奈主演の『幕末純情伝』以来。映像で観た『熱海殺人事件』も含め、すっかりつか作品の常連だ。その熱海で木村伝兵衛を演じた味方良介が桂木純一郎を演じている。味方の存在感は強烈で、結果バランス的に神林―桂木の関係のほうが神林―山崎の関係より前面に出ているように感じた。筧利夫が山崎を演じているとどうしても「神林と山崎の物語」になってしまうのと対照的である。だが、ラストシーンでは、石田明による狂気に陥った山崎の表情は素晴らしく、思わず涙を誘われた。

下ネタも抑え気味で、現役アイドルということもあり胸や尻を揉まれる場面やキスシーンも(従来よりは)少なかったように思う。全体的に、ややマイルドだった印象だ。しかし、それによってこの作品の持つ本質的な魅力が薄れることはない。

と言っても、この作品の「本質的な魅力」って何だろう。

『飛龍伝』は、安保闘争の中で芽生える学生運動のリーダー・神林美智子と機動隊隊員・山崎一平、そして学生運動を実質的に支える桂木純一郎の3人を中心に、若い学生たち、機動隊隊員たちの熱い日々を描く群像劇である。

1960年に現実に起きた、安保闘争で樺美智子さんが死去した事件に着想を得ていることは明白だが、物語もキャラクターも全く事実に即したものではない。完全なフィクション、というよりファンタジーである。だから政治的なメッセージは全くない。

現代のロミオとジュリエット、と見たてる人もいるし、確かに3人の間の恋愛感情が大きなウェイトを占めているのは確かだ。しかし、この作品を見て「人を愛することの尊さ」なんて感想は残らない。

イデオロギーでもロマンスでもなく、何が残るというのか。

この舞台に登場する人物は、みな何かに必死だ。その対象は恋人であったり、理想であったり、友であったり、それぞれだ。でも、観ているうちにその必死になる対象が何であれ「どうでもいいこと」に見えてくる。

つかこうへいのペンネームの由来が「いつかこうへい」ではないかという説がある。この作品の中で、学生たちはさんざん機動隊員を馬鹿にする。だが、不思議にそこから差別とか不平等といった言葉は浮かんでこない。誰もかれも、取るに足らない何かに向かってひたむきに生き続けている、それだけの存在に思えるからだ。そこはある意味でのユートピアとも言える。

ただただ、前向きに生きること。それだけが人間の本質であり、それがほとばしる眩しさを凝縮したのが『飛龍伝』だ。

次に『飛龍伝』を観るのはいつになるのか。そして誰が神林美智子を、山崎一平を、桂木純一郎を、誰が演じるのか。今から楽しみでならない。





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