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No.02 阿蘇の神々 高橋神=天照女神

阿蘇の神社の神「高橋神」は熊本県小国町の小国両神社、阿蘇市の国造神社の祭神です。
社記によれば、高橋神と火宮神は兄弟神であり、その父母神は速瓶玉命と雨宮媛であるという。一般に兄弟姉妹の二柱を祀るのは稀であり、二柱祀る神は夫婦神が多いのです。
阿蘇の神々と言えば、水の神と火の神の二柱を祀ります。水の神は天照女神であり、火の神は正八幡大幡主です。これからすると、火宮神は正八幡大幡主と想定できるのですが、高橋神は難解です。
  
小国両神社 熊本県阿蘇郡小国町宮原1670
祭神:高橋大神、火宮大神、雨宮媛命

国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭神: 国造速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神

高橋神に触れる前に、「高橋神社」と「高橋さん」を調べれば、高橋神に行き着くと思えるのです。
 

■「高橋さん」と「高橋神社」

名字の多くは地名から発祥したといわれます。
日本三大名字は、1位の佐藤さん、2位の鈴木さん、高橋さんは3位です。
佐藤さん、鈴木さんは非地名名字ですが、3位の高橋さんは地名発祥名字です。
神社名も地名との関連性が強く、高橋神社を調べることは高橋神を調べることになりそうです。
 
漢字からみる名前の性格
佐藤の「佐」は稲の霊で、「藤」は天照女神と大幡主の依り合い木、
鈴木のスズキ・ススキも稲穂の霊で、佐々木にも通じます。
高橋の「高」は大幡主の「鷹」、「橋」は男女を結ぶもので、鷹の橋。
稲の霊は天照女神と大幡主の「うかのみたま倉稲魂」
全て、天照女神と大幡主に関係します。
 
高橋さんの日本全国分布ランキング
1位 東京都 都内3位
2位 神奈川 県内3位
3位 埼玉県 県内2位
4位 千葉県 県内2位
5位 宮城県 県内2位
6位 北海道 道内2位
7位 岩手県 県内2位
8位 新潟県 県内4位
9位 大阪府 県内9位
10位 愛知県 県内19位
11位 秋田県 県内2位
12位 山形県 県内2位
13位 群馬県 県内1位
14位 兵庫県 県内15位
15位 福島県 県内2位
 
県内に占める高橋さんが1位の県は群馬県があります。
県内に占める高橋さんが2位の県は東北地方ですが、
愛媛県では1位、香川県、高知県では4位、と意外に四国にも多いのです。
(名字由来net  https://myoji-yurai.net/ 参照)

愛媛県にある伊予に関係する有名な神社
 
伊予神社 愛媛県伊予郡松前町神崎字小斎院193
祭神 彦狭島命 (ひこさしま、伊豫皇子)
配神 愛比売命 (えひめ、罔象女神=天照女神)
   伊予津彦命(いよつひこ、火明命・ニギハヤヒ)
   伊予津姫命(いよつひめ、天鈿女命)
   日本根子彦太瓊命(やまとねこひこふとに、孝霊天皇)
   細姫命 (ほそひめ、主祭神の母君=宗女伊世姫)
   速後神命(はやちかみ)
神紋 隅切角に三角字紋
 
伊予神社 愛媛県伊予市上野2485
祭神 月夜見尊(木花開耶姫=月姫=天照女神)
   愛比売命(罔象女神=天照女神)
   神八井耳命
   速後上命(はやのちかみ)
神紋 橘紋
社伝では、太古、神戸郷御谷山に、大山積神によって、天御中主神を祀る古社があり、後に国造によって、山の麓、朝日の面に天照大神を祀り、夕日の面に、月夜見尊を祀ったのが、弥邑神(伊予村神)の創祀という。
※月読命は大幡主
 
伊豫豆比古命神社(椿神社) 愛媛県松山市居相二丁目2−1
祭神 伊豫豆比子命(いよつひこ 火明命・ニギハヤヒ)
   伊豫豆比売命(いよつひめ 天鈿女命)
   伊豫主命(いよぬし 大幡主)
   愛比売命(えひめ 罔象女神=天照女神)
神紋 十六八重菊紋

愛比売(えひめ)は天照女神です。
愛媛県には天照女神奉祭の高橋さんが意外に多いのです。
 
高橋さんの家紋
高橋さんの代表家紋は「切り竹」「切り竹笹」などの竹笹紋で大幡主の副神紋です。他に、三つ柏、笠、花菱、三つ鱗など。全国に多いせいか、家紋も多彩です。
三つ柏紋は大幡主の神紋、花菱紋は天照女神の神紋、三つ鱗紋は市杵島姫(=天照女神)の神紋です。
 
大幡主の副神紋と云うべき竹に関する紋

 ネットから有名な高橋神社を拾ってみました。
 
高橋神社
1.栃木県芳賀郡芳賀町大字東高橋3645番地
2.新潟県新潟市西蒲区高橋1113番地
3.長野県上伊那郡箕輪町大字中箕輪3216番地
4.静岡県三島市松本298番地
5.奈良県奈良市八条町五丁目338番地
6.和歌山県和歌山市岩橋1112番地
7.鳥取県西伯郡大山町高橋622番地
8.福岡県うきは市吉井町(字亀ノ甲)1430番地の3
  

■九州北部の高橋神社

1.福岡県うきは市の高橋神社(水神社)
元々は高橋大明神(祭神・罔象女神、水分神)と称していたが、明治42年吉竹、下町、天神街の天満神社が合祀されて、新たな高橋大明神となっている。古宮は巨瀬川の水神様として罔象女神、水分神を祭神とする水神社でした。
 
高橋神社 福岡県うきは市吉井町字亀ノ甲1430-3
祭神:罔象女神、水分神  合祀:菅原神

祭神の罔象女神(みずはのめのかみ)、水分神(みくまりのかみ)は水神の天照女神です。

千歳川と水天宮
筑後河の別名の千歳川・ちくま川、日田の三隈川は水天龍王に因む名称です。
水を司る龍神を水天と言い、龍神は水天の使いの象徴です。龍神には、大幡主(黒龍)、天照女神(白龍)、罔象女神(青龍)、豊玉姫(青龍)、市杵島姫(白龍)があげられる。
大幡主は海神(わたつみ)であり龍王といわれ、別名、筑後川水神、牛馬之守護神であり、荒五郎大明神(水天八大龍王)ともいわれた。
天照女神も水神様であり、龍宮神であり、筑後川及び巨瀬川筋の水神様の罔象女神は安坊大明神といわれた。
大幡主(荒五郎大明神)、天照女神(安坊大明神)は夫婦神であり、祀られる宮を本来の「水天宮」といった。水天宮の祭神は天照女神の別名である瀬織律姫・撞賢木厳之御魂の神名でも表記されます。筑後川一帯の水神社は水天宮を「徳満宮」として祀る村が多数あります。

2.福岡県大刀洗町の高橋神社(竈門神社宝満宮)
大刀洗町下高橋に大蔵氏が築城した高橋城跡があり、ここに竈門神社があります。
大蔵図書頭秋種(実通)は、藤原純友の乱(939年)平定の手柄により、上高橋・今・鵜木・下高橋を領地とし、当初上高橋城を居城としていました。大蔵氏は、地名の高橋をとって高橋氏に名を変えます。
宝満宮は延久2年(1070)、下高橋に創立されています。
その後の室町時代、高橋氏は居城を上高橋から、宝満宮がある下高橋の地に移しています。
 
竈門神社(高橋神社) 福岡県三井郡大刀洗町下高橋3856-1
祭神:玉依姫命

福岡県神社誌
村社 竈門神社 三井郡大刀洗村大字下高橋字内畑古賀
祭神 玉依姫命
合祀 菅原神、罔象女神、神功皇后、少彦名命、豊受大神、雷神
由緒 不詳
明治6年、村社として竈門神社に玉依姫命を祀る
大正12年、字内畑出口の天満神社(菅原神)、字柿添の水神社(罔象女神)、字中島の宮地嶽神社(神功皇后)を合祀し高橋神社と改称
大正13年、字内畑薬師堂の五條天神社(少彦名命)、字内畑屋敷の豊受神社(豊受大神)を字内畑薬師堂村の竈門神社に合祀
昭和4年、字内畑薬師堂の竈門神社を高橋神社に合併し竈門神社と改称

寛文十年(1670)久留米藩社方開基
高橋図書頭秋種、上高橋・今・鵜木・下高橋の領主とて上高橋城に居城
宝満宮開元、延久2年(1070)、願主不知、
高良社(右)、宝満宮(中)、八幡王神天王(左)、それぞれのご神体木像

 初代の高橋城主は高橋秋種と大蔵実通の名があります。同一人物です。
田主丸町の月読神社の由緒では、高橋城には月読神社もあったことになります。

高橋氏と田主丸町の月読神社
大蔵春實の子・大蔵実通は、藤原純友の乱(939年)平定の功により、上高橋・今・鵜木・下高橋を領地とし、上高橋城を居城とします。また、地名をとって「高橋氏」と名乗っています。
室町時代の高橋長種には跡継ぎがなく、豊後の戦国大名大友宗麟は、名家の絶えることを惜しみ、一族の一万田右馬助に高橋家の家名を継がせ、高橋三河守鑑種と名乗らせました。その後、高橋氏は居城を上高橋城から下高橋(宝満宮)の地に移しています。(高橋城蹟案内)

大蔵春實
https://ja.wikipedia.org/wiki/大蔵春実
・妻:小野好古の娘
 男子:大蔵春種 子孫は秋月氏・田尻氏等
 男子:大蔵種章
・妻:橘公統の娘
 男子:大蔵種季 子孫は波多江氏
 男子:大蔵種門
・生母不明の子
 男子:大蔵春近
 男子:大蔵実通 子孫は三原氏
 男子:大蔵種光 大蔵種材の父

一方、田主丸町の月読神社の由緒では、
天文3年正月(1534年)、御原郡高橋城主、三原(高橋)三河守長種の弟・次郎三郎が城内の月読神社を遷し、竹野郡二田村(現:久留米市田主丸町石垣)に創建します。
明治13年6月(1880年)篤志家(吉瀬氏等)が田主丸町東町へ二田月読神社を勧請。開運眼病平癒の神様として崇敬者多く三夜様と敬稱されています。(No.07)
現在の二田の月読神社は天満神社が合祀され、ご神体は二柱です。
境内社に事代主を祀る五條神社(薬師堂)があります。

高橋城主長種は月読神社の由緒では「三原三河守長種」と三原氏になっていますが、当時は「高橋三河守長種」が正しいようです。
次郎宅の月読神社は祈願すると「目の病が治る」と有名になり、眼病平癒で訪れる人々が絶えず参拝に訪れるようになったといいます。
寛延2年(1749)、娘が目を患っていることを気の毒に思っていた柳川藩主(現在の福岡県柳川)は月読神社の眼病平癒のご利益を知り、娘の眼病平癒を祈願したところ、娘の目が良くなり、藩主は、二田村の林次郎兵衛宅の祠を現在の地に移し、社を建てたのが、現在の二田「月読神社」といわれています。

 寳満宮(ほうまんぐう)竈門神社 福岡県太宰府市内山883
祭神:玉依姫命  配祀:神功皇后、応神天皇

太宰府市の宝満宮竈門神社の祭神は玉依姫と表記されますが、本当の祭神は天照女神(下宮)、大幡主(宝満山の上宮)でした。(No.230)
高橋神社宝満宮創立時の祭神は宝満宮(天照女神)、高良社(大幡主)となります。
 
 
3.熊本県山鹿市の高橋八幡神社・境内社の高橋金神社
由来石碑では、建久2年(1191)、菊池家7代当主・菊池隆定(1167~1222)が宇佐八幡宮から勧請し創建とあります。宇佐宮の本来の祭神は天照女神と大幡主です。
本殿の向拝は4本柱で本質は高良神社です。楼門、本殿の欄干は天照女神の朱です。

高橋八幡神社 熊本県山鹿市鹿本町高橋413番地
祭神:宇佐八幡宮三柱

境内社・高橋金神社
祭神:金山彦命、埴安姫命

 高橋八幡神社の境内社に高橋金神社があります。他に仁徳天皇を祀る若宮神社があります。
「No.120 櫛稲田姫生誕伝説の地・・・2019年8月30日」では、百嶋学を根拠に、次のように述べていました。 

ブログNo.120の高橋金神社
小さな社殿に祀られる前は、石の祠のみが風雨に晒されたままでした。
祭神:金山彦命→足名椎命=面足尊 おもだるのみこと=金鑚大神=迦具土神
   埴安姫命→手名椎命=惶根尊 かしこねのみこと
高橋金神社は櫛稲田姫の父母・金山彦と埴安姫を祀ります。
この地が櫛稲田姫生誕の伝説の地・熊本県山鹿市の旧稲田となります。

 しかし、宝満宮竈門神社、福岡県筑紫野市古賀の扇祇神社の調査から、足名椎・手名椎命(手足荒神)、面足尊・惶根尊は天照女神と正八幡大幡主の組合わせとわかりました。
金鑚大神も迦具土神も大幡主の別名です。金山彦の神とはいかなる存在なのでしょう。
すると、櫛稲田姫生誕伝説の地も櫛稲田姫の存在も疑問符がつきます。
 
記紀のイザナギ・イザナミの国産み神話は、大幡主と大日霊尊(天照女神)の置き換えです。
「イザナギ・イザナミ」の名は「大幡主と天照女神」を隠すために利用されました。
「イザナミ」「木花咲耶姫」「市杵嶋姫」「玉依姫」等の名は天照女神を隠すために利用されました。「イザナギ」「大国主」「大山咋神」「大山祗神」「事代主」等の名は大幡主を隠すために利用されました。
 
 
4.熊本市西区の高橋西神社
白川天皇の御宇、応徳2年(1085)、高橋村に若宮社として創立されました。
明治のはじめ頃、高橋西神社と改称されました。
天照女神と大幡主(住吉神)が祀られています。
 
高橋西神社 熊本市西区上高橋二丁目5-1
祭神:天照皇太神、住吉大神、天児屋根命、健磐龍命他阿蘇神

神紋は違い鷹羽紋
 
 
5.福岡市東区馬出の高松高橋稲荷神社
福岡市東区馬出(吉塚駅付近)に正一位高松高橋大明神社がありました。
稲荷神社ですので、高橋神は天照女神、高松神は大幡主と想定します。これほど明快な稲荷神社はありません。「稲の霊」の天照女神と大幡主は「倉稲魂うかのみたま」です。
 
高松高橋稲荷神社 福岡県福岡市東区馬出一丁目6-22
祭神:高松神、高橋神


6.その他・奈良市八条町の高橋神社

奈良市八条町の高橋氏は膳臣(かしわでのおみ)の子孫といわれる。
膳臣は天皇の食膳を用意する役目を代々務め。現在、奈良市八条町には高橋神社が鎮座しています。
 
高橋神社 奈良県奈良市八条五丁目338 (Wikiから)
祭神:磐鹿六雁命(いわかむつかり) 料理人の神様
   栲幡千千姫命(たちはたちぢひめ) 高橋氏の氏神

※天照女神の 両部鳥居があります
磐鹿六雁命は料理の始祖とされており、共に高橋臣の氏神
「日本書紀」景行天皇53年の条によると、「景行天皇、東国を巡狩し給い上総国に至り、海路、淡水水門を渡り給うとき、海中に白蛤を得給う。従い仕え給えし此の命、之れを膾に作りて献るに、天皇いたく其の美を賞し給うに膳臣を以てし給う。十世の後、更に高橋の朝臣を賜う」とある。
この高橋朝臣(膳臣)の祖となった人物が磐鹿六雁命であり、子孫は天皇の供御を主宰する内膳司を世襲し、のちに料理の神として祀られるようになった。天武天皇13年(684)、朝臣姓を賜った際、高橋と改称。
※私の里には鹿狩氏の鹿狩村があります。鹿狩を「ろっかり」とよみます。六雁は「ろっかり」と読めそうです。鹿狩村は大幡主奉斎です。

※宇奈岐日女は天照女神
宇奈岐日女(うなきひめ)は楮(こうぞ)の栽培を司る神様で、木綿(ゆうば)大神と呼ばれ、織姫神となります。木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のこと。木綿(ゆふ)とは、木綿(もめん cotton)の事ではありません。(由布院では木綿を「ゆふ」と言ったのは、旧仮名遣いの「ゆふ」から)
天照女神は養蚕の神でもあり、織姫神です。
「楮」は「こうぞ」と読むのが一般的で、「たく栲」「かじ梶」とも読みます。大幡主と天照女神の間の子に「栲幡千々姫 たくはたちぢひめ」がおられます。「栲幡 たくはた」は天照女神の楮の「栲」、大幡主の「幡」からとられ、合成されたと考えています。

■糸島市の細石神社と太祖神社

祭神に、兄弟姉妹の二柱を祀るのは稀であり、二柱祀る神は夫婦神が多いのです。社記で姉妹を祭神とするのが、福岡県糸島市の細石神社です。
 
細石神社 福岡県糸島市三雲432
祭神:木花咲耶姫命、磐長姫命

糸島郡誌によれば、高祖神社の祭神は彦火々出見尊であり、細石神社の社殿は高祖神社対して東向に社殿を作り、姉の磐長姫を相殿に祀っています。
しかし、細石神社は高祖神社に向いているものの、正確には高祖神社と細石神社の社殿は対面していません。また、参道も繋がっていません。
細石神社の拝殿と参道の向う先は宇美八幡宮本殿、次に、大分八幡宮本殿後ろの大神宮。
さらに、大分八幡宮本殿、拝殿、参道は、
栗山の天神社(春宮神社) 朝倉市平塚(栗山)924
柳瀬の玉垂神社古宮(竹野郡惣廟・柳瀬八幡神社) 久留米市田主丸町八幡(柳瀬)947
に向かいます。
さらに、柳瀬の玉垂神社古宮は高良大社に向かいます。
結局、細石神社の参道の向う祭祀線は、最終には高良大社につながるのです。(No.223)
また、細石神社から可也山、芥屋の太祖神社は直線でつながり、太祖神社の参道は塩土神社に向かうのです。(No.149)
結果、細石神社は姉妹神でなく、天照女神と大幡主の夫婦神を祀っているのです。
社記の祭神の木花咲耶姫と磐長姫は天照女神だったのです。

一貴山銚子塚古墳→細石神社→吉竹高木遺跡→檜原五社神社→須久老松神社(上宮)→北谷宝満神社→宝満神社上宮

細石神社の東西ラインは大幡主の祭祀線です。
 
 
芥屋の太祖神社 福岡県糸島市志摩芥屋675
祭神:天照皇大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神 → 天照女神と大幡主

大祖神社の東西ラインは、福岡市の小戸妙見神社、若杉の太祖神社を結ぶ大幡主祭祀線
大祖神社の夏至ラインは、福津市の宮地嶽神社を結ぶ天照女神祭祀線
大祖神社の冬至ラインは、可也山、細石神社を結ぶ天照女神祭祀線

■結論・高橋神は天照女神

阿蘇の神々は、水の神と火の神の二柱を主に祀ります。
水の神は天照女神であり、火の神は正八幡大幡主です。
高橋神は水神の天照女神であり、火宮神は火神の正八幡大幡主とみました。
  

■覚書きメモ(11) 氣比神宮と応神帝八幡神

氣比神宮(けひじんぐう) 福井県敦賀市曙町11−68
祭神 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)

天照女神の両部鳥居、六角灯籠(土公元宮)、「五七桐」と「右三つ巴」の神紋があります。
気比大神・御食津大神(みけつおおかみ)・笥飯大神(けひおおかみ)・保食神とも称する
結宮(けつのみや)=天照大神
猿田彦神社 氣比大神の案内をされる神様。
兒宮(このみや)児宮(このみや)=彦穂々出見尊
兒(こ)の舞は彦火々出見命を浦島太郎に因んだ神楽です。
氣比神宮の祭神は天照女神(御食津大神)と大幡主(気比大神)です。
 
「古事記」では、
誉田別王(太子・応神天皇)はイザサワケ(伊奢沙別/去来佐別)と名の交換を行ったとする。
誉田別王が角鹿(敦賀)の仮宮を営んでいると、夜の夢にイザサワケが現れて名を交換するよう告げられた。誉田別王が承諾するとイザサワケは翌朝に浦に出るように言い、出てみると、浦には一面にイザサワケの献じた入鹿魚(イルカ)があった。これにより太子はイザサワケを御食津大神(みけつのおおかみ)と称え、後にその名が気比大神になったという。
 
※誉田別王とイザサワケとの名の交換について
正八幡大幡主と天照女神(豊姫)の子が仁徳天皇で、ツヌガ現人と天照女神(奴奈川姫)の子が誉田別王と仮定できます。
気比大神のイザサワケ(伊奢沙別/去来紗別)は正八幡大幡主です。
誉田別王がイザサワケと名の交換の解釈は、名(な)と魚(な)の交換ともとれるのですが、釣り合いがとれません。イザサワケの正八幡大幡主が誉田別王に「八幡神」の称号を譲渡された、と解釈しています。
よって、誉田別王は別八幡神、つまり、応神八幡神となるのです。
これが正八幡大幡主(=大国主)の国譲りの原典とみています。
 
それにしても、正八幡大幡主(神武帝)とツヌガ現人(崇神帝)は、神社の祭神でみると同一にダブってしまのは不思議です。
すると、正八幡大幡主(神武帝)とツヌガ現人(崇神帝)は同一人物であり、
八幡神は正八幡大幡主を消すために、応神八幡神に置き換えた、とみます。
本来、八幡神は正八幡大幡主の八幡神一柱です。
 
八幡神の本宮または準本宮とされる宇佐八幡宮、大分八幡宮、筥崎八幡宮の祭神は、天照女神と正八幡大幡主が本来の祭神です。
また、越(ヌナ)政権も九州王朝となり、近畿王朝の正体とは?
単に、九州王朝の近畿への移動となるのでしょうか。
移動の時期としては、天智天武天皇の御代の白村江の終戦後となりますか。

※「応」は「應」の略字であり、「雁」は鷹(夕力)の意味。
 応神は鷹神であり、大幡主の神であり、応神帝八幡神は正八幡大幡主の
 置き換えです。
 応神帝八幡神は「記紀」の架空設定の神様です。正体は大幡主の神です。
 祭神表記は「誉田別尊」「応神天皇」とすべきか。

 ※奈良の大神神社の「大神」を「おおみわ」と読めるのか?
「大神」は「おおがみ」「おおが」「おおみ」「おおくま」と読めます。
「神」を「みわ」と読む根拠は何処に?
大神神社の原始の姿は、三輪山がご神体で、鳥居も社殿もなかったという。
三輪鳥居(三ツ鳥居)の起源は不詳で、拝殿は鎌倉時代に創建されたという。(大神神社HP)
明治時代になり、大三輪明神が「大神神社」になったという?
「おおみわみょうじん」から「大三輪神社」となり、「おおみわ神社」の偉大さを示すために「三輪」を「神」に変えた。
すると、「大神」は「おおがみ」でも「おおが」でもありません。
つまり、大神氏(おおが)、大賀氏(おおが)、大家氏(おおが)とは関係がなくなります。
しかし、三輪山の祭神が天照女神と大幡主であれば、大神惟基伝説の宇田姫神社・穴森神社から関連が生じます。
※大三輪社
福岡県筑前町の大己貴神社の縁起案内板には「『日本書紀』に、仲哀天皇9年秋9月・庚午朔己卯、神功皇后 諸国に令して船舶を集め、兵甲を練らんとせし時、軍卒集い難し、皇后曰く、必ず神の心ならんとて、大三輪社を立て、刀矛を奉りたまいしかば、軍衆自ずと聚(あつま)る」とあります。(No.217)
大己貴神社の「大己貴」を「おおなむち」と読ませています。「大巳貴」が正しい表記。
倭国を「いこく」「きこく」とよび、「伊国」「貴国」を当てる場合もあり。「わこく」は後のよび方。すると、「大己貴」は「大巳倭」となり、「おおみわ」と読めるかもです。
これも難しい問題です。私説でした。

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