肝心なことを大切な人に言えないのはどうしてなのか。「過剰」とはどう向き合えばいいのか。
しばらくあいてしまいましたが、ひきつづき心療科に通っています。
10月の段階で自立支援医療の診断書を書いてもらっていたのですが、それを受け取らないことを目標に、いろいろ動いて取材したり、ライティングの仕事をしたり、なかなかうまくやれてたんじゃないかと思います。
まったく動けなかったときのことを考えると複数の収入で月7万円はすごいことで、これを維持して頑張っていければ、なんとかなりそうな気もしました。
でもすぐ収入が得られるわけでもなく、取材に行くということは費用もかかり、収入<支出の状態がつづくので、根本的な解決にはならず、またしんどくなってしまいました。
おそらくもう自分ではどうしようもなく完全に詰んでる状態で、人に助けてもらうしかすべがないはずなのですが、それでも助けてほしいと言えないのはなぜなのか。自分でもよくわかりません。
思いの丈は心療科の先生にお話をすることができるけど、家族や友達に思いの丈や助けてほしいと言うことができない。
適応障害で満足に働けない状況が1年半も続いて申し訳ないという気持ちや娘の前では父親として楽しく居たいという気持ちがあり、これ以上迷惑はかけたくない・しんどい思いをさせたくないという気持ちが強く出てしまって、なかなか自分から言い出せないのがあるのかもしれません。
(これが状況を悪化させ、余計にしんどくさせることになることは、わかってはいるんですが…)
行政による支援のページなんかを見てはいるのですが、過去の経験からどうしても充たされない気がしてそっとページを閉じてしまう。
かりに助けてもらったとしても自分で乗り越えていく力をつけなければ根本的な解決にならない。
すでに自信を喪失している状態で、まわりがしんどい思いをしているなか、自分が抱えている辛いことを伝えなければならないのがほんとうにしんどいんだと思います。
やっぱ書くとわかってくるなぁ。
心療科の先生はもちろんお仕事だし、話を聞いてくださる前提ということもあって話ができるけど、こちらから切り出すってのはほんとうにしんどい。
そういう点で「大丈夫?」とか「話すことない?」とか切り出しやすい雰囲気つくってくれる人は貴重だなと思いました。
そして否定をしない。どうすればいい方向に一緒に行けるかを考えてくれる。そこで答えが出なかったらさらに違う人に意見を求める。
でもそれができたら聖人ですよね。だからあくまで理想ですね。
そういう気持ちもあるから、話せたとしても「あー自分は楽になったけど、よりしんどくさせてしまった」とか「『40超えて何甘えたこと言ってんやろな』とか思ってるよな」とか頭にちらついてくる。
自分の思考だけでもそうなるのに、否定されたり「みんながんばってるのに」って言われてしまったら、いや思ってなくてもその雰囲気醸し出してたらたぶんもう話さなくなるんでしょうね。
我ながらしんどい奴やな…。でも真理かもしれない。
自立支援医療の診断書を依頼後、それをもらわないのを目標にしてがんばっていたけど、結局1月ぶりに心療科に行くことになって診断書をもらい、市役所で手続きをして、でも現実見てすぐしんどくなってしまって、1週間を待たずに再診することになってしまった。
と伺ったところ
なるほどなーと思ったのと、過剰的に動いてしまうのはどうしたらいいんだろうと。
過剰的に動けるから、人とは違う変な行程の旅もできたりするんだろうけど、それをやりたすぎて後先考えずに破綻してしまう。
この部分をなんとかしないといつまで経っても同じことの繰り返しなので、ほんとなんとかせねば。
いろいろリセットしたいことが多くて、今リセットしたら楽にはなるんやろうけど、そうすると過剰が暴走しそうで、一気にまた同じ状況になりそう…。
リセットの助けを借りるのと「過剰」をうまくコントロールしていくのが大事なのかもな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?