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紀伊國屋ホール60周年記念公演『熱海連続殺人事件』

2月に山本亨の出演した『熱海殺人事件』を観て以来、自分の中で熱海熱が再燃した感じがする。そんなところに紀伊國屋ホール公演のニュース。2バージョンの連続上演、しかもこれまで見たいと思いながらタイミング合わず目撃できなかった新内眞衣、木﨑ゆりあがそれぞれのバージョンに登場するという。これは俺のための公演だな、と思い両バージョンのチケットを確保した。


熱海殺人事件 Standard つかこうへい命日公演

木村伝兵衛部長刑事・・・荒井敦史
婦人警官水野朋子・・・新内眞衣
熊田留吉刑事・・・富永勇也
犯人大山金太郎・・・高橋龍輝
久保田創、河本祐貴

まずは『熱海殺人事件 Standard』。90年代以降、数々のバージョンがマルチバースのように誕生した「熱海」の中で、もっともスタンダードな形だ。このバージョンには固定された名称がなく、今回は「Standard」と銘打っているが、「ロンゲスト・スプリング」「傷だらけのジョニー」などなど、名称が安定していない。

前に紀伊國屋ホールで「熱海」を観たのはいつだろう、と調べてみると、2015年の風間杜夫・平田満コンビが復活した公演だった。そしてそのちょっと前に、2011年に「紀伊國屋つかこうへい復活祭」として上演されたものも観ている。その時の木村伝兵衛は山崎銀之丞、熊田留吉は武田義春だった。

今回、自分が足を運んだ日は「つかこうへい命日公演」だった。白鳥の湖が流れる前に、ちょっとした寸劇が。ふざけた展開でまずは会場を和ませる。だが途中から、北区つかこうへい劇団でつか本人の薫陶を受け、氏の没後も多くのつか作品にかかわっている久保田創が登場すると、いきなり「寸劇」が熱い「芝居」に。つかこうへいを知らない俳優がつか作品に取り組む意味や、それを観る意味について考えさせられる。そんな中で舞台が始まった。

また、命日公演ということでこの日はシークレットゲストの登場が予告されていた。誰だろう、山崎銀之丞か春田純一でも来るのかな。いや、春田純一は『銀ちゃんが逝く』を上演中だから無理か、などと考えていた。

話が進み、あるシーンで突如舞台に数人が現れて踊り出した。その中の女性に目が行く。ん?これは・・・

このセリフを心の中で叫んだのは、2022年の須田亜香里卒業コンサートに彼女が登場して以来だ。テンション爆上がりである。

舞台上で新内眞衣と木﨑ゆりあが抱きあったりしてる。もう鼻血が出そう。シークレットゲストというのはモンテカルロ・イリュージョンに出演している3人(ゆりあの他に嘉島陸・鳥越裕貴)だったのだ。アドリブも入って何ともにぎやかな場面になった。

この日の水野朋子は新内眞衣。木﨑ゆりあはSKE48劇場やAKB48劇場、そしてイベントなどで何度も至近距離で観たことがあるのに対し、新内眞衣は東京ドームとか大きい会場のコンサートでしか見たことがなかったので、近くで見るのは初めて。しかも席が前から2列目の中央付近で、なんか一生分新内眞衣を見た気がする。そして顔ちっちゃい。足長い。和田まあやに悪意(と愛情)を持って体モノマネされた、もはや一周まわってアンバランスなほど均整の取れたスタイルが際立つ。

その水野婦警が素晴らしかった。そのすらりとした肢体の全身から、水野の隠し切れない劇場が漏れ伝わってくるのだ。これはいい。

今まで、「水野朋子」という役が熱海に登場して以来、この役を長く演じた平栗あつみのイメージが非常に強く、その後さまざまな水野を観たが、なかなかそのイメージを超えるには至らなかった。

だが、新内眞衣は初めて自分の中の「水野朋子」像、平栗あつみが独占していたそのイメージを上書きしたかもしれない。

そんなことを考えていたら、終演後の献花セレモニーになんと平栗あつみが登場した。これには腰が抜けた。なんか浮気の現場を妻に見つかった気分だ。妻いないけど。

その平栗あつみは献花後にマイクを持ち、「これが今の熱海」と若い俳優たちの芝居を称えた。何だか平栗あつみに許してもらったような気がした(←我ながらキモチ悪い)。

この日は自分の中の「熱海」が新しいステージに切り替わったような、そんな観劇になった。

熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン

木村伝兵衛部長刑事・・・多和田任益
速水健作刑事・・・嘉島陸
犯人大山金太郎・・・鳥越裕貴
婦人警官水野朋子・・・木﨑ゆりあ

そして『熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン』。このバージョンは初演の阿部寛のイメージがあまりにも強烈なので、なかなか他の俳優が演じるのは難しいのだろうと思う。自分も阿部寛以外で観たのはだいぶ前に、北区つかこうへい劇団だったか北区ACT STAGEだったかの1公演のみだ。

この日、当然自分は木﨑ゆりあ目当てで足を運んだわけだが、実はそんなに彼女の演技に期待していたわけではなかった。SKEやAKBのステージでさんざん見ていて、そのスター性や、お馬鹿キャラながら地頭の良さから発するキレのいいMCなどはよく知っている。だが演劇の世界で彼女がどう輝くのか、あまり想像ができていなかった。

実際、舞台が始まって、水野ゆりあの演技を目の当たりにしても「まあ、こんなものだろう」というぐらいの感想だった。「モンテカルロ」は出演者が歌う場面が多いのだが、とても選抜メンバーとは思えない不安定な音程も通常運転だった。

しかし、その印象が一変するのが、劇中で水野が被害者・山口アイ子を演じる場面だ。そこにいたのは水野朋子でも木﨑ゆりあでもない。まがうことなき山口アイ子だった。これまで舞台で観ていたのはあくまで「水野が演じるアイ子」だった。初めて、山口アイ子本人に出会った気がした。彼女の悲しさ、怒り、愛情、プライド、喜び、絶望、すべてがリアルに感じられた。いつの間に木﨑ゆりあはこんな凄みのある演技ができるようになっていたのだ。

もともと「モンテカルロ」での水野は、やや影が薄い。木村伝兵衛の速水(兄)への想いが強すぎて、そこには誰も入り込むことができないからだ。しかし、そこに入り込まずとも、山口アイ子がこんなに存在感を発揮できるなんて。

熱海は観るたびに新しい発見がある。今回、「モンテカルロの山口アイ子」がこんなにも悲しく、愛おしい存在だということに気づかされた。やはり「熱海」は面白い。

紀伊國屋ホール60周年記念公演『熱海連続殺人事件』公式サイト


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