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スポーツ科学と「トレーナー」と学校~自分史~

中学2年生頃までは社会の先生になりたい、と思っていました。どういうきっかけか、、思い当たるのはNHKの大河ドラマをよく見る家庭だった、ということは大きいかもしれません。歴史に興味を持つようになって、3つ上の姉が使ってた受験教材の年号語呂合わせなどを勝手に憶えて反感買うような。。。好きな武将は伊達政宗(ちょうど大河でもやってて、仙台にも銅像を見に行ったことがあるから)。

そんな気持ちが動いたのは中学2年生の時。
テレビのスポーツ番組で「スポーツ科学」というものを取り上げていたこと。いわゆる運動生理学が中心でしたが、自分が運動をしていたこともあって一気に興味が持っていかれました。そしてその頃からメディアにも「トレーナー」や「コンディショニングコーチ」といった言葉が少しずつ取り上げられるようになり、さらに興味が惹かれていったのでした。

そういう仕事につきたいというより、その勉強をしてみたいという動機が強かったので、将来の事とかそういうのは考えずにそれを勉強できるところを探してました。しかしながら、当時そういった勉強ができそうなところは大抵体育教員免許が必修。体育に対して特別嫌悪感があったわけではないけど、どうも自分の志向として先生というのは無かった選択。いわゆるゼロ免で勉強できるところを探した結果見つかったのが、誰も疑う余地のない教員養成系大学。
その中のゼロ免課程に「運動処方」というのがあって、ここしかない!とスイッチが入ったのでした(ここだ!というスイッチで、勉強始めるスイッチはもっと後)。
こうして、「先生になりたくないから学芸大を選んだ」という、自己紹介にうってつけのフレーズが生まれました(みんな首を傾げるが嘘は1つもついていない)
さらに学芸大学は小金井市。当時住んでいたのは「小平市」。自己紹介に困ることはありませんでしたが、「こだいらさん」と呼ばれることへの抵抗も徐々になくなっていきました。
教免を取らなかったのは完全に自分の意思ですが、さらに色々な人から突っ込まれる要因にもなりました。専門科目と教職科目が多くかぶっているので、教免を取ること自体はゼロ免の中でも低かったはず。だけど、「なるつもりないのに取る必要ないでしょ?」という、都合のいい正論?を盾に取らず。後々、多くの方にお叱りを受けるのでした。。

専門学校

大学3年目の終わりころから嫌でも進路を考えるようになり、しかしながらどうも就職ということにイマイチ反応できなかったのが現実。トレーナーというポジションにも興味を持ち始めていた頃でした。大学時代はラグビーを続けていて、そのポジションに興味はあっても立場は別。
なんとなく大学院でも行こう、と勝手に考えてた頃に先輩から「大学院は結局研究をする必要がある。現場に出たいなら違う選択肢もいいんじゃないか」ということで、よく読んでいたトレーニングジャーナルに広告のあった専門学校を見学。

「就職の世話はしません、資格も特に取れません。勉強したいならどうぞ」

という斬新な?スタンスになぜか惹かれ受験を決意。
入ってみたら新卒者が半分程度という、年齢層の高い構成。
おかげで適度なゆとりと、自分でやらねばという緊張感だけはずっとあったような、、気がする。現在、専門学校ではスタンダードである日体協AT資格の認定校ではなかったため、受験することもなし。その分現場実習に出る時間は実に豊富でした。

その後、大学のアメリカンフットボールでのトレーニング指導や専門学校の非常勤講師、さらには体育施設でのトレーニング指導や施設管理などを経て15年ほど活動。ラグビーも高校生のサポートを中心にほぼ同年数、どこかしらに関わっていることになります。

社会人大学院

様々な形で活動をして10年以上経ったころから、大学院というものを意識するようになりました。違うことをしてみたくなったのか、その世界を覗いてみたくなったのか。しかし、研究をしなければいけない。さあ、何を研究するのか。研究という枠組みに沿ってやるべきことは何だろうか。
そんなことを考えている中で、ずっと活動していて身近にあったのは運動部活動でした。自分が関わっている環境は恵まれているということは認識していたけど、その実態は誰に聞いてもよくわからない、、、というところから研究をしてみようということで。

仕事をそのまましながら通えること、そして社会人経験がないと受験できないということから夜間の社会人大学院を選びました、しかも都内。さらに専門学校時代にも通った茗荷谷。
試験対策は修士を卒業した同級生にサポートしてもらったりして、どうにか合格。同級生のキャリアに驚きながらの2年間でした。

いずれにしても計画性というものが乏しいのは一貫しているかもしれません。思い立ったもの、響いたものに対してはちゃんと準備をするけど、いつか使うかもしれないから、、、がどうも苦手。
そろそろ、そうも言ってられませんが、好奇心に従ってきた人生であることは確かなようです。

読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。