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0103 『首里の馬』こういうSF要素の入れ方もあるのか

【読書感想文】★★★★☆
to 芥川賞受賞作品の読後感想参考にしたい方

年末年始、沖縄の旅。ということで1冊でも関連する本を旅中で読みたい。以前、芥川賞受賞で気になっていた”首里の馬”を選んだ。(1)芥川賞作品(2)沖縄に関連している(3)読みやすそうな文体と長さ。といった理由。

ネタバレを含みますが、核心的なバレにならない程度に感想を。

タイトルと装丁から-読む前のイメージ

最近これが楽しい。読む前のイメージと期待を箇条書き。

・首里城が関係してくる
・首里城の紅と沖縄の澄んだ青空のイメージ
・沖縄の馬なので与那国の草原のイメージ
・人と馬の心の通わせる話
・馬は脇役の中の主役で人間模様の要所に登場する
・沖縄ゆえに戦争がからんでくるか
・それとも馬を介したファンタジーか(芥川賞だからそれはないか)
・地方の競走馬の話

結果、戦争や競走馬など部分的には想定に近い部分もあったが、全体を通じては、まったく想像していなかった物語の展開でした。

記録と時間

記録をとることの意味を考えさせられる。残存する文化財や建物に加え、口承、文字記録、近年は映像記録により、歴史は徐々につぎはぎされて一定の”過去の事実”とされる。私たちはそれらの延長にいることになる。

一方、時間をかけて記録を残しても、永遠に見返されない資料はこの世に山ほどある。自分は、記録の重要性を理解しつつも、時間をかけて整理をし続けることに”低い生産性”,”前例踏襲型の役所仕事”のイメージをいだいていた。

何のための記録なのか?誰のための記録なのか?登場人物の未名子が後半にその答えを出してくれた。”時間をかけて記録した情報が(中略)古びて劣化し穴だらけに消え去ってしまうことのほうが、きっとずっとすばらしい”—なんとなく、その考え方が腹落ちし安堵の気持ちになった。

沖縄の土着性とSF要素

こういうSF要素の入れ方もあるのか。 僻地にいる3人への問読み。”進撃の巨人”でライナーが巨人であることを明かすシーンを思い出した。あれ?今、宇宙って言わはかった?深海っていわなかった?と。

不思議な感覚になった。戦後の沖縄のリアルな部分や土着性をしっかり描いている分、この3人の存在やこの職業自体が自然に思えた。なんとなく違和感もありつつもあれ?こういうのはありえることだったかな…と奇妙な納得感が残ること。

書き手は、こういう読書の心理をどこまで想定して、言葉を選び、文章を組み替えるのだろう。物語を初めで読む気持ちで推敲できるものなのか。いつも、そのことに感心してしまう。

“首里の馬”が意味するものは?

タイトルにもはいっている”馬”。物語を率直に受け止めると”馬”が主役とは言い切れない気がする。ではなぜ”首里の馬”と題されているのか。理由をかんがえてみる。

えたいの知れない生き物”としてひっぱる物語の装置として。これはあると思う。実際、”馬”とタイトルがついていたのも忘れ”自転車より大きく車より小さい沖縄にいる生物”とはなんだろう?とわくわくして読んでしまった。

小説の着想のスタートなのでは?という仮説。沖縄で戦前にあったちょっと特殊な美しさを争う琉球競馬。ここから小説のテーマが浮かんだのでは。時間の流れに焦点をおく。昔を描くとき戦争そのものではなく、この競馬の文化を物語にすえる。それによって、昔の沖縄の方々の暮らしぶりも想像できる。そして、3人とのコントラストにも。

また、人に慣れてたかわいらしい馬みたいな描写がほぼない、硬派な書きっぷりもよかった。

比喩の表現の長さと差し方

最後に比喩表現の巧みさについて。シーンの情景をわかりやすくしたり、一辺倒の話に奥行きをもたせたり、登場人物の背景の補填にもなる比喩の追加。

自分では到底思いつかない。それでいて納得感のある表現がいくつもあった。特筆すべきはそのくどくない長さだと思った。当たり前だが、文章や段落の中のバランスを踏まえて最終調整されている。この表現はどうしても差し込みたいという作者のエゴをあまり感じなかった。

文章と段落と物語全体。その長さと構成。あらためて、物語が人の感情に与える効果の奥深さを知る。少し”道理の理解”に近づいた気がしました。

おしまい

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