「うみねこのなく頃にがやばかった」19/07/26

はろー、来てくれてありがとう
落鼬と書いてらいちと読む、ぼくです。
前回の日記はただの曲の宣伝【ニアという曲を聞いてほしい】
明日の日記は【逆転オセロニア運営のここがいい!】

 今日の日記は「うみねこのなく頃にがやばかった」というもの。
結論から言うと、「小説は事実など虚構で塗り替えしてしまう」ちゃうけど、然しながら「事実は小説より奇なり」という言葉もその通りで。
 結局「事実も虚構も常にあってないようなもの」だった。という話。んでもこれ、滅茶苦茶難しい話になるから、なるたけ退屈しない話を目指すよ。

 僕は原作を読んでないから、アニメだけを見て書いてる。
 そしてかなり昔のアニメだけど、このNoteにはネタバレを含むよ。
 見たい方はこちらでどうぞ。


【うみねこのなく頃に のあらすじ】


 あらすじね、あらすじ。いや説明きついっすね。とりあえずプライムのあらすじはこれ。

「これは永遠の拷問。」 伊豆諸島、六軒島。全周10kmにも及ぶこの島が、観光パンフに載ることはない。なぜなら、大富豪の右代宮家が領有する私的な島だからである。年に一度の親族会議のため、親族たちは島を目指していた。議題は、余命あと僅かと宣告されている当主、金蔵の財産分割問題。天気予報が台風の接近を伝えずとも、島には確実に暗雲が迫っていた…。速度の遅い台風によって、島に足止めされたのは18人。 電話も無線も故障し、隔絶された島に閉じ込められた。 彼らを襲う血も凍る連続殺人、大量殺人、猟奇の殺人。 台風が去れば船が来るだろう。警察も来てくれる。 船着場を賑わせていたうみねこたちも帰ってくる。 そうさ、警察が来れば全てを解決してくれる。 俺たちが何もしなくとも、うみねこのなく頃に、全て。 うみねこのなく頃に、ひとりでも生き残っていればね…? 

 わかんね~~~!!!いやこれ話の全貌、何も分かんないっすね。もうちょっと核心に迫る感じで僕があらすじを書くとするなら、こうかな。

六軒島、と呼ばれる島で起こった連続大量殺人事件。その事件の真相は未だに不明であり、沢山の人が真相を解き明かそうとしていた。
しかしその事件はとある魔女により、永遠の拷問として、何度も繰り返されていた。右代宮戦人はその事件を何度も経験している犠牲者の一人で、彼はこの島から脱出するために事件の真相を突き止めようとする。しかしこの拷問の支配者である魔女にただの人間が勝てるはずもなく、戦人の心は折られていく。
 大切な家族が次々と無惨に殺され狂っていく悪夢の中で、戦人は果たしてこの事件の真相にたどり着き、全てを覆すことが出来るのだろうか。

 うーん、どうだろう。結構分かりやすいと思うけど。
 ちなみに、今回はストーリーについてはほぼ触れないよ。感銘を受けたところだけ抜き出して語って、どう思ったかを書いて終わろうと思う。
 なので見てない人はほんとに「?????」という感じになるので、そこだけご注意お願いするね。


【魔法も奇跡もあるんだよ】

 ねぇよ。魔法なんてねぇよ。
 
はい、無いんです。どこにもね!
  うみねこのなく頃で一番感銘を受けたのはこの部分なんだよね。
 「魔法は信じた者だけが観られる」
 だから信じないものには観ることが出来ない。僕は魔法を信じていない。ゆえに、魔法なんてねぇよと言い捨てる。
 しかし、魔法は存在すると言い切る人には、魔法が観えるのだ。すごい。ではここで魔法を使える人を彼と仮定して、彼の紹介をしてみよう。

彼は口から火を出すことが出来るし、手を叩くだけで灯りを付けることが出来る。空だって飛べるし、新幹線と同じ速度で移動出来てしまう。彼は過去を観ることを難なくこなし、さらには未来へ行くことさえ成し遂げる。話すだけで相手を「自分のことが好き」と思わせるのだって彼なら出来るだろう

 彼はまるで魔法使いだ!でも、魔法は存在しないんだよ。
 何故なら、上の文を補完すれば全て僕だって実現可能だからさ。

僕は(火炎放射器を口に入れた状態でなら)口から火を出すことが出来るし、(音に反応してスイッチを入れるマシンのおかげで)手を叩くだけで明かりをつけることが出来る。(飛行機に乗れば)空だって飛べるし、(新幹線に乗れば)新幹線と同じ速度で移動出来てしまう。僕は(カメラを持つことで)過去を観ることを難なくこなし、さらには(最初からずっと未来へ行くように生きているのだから)未来へ行くことさえ成し遂げる。(印象操作や相手への配慮を限りなく行えば)話すだけで相手を「自分のことが好き」と思わせるのだって僕なら出来るだろう。

 書き方伝え方で、事実を捻じ曲げて伝えられてしまう。そして文字や言葉は受け取り方ひとつでその意味を全て塗り替えてしまう。
 こじつけ?屁理屈?詭弁?そんなもの全部クソくらえだ。これが事実であり、言い逃れられない現実なのだ。主観が違うという話は以前した。だから僕の言葉が真実であり、それを偽と捉えるのもまた真実なのだ。
 うみねこのなく頃では26話もかけて、これを伝えたかったのではないか?僕はそう思った。そして僕はそのことにとても感動した。

 殺人事件は間違いなく起きた。しかしそれを魔法のせいにしてしまうことで、事実の隠蔽が出来てしまう。全ては魔法による殺人であり、悪魔も存在した。魔女は扉の鍵を無視して部屋を出入りするから、密室殺人も平気で起こせる。そこに犯人がいなかったという事実をでっちあげることも、そもそも誰も死んでいなかった状態にすることさえ出来た。
 だが、殺人事件は全て計画的犯罪だと推理してみる。魔法なんて存在しないと仮定する。だから密室殺人なんて必ず起こり得ない。真相があり、それを追うためにはどんな嘘にも騙されてはいけない。
 「アニメの映像すら虚構で出来ているのだから」
 赤き真実のみで構成された事実だけで話を観ないと、魔法の存在を肯定してしまう。

 僕はまぁ、こんな高度な話を書いた竜騎士07さんと、それを表現しようと努力した委員会のみなさんに感服した。スゲぇわ。
 ぼくはまだ真相という答えにまでは追いつけていない。だからストーリーの考察とかは出来ない。それも含めて感服しているんだけどさ。
 こいつら天才かよ!って素直に思ったよね。


【描写してない部分は想像し放題】

 「想像の余地を残す」という言葉がある。それによく似た言葉に「説明不足」があるね。言葉の意味は違うかもしれないけど、起こっている現象は同じだね。
 描写されていない部分その全てが、受け取り方ひとつで狂ってしまう。
 うみねこのなく頃にでは、こんなシーンがあった。

とあるキャラが銃を向けて、相手に発砲した。しかしその弾は相手に命中することなく、そのキャラの額に弾が命中することになってしまう。相手は銃なんて持っていなくて、静かな顔をしているだけだ。

これね、僕は「以下の事象を魔法で塗り固めただけ」だと思うんだ。

 とあるキャラは相手に銃殺された。

どうだろう。結果として残る言いたいことはこれだけのはずなんだよ。でも、その経緯を真実として語っていないから、なんだって描けてしまう。ぼくらはそんな魔法を観せられている。
 まぁ、うみねこの場合は「真実以外は想像し放題」という感じでやっているから、今回の題名とはちょっとズレるけどさ。
 ともかく、この考え方がどれだけやばいことかっていうのが今回言いたいこと。
 例えば自分がバスに乗り遅れて遅刻したとする。そして友達に「ごめんね、バスが遅れちゃって」と言ったら、友達は「えぇ、バスがハイジャックでもされたの?」とか言えちゃうんだよね。んなこたぁあり得ない話だが、でも想像できてしまう。
 想像出来てしまうんだよ。
ヤバいクレーマーとかモンスターペアレントとかも、結局想像出来ちゃうから言えるんだ。どんな被害妄想でも、作り上げてしまえばやりたい放題だ。さらに、それを相手に信じさせてしまえば、勝ちだ。
 限られて空間の中で、魔法だけで出来上がったものを信じる人が過半数以上いれば、魔法が現実になるんだよ。
 これをゲーム化したのが人狼だね。嘘を作り上げて信じて貰えば、それが本物になる。なかなかやばい世界じゃない?見えない真実は想像し放題だからね。知らないことも想像ででっちあげちゃえば、全てが虚構になっちゃう。
 うみねこのなく頃にもさ、本当は全然違う話だったのかもね。でも僕が観たという既成事実を作り上げて、今ここでこんなNoteを書いているのかもしれない。読者は「作者が本当にうみねこのなく頃にを観た人」かなんて知らないからね、おまけに読者が「うみねこのなく頃にを観てない人」なら僕はなんでも書き放題だ!
 ま、誰にも信じて貰えなければ、その事実は自分の中でしか存在出来ないんだけどさ。
 というわけで、この世界は結局虚構塗れで、知らないところは知らないままで、同時に全てを知っていられる、そんなあやふやな世界だった。というお話でした。


【結局自分の経験だけが真実】

 じゃあそんな虚構塗れの世界なら、何を信じればいいのだろう。
 ……そんな問いは、投げる必要ないだろう。僕たちはいつも、何を基準に物事を信じているのだろう?
自分の知っていることだけだろうさ。
 自分が見て、聞いて、感じて、覚えた、その経験が、自分の信じられる限界だ。その域を出た途端、人は信じられなくなる。
 現場にいなくとも、同じ現象を過去に体験していて、現場の情報が自分の体験と一致しているならば、その現場を信じることが出来る。
 そんなことない?本当に?残念ながら、僕はその事実しか知らなくてね。たとえ反論が出たとしても、僕はそれを信じることが出来ない。僕も結局、知っていることしか信じられないのでね。
 うみねこのなく頃に の戦人も、同じ感じで魔法を否定したね。「魔法を見たことがない」から信じない。信じられない。どれだけ魔法と相手が言おうと、自分が知らないから否定する。
 対照的に魔法を信じた人は、目の前の事実を経験と変換したわけだ。「理解できないものを魔法と呼ぶ」という経験を得たのだろう。それは思考の放棄であるが、同時に知らない事実の創造でもある。
 もしかしたら、経験というのも想像で作り上げているのかもね。
自分が5感で得た情報から「事実」というものを想像し、その事実を元にして作り上げた「経験」という想像でつくったものを貯蓄し、その想像から人は物を信じる信じないを決定し、信じたものをまた経験とする。
 この仮説が正しいのなら、誰もが自分の好き勝手に事実を作り上げていることになるから、そりゃぁ人を信じるのは難しいだろうさ。大変だ!
 ……なんの話をしたいんだろう、僕。
 僕は、自分の知っていることしか信じることが出来ないから、その事実を元にして「経験も知らないことを想像しているのと同意義」という想像をした。そしてこれは僕の中では真実になり得るため、信じることが出来る。
 でも僕は今まで自分の考えを認めてくれる人が少ない、なんていう経験(想像で作ったんだろうね)があるから、僕はこの信じた仮説をみんなが信じるとは思いにくい。
 つまり、僕が言いたいのはこれだ。
 「人は自分が想像したことのなかで、事実だと認識したものだけを使い、それを信じる材料にしている」
 だからある人が信じられるのは、自分の記憶にあるものだけだ。


【というわけで】

 だから「うみねこのなく頃に」はすごいんだ。
最初に事実だと信じさせる映像を流し、信じてもらう。
だけどそれは全て信じられない虚構ばかりのものだと明かす。
でもその虚構にはちゃんとした真実が存在する。
そして何を信じればいいのかわからなくなる。
全てを疑うことになるし、全て本当に見える。

これを映像で表現した委員会に、本当にすごいと賛辞を僕は送るよ。
素晴らしい思考の話だったなぁと、素直に思った。
そのうち原作のゲームをやりたいし、やったときはまたこんな感じで書きたいね。
……今回はうみねこのなく頃にの話、あんまりしなかったね。
まぁ話したかったところは話せたので、よしとする。

明日は「逆転オセロニア運営のここがいい!」について書くよ。
僕がかなーりハマったソシャゲの話だね。明日も長くなりそう。
ではでは、呼んでくれてありがとう。またね!


著者 :枯野 落鼬 (からの らいち)
Twitter:【@Lyche_e
Pixiv :【https://www.pixiv.net/member.php?id=2982856
Skeb :【https://skeb.jp/@Lyche_e
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「らいち」です。

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受けた刺激、作った作品、日々の考え……とかを毎日書くやつだね。 僕の頭の中を整理したい、作品として世に出したい、この2つの目的があるよ。 僕は人にアピールするのが苦手だからね、そこを頑張るよ!

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