自分の感情と向き合うのがかなりしんどかった9月

「過剰適応」と診断されてよかった反面、心がグラグラだった9月。

9月が終わる。

去年の6月に抱えすぎて適応障害になったのに、それでもさらに抱えすぎて過剰適応というところまで行ってしまった。

診断されて腑に落ちた反面、自分の良くない部分と向き合う時間が多くなる結果となり、かなりしんどかった。その都度先生のところへ行った。

なんならすぐ行けるように、そのためだけに三宮に居たくらいだった。

余裕がないと無為を大切にできない。自分に自信がないから右往左往してしまう。

生活に余裕がなくなると自分の心を休めるための無為に過ごす時間すら大切にできなくなる。

自分に自信がないからきちんとした行動ができない。はじめ決めてたことが「ひょっとしたら良くないのかもしれない」と思って思い直し、さらにその思い直したことすら「良くないのではないか」と思い、右往左往してしまう。結果何かはできていたとしても何も進んでいない。

その事実が「どうせ何もできない」という想いを引き起こして行動を止めてしまう。このままだと死んでも気がつかないんじゃないだろうか。

心は大きな網目のザルのようで、心配してくれる言葉ですら抜け落ちてしまう。

心配してかけてくれてるであろう言葉ですらも、大きい網目のザルのようになってしまった心からはするりと抜け落ちていく。

そして「言葉だけやん」「本当に心配してくれているならもっと寄り添ってくれるはず」とか思ってしまう。

抱えすぎるのは良くないとわかっているけど、依存しすぎることへの不安。

抱えすぎるのも良くないことだけど、依存しすぎるのも良くない。

心が弱っているときはどうしても依存してしまう。盲目になってしまう危険もある。一回頼ってしまうと依存グセが抜けず、自立できなくなるんじゃないかとも思ってしまう。

いまできそうなこと。

いまの自分にできることは、余裕があるときにさまざまな考え方を受け入れ、その中で自分の進むべき方向を見つけること。

それには自分がいやなことははっきりいやと、できないことはできないと伝えていく必要がある。

いままでなし崩し的にやりすごしてきたことを、見てみぬふりをせず、はっきり口に出して伝える。そして定期的に想いを伝える。

それだけで劇的に何かが変わるわけではないと思うけど、いままで必要以上に気を遣って、相手が何を求めているのかも聞かず、自分の中でよかれと思ったことでスタンドプレーしていくより、素の自分ができることを提示して相手をどこまで満たすことができるかという考え方のほうが健全だと思う。

これなら無理せず人の力にもなれるし、人の力を借りて少しずつ前に進んでいくことができるような気がする。

ただなかなかその機会がつくれていない。

「なんとかしようとしない」とは言われているものの、もうあまり時間がない。焦らずでも無理せずやっていきたい。

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