テストの点など悪くてもいい

 ダメだ。このタイトルは。いろいろ考えた。でも長ったらしいか嘘くさいものばかり出てくる。これは幾分マシだけれどこれもダメだ。

 子どものテストの話をする。タイトルは結論だが極論で、ちょっとそれだけだと説明不足なのでこれの補足を試みる。

 まず、テストには二種類ある。

 どうだこの言い回し。「〇〇には二種類ある」という言い方が出てきたら用心したほうがいい。だいたい、何か含蓄のありそうな嘘を信じさせようとしている。騙されてはいけない。

 さて、テストには二種類ある(上の注意を忘れるな!)。 ひとつは資格試験や入学試験のような、そのテストの結果によって大きな判断がなされるもので、もう一つは単なるテストだ。

 学校で行われるテストは、入学試験や外部の資格試験以外は全部、後者のテストと言える。全国統一学力テストや模試のようなものも含め、全部後者だ。

 この後者のテストとは、テストである。

 出たゾ、お得意の何も言っていない言い回しだ。テストとは試験なんである。試すのだ。何を?

 このタイプの、学校で日常的に行われるテストや、中高で行われる定期考査のようなものは全部、試験という意味のテスト。つまり試行である。試してみる。理解度を。

 このテストの目的は理解度を試すことにある。どの程度わかっているのか、なにがわかっていないのか、その確認のためにやっている。このテストで満点を取るとなにがわかるのか。

「試行した部分については概ね理解していると思われる」

 ということである。

 これがかなり重要だ。テストで満点を取るというのは、「試験範囲を完全に理解した」ということは意味しない。出題された問題が全部できた、ということに過ぎない。

 いじわるにこれを裏返そう。

「この試験において、あなたの弱点は発見できなかった」

 ということになる。

 試験というのは理解の浅い部分を洗い出すためにあり、その結果をもとに次の学びを計画するためにある。満点を取ると弱点が見えないため、さしあたりこれまでの範囲で何を復習すればいいかはわからない、ということがわかる。

 満点のテストというのは、いきなりコンパイルが通ってエラーも出ずに動作したプログラムのようなものだ。

 プログラマという人種は、まぁ僕もそのはしくれなのだけれど、自分の書いたプログラムが、一回目のテストで問題なく動作すると不安になる。これはおそらくどんなプログラマに聞いてもそう答えると思う。なぜなら、バグのないプログラムなどというものは存在しないからだ。

 満点のテストを見ると不安になる。それは完全な理解などというものは存在しないからだ。

 だから僕は、子どもがテストで満点をとってきたといって褒めない。逆に点数が悪いことも責めない。点数が悪いときはシンプルだ。間違った問題をひとつずつ確認し、なぜ間違っているかを答えさせる。すると子どもの理解度がよくわかる。重要なのはわかっているかどうかであって答えがあっているかどうかではない。わかっていれば誤答でもいい。次はミスらないように気を付けような、と言える。

 問題は満点のときだ。満点のときは、「とりあえずこの範囲のことはちゃんとできたみたいだな」という「評価」をする。褒めない。これ意外と難しくて、つい「おー満点、すごいじゃーん」とか言いそうになる。しかし冷静に、冷静に。満点は単に、この範囲にバグがなかったという偶然でしかない。ひとまずここはクリアだ、という「評価」。

 そして、テストの問題よりももう一段掘り下げた問題を与えてみる。ちょっと応用。それができれば、なるほど理解しているな、とわかる。あやしければ、うわべで乗り切った可能性がある。

 くどいようだが、このような姿勢で取り組むのは最初に挙げた二種類のうち、後者のテストのときだ。

 前者の、資格試験、入学試験の類はこれではダメだ。いい点をとりさえすればなんでもいい。ヤマカンでもなんでも高得点を得さえすればいいから、わからなくても適当に埋めろ、という話になる。理解度など問題ではない。

 もちろん、それでは意味がないという問題はあるのだが、そもそもその試験をクリアしないとその先に行けないのだから仕方がない。このタイプの試験は、テクニックでクリアすればいい。

 受験進学塾に行くと習うのだけれど、試験には攻略テクニックがある。このテクニックというのは、理解が試験に及んでいない場合に、どうやってより高得点を得るか、というテクニックだ。もちろんすべての試験範囲を網羅的に理解していればそんなテクニックなど無くても満点がとれる。しかし実際はそんなやつはほとんどいない。多くはテクニックを駆使して試験をクリアする。

 ここからは持論。

 入学試験対策というものが登場するまでは、子どものテストはあくまで「試行」であるという姿勢で結果を「評価」したほうがいいと思う。そうしないと、試験でいい点をとるための勉強をすることになる。これは実は本末転倒なのだ。

 本来は学びが先にある。勉強をするというのは自分を育てることだ。知識を得、考え方を知り、視野を広げる。それがどの程度進んだか、それを「テスト」する。ところが、テストの点数を褒めるようなことをしたり、「テストでいい点をとったら〇〇を買ってやる」とか、「〇〇を食わせてやる」とか、テストに見返りを付けたり、逆に「テストが悪かったら〇〇を禁止する」とかいう罰則を設けたりすると、「テストでいい点をとる」ということが勉強の目的になってしまう。

 こういう形で勉強をしている人に限って、「学校の勉強は将来なんの役にも立たない」というようなことを言う。そりゃ役に立たないよ、テストのために勉強してたらね…。

 テストはあくまでテスト、プログラムのバグを見つける作業だと思えばいい。プログラマにしかわかりにくいたとえかもしれないけれど、テストのために勉強するのは、コンパイルを通すためにプログラムを書いているようなものだ。それはもう目的を見失っている。

 テストはあくまでも「評価」する。そこに褒美も罰も設けない。これは子どもの学習を考える上でとても重要なポイントだと思う。

 これに加え、僕は特に、誤答を尊重するということを意識している。

 そうやってやっていてさえ、うちの子も「間違わないこと」を重視したがる。できる問題を解きたがり、ハードルの高いものを避けたがる。僕はせっせと、「もうわかってるもんをいくらやっても面白くないだろう。わからないから面白い。難しいから面白いだろう。全部わかってるならテストなんか必要ない」という話をする。

 テストで満点を取ってくると漏れなく父さんから一段難しい問題が提示される。それを一緒に工夫しながら解く。なんなら、その問題を作らせる。このテストにもっと難しい問題を足すとしたらどんな問題を作る?

 いい点をとったらなんか買ってもらえる友達がけっこういるらしく、うちの子もその影響を受けて帰ってくる。それを修正しながら、難問に挑むことの面白さを伝えるべく日々奮闘している。

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