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どんな自分も、どんなあなたも

僕は昔から父形のおじいちゃんと昔からあまりウマが合わない。
おじいちゃんはいわば昔の頑固おやじみたいな人で、自分が正しいと思ったものしか信じないようなタイプだ。
小さい頃は帰省して会うたびに「勉強しろよ。」「野球やれよ。」「将棋もやりなさい。」なんて言われてばかり。
小さいながらに「あぁ、なんか苦手だな。」って思ってた。

高校2年生のときにおじいちゃんの奥さん(父方の祖母)が亡くなって、それまで仕事人間で家のことは何もできないおじいちゃんは生活できないからって愛知から埼玉の我が家まで引っ越してきた。
僕が当時住んでた家は完全に父母僕の3人でちょうどいいサイズの家だったから引っ越さなければいけなかったのにこちらになんの相談もなくおじいちゃんは家(愛知の)を売りに出す契約を結んだ、なんて言い出すからこっちは急にてんやわんや。
スタートからゴールまで自分勝手で「あぁ、やっぱり苦手だ。」って思った。なんせ当時受験真っ只中だからね。

そして幾年か経って現在。僕はおじいちゃんからやれ証券だの銀行だの全く僕の希望ではない職種ばかり勧められる。
これはさすがに予想がついてて僕は気のない返事ばかりしてスルスル躱すようになっていた。まともに対峙すると強く当たっちゃいそうでなるべく就活の話をしないように生活をしている。

ここまで書いたけどこれとは別におじいちゃんには感謝してるし、尊敬もしている。(大学の授業料を支払ってもらっているし、今この記事を書いているPCだっておじいちゃんがお金を出してくれた。)

どうしたらお互いに気持ちのいい会話ができるだろうか。絶対に現状が正解ではないだろうし、今更おじいちゃんの思考を変えさせるのは酷すぎる。(御年84)。かといって僕が嘘をつくのもなんかなぁ。。。

そんな時にこの記事を読んだ。

内容は僕の悩みと似て非なるものだったけどとても参考になった。
この記事で紹介されてるのは『分人』という概念。

「本当の自分」は存在せず、それぞれの「自分」は独立している。いくつもある「自分」のひとつひとつを「分人」と呼び、「分人」は対面している人に応じて現れるという。

記事中の引用。これ図がないと分かりにくいな。
自己分析で探そうとしがちな「本当の自分」なんてのはいなくて、色んな場面で勝手に出てくる自分はどれも本物だよってこと。

そうか、分人って考えがあるのか。
今までは「本当の自分」があって、時々に嘘ついたりしてるもんだと思ってなんか嫌だなぁって思ってたけどなるほど確かにいろんな自分がいる説も濃厚だ。

「○○しなさい」とか頭ごなしに言われるのに真っ向から対峙しそうになる自分を愛していくべきなのと同時に、孫の将来を考えると熱くなってしまうおじいちゃんの分人も愛していかなければならない。
ていうかなんかその考え方すると優しくなれる気がするね。

分人」、とってもおすすめです。


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