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あこがれを全うするあなたへ

大変ご無沙汰しております。

覚えていらっしゃいますでしょうか?
いえ、きっと覚えてはいらっしゃらないでしょう。

たくさんのひとと関わり、
おおきなことを動かし、
自らの正義を全うし世間に問うていくそのお姿は、
その話題が持ち上がるたびにお見かけしておりました。

わたしは数年前、
あなたのオフィスの採用試験を受けた者です。

今でこそ世間にそのお名前が通じるあなたですが、
当時はまだ知る人ぞ知るといった、
あくまでも業界のなかでのみ知れているという状態だったと記憶しております。 

あの頃、わたしはあなたのお仕事が好きでした。
もちろんいまも好きなのですが、
当時はまだ結果に至るまでのプロセスをそれほど知らなかった分、
ただただ純粋に良いとおもっていたのだとおもいます。


あなたとの面接のことは、
あまり覚えていません。

あまりにも衝撃的だったということもあり、
あのときどうやって帰ったのかも、記憶が定かではありません。

覚えていらっしゃいますか?
あなたは初対面のわたしを、一時間ほど叱りつけていたことを。

「言いたいことはそれだけです。」と言いながら、
あなたはなんどもなんどもわたしのことを叱りました。

作品のことではありません。
あなたが叱ったのは、その作品たちに対するわたしの姿勢でした。

ものをつくるということに対する姿勢、
そのものをつくるまでに重ねた思考の総量、
そしてそれを正しく伝えようとするその熱量、
それらを表現するための技術を、それを向上させようとする努力を。

あなたはそういったわたしの甘さや弱さが見え隠れする部分を、
針の穴を突くようにすべて指摘されていきました。

わたしも、
あなたのパートナーのかたも、
あなたのことばそのひとつひとつに
ただただ頷くことしかできなかった一時間。

どうやって帰ったのかも覚えていませんし、
あの後パートナーのかたが思いだしたようにくださった課題は、
送ったことは覚えているのですが、
なにをつくったのかは全然おぼえていません。

これほど強烈な体験をすると
人間というのは本当に記憶をなくすのだな、と
しばらく経ってから、
ようやくなにがおこっていたのかを認識できたような状態でした。

そして先日に至るまで、
この記憶はわたしの奥底に仕舞われたまま、
思い出したくない出来事として闇に葬られていました。


先日、ある商品の発表会が行われました。
全体のディレクションは他の方がされていたのですが、
その一部にわたしも関わっているものでした。

それがすこし話題となり、
いつもより拡散されたとの話を聞き、
その様子を確認しようと投稿をチェックしました。

おもっていた以上にたくさんのかたが投稿してくださっており、
かなり有名な方までそれらの投稿には写っていました。

そのなかでおひとり、
現場の様子でも、
話題となった部分でもなく、
その商品群の本質を捉えた
美しい写真を投稿されているかたがいらっしゃいました。

あなたでした。

あなたは複数枚に及ぶ写真を淡々と投稿されていました。
わたしが、そう、そういう風に見てほしいんです。
と考えていたことを、そのまま表現したかのように。

そして最後の投稿にひとことだけ、
perfect
とだけコメントを残されていました。


あなたはわたしがその商品に関わっていることなど
知りえるはずがありませんし、
そもそもあなたはわたしのことを覚えてはいないでしょう。

しかしわたしは、
あなたの投稿で、
ようやくあなたに認めていただけた気持ちになれたのです。

いまの仕事を得たのは、
あなたとの面接の直後でした。

あれから数年経ちます。
いまならあなたがあのときなにを伝えたかったのかが、
わかるようにおもいます。

あれから数年経ったいまだからこそ、
ようやくそれを全うすることができたようにおもうのです。

わたしはこれからもわたしのものづくりを追求します。

そしていつの日か、
作品を通じて、
再びお目にかかることが出来たとしたら、
その時は堂々とあなたと向き合えるようになっていたい と、
そういうふうにおもっています。

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