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伊勢神宮への旅⑤(最終回)

順調な人生ってどんな人生なんだろう
いつからか順調な道からは
大きく外れてしまった
順調からは程遠い人生になっている

人間関係も、ずっと苦手で
順調だなんて思ったことはない
この先も不順調が永遠に続くんだと思う

思い返せば学生の頃から
人間関係には苦しんでいる
自分の普通と他人の普通に
あまりにも大きな溝があるからだ

学生の頃は、その溝を埋めようと
必死になって、もがいていた
みんなの思う「普通」という
感覚を追い求めていた気がする

徐々に大人になるにつれ
その溝は埋まる事はないと知った
溝を埋めようと必死になってしまう
そんな自分自身が滑稽にも思えた

それでも社会で生きていくには
我慢をしたり、無理をしたり
空気を読んだり、迎合しながら
日々を生きていくしかない

日本の社会では
協調性が強く重んじられ
謎のルールが蔓延している

長年その場に居続けている人や
声の大きな多数派の人たちが
ルールや常識を決めてしまう

その謎のルールに従わなかったり
そこから、はみ出してしまう者は
容赦なく排除されてしまうものです


個人主義で合理性や論理性を重視してしまう
そんな性格の自分にとって
集団行動や非合理や非論理的なルールには
いつも疑問を持ってしまう
そして当然、排除をされてしまう

集団の輪の内側から見える景色と
集団の輪の外側から見える景色は
驚くほど違って見える

どんなに異常なことでも
ずっとその輪の内側にいたら
異常は正常になっていくものなんだと思う

輪の外側から見る人間たちの姿は
とても恐ろしく感じるもので
その中で自分も当たり前に
生活をしていたと考えると
嫌悪感から吐き気がしてしまう

自分自身の信念を大切にしたい
損をする事は分かっていても
そんな欲求の方を優先してしまう

そんな我を通すと結果的に
当然、独りになってしまう
このサイクルを何回繰り返してきたんだろう

ここ数ヶ月、人間関係の壁に
ずっしりと悩まされていた
極端な話、この世界は自分には
合わないんだと諦めに近い気持ちになっていた

そんな中、母親からの
伊勢神宮への誘いがあった
希望の光のようなものを感じた
思いもよらない偶然という巡り合わせに
なんだか救われたような気分だった

今回、伊勢神宮へ行ってみて
何かが大きく変わったという事は
たぶん無かったと思う

リフレッシュはできたけど
人生が劇的に変化するような
特別な何かがあったわけではない

ここから新しいスタートを切ろう

帰り道の新幹線の中で
窓の外の流れる景色を見ながら
そんな新鮮な心境になれた

東京へ帰るのではなく
東京へ新しく行こうと
そんな扉が開けた感覚になれた

現在は伊勢神宮の旅から
1ヶ月が過ぎましたが
やはり生きていくのは苦しいし
人間関係は複雑で面倒くさいです

それでも新しいスタートを
始めようと心に決めたので
人間関係に対してストレスを溜めず
なるべく考え方を柔軟にしようと決意した

誰にでも好かれようと思ったり
誰とでも良好な人間関係を築こうと思ったり
もうそんな完璧を求めるのをやめる事にした

自分の気持ちを押し殺してまで
無理に誰かと繋がる必要はない
そんな人間関係なんていらない

なるべく人には親切にして
自分ができる事をできる範囲でやる
それで嫌われてしまったのなら
もう仕方がないと思えるようになった

できるだけ正直に生きて
そこで繋がれた人を大切にしたい
今はそれで十分幸せだと心から思える

決して順調ではない人生だけど
そんな不順調な人生の道を
楽しめるような人生を送りたい

それが伊勢神宮の旅で気付けた
大切な心得なのかなと思います

旅は色々な気付きを与えてくれますね
また何処か知らない土地へ行きたいです

読んでくれた皆さんありがとう❤︎

【後記】

新幹線の帰り道
大きな口を開けて眠ってる母親を見て
なんとなく家族っていいなと思えた
将来、自分に家族を持つような
そんな未来か待っていたら良いなと思った

それではまたCiao!

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