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読書連想駄文 『グッド・フライト、グッド・ナイト パイロットが誘う最高の空旅』

書籍:『グッド・フライト、グッド・ナイト パイロットが誘う最高の空旅』
著:マーク・ヴァンホーナッカー(岡本由香子訳)
早川書房

 「金子みすゞ現象」というものがある。あるとは言っても、僕が感じて名付けているだけなので一般的な話ではない。
 『私と小鳥と鈴と』という詩は小学生時分に国語の授業で出会ったが、20歳にコショウを少々かけた年齢になっても、事あるごとに「金子さんの言う通りやん」と腑に落ちることが多々ある。腑と恋にはいくらでも落ちて良い。

 人がおすすめする本は、十中八九面白いと相場が決まっている。メーカー希望小売価格に従順に販売している小売店のようである。
 手に取ったことのないジャンルや、著者、出版社の本を紹介してもらうと、それだけで面白い。本屋さんの回り方が人それぞれで違うのであろう。各々が好きな本を探して本棚を物色する。もしも頭の中に、「運命の本が見つかる宝の地図」があったら、各自の「宝の地図」を照らし合わせてみると、本屋さんに陳列されているすべての本が宝物であることがわかるであろう。
 異なる地図を持つ人が見つけたお宝を見せてもらい、その輝きに心を奪われるとは、なんと平和なことであろうか。みんな違ってみんないい。みんなにとって良いものが違って、それもみんないい。

 「空」を想像すると、ほとんど青空を描くが、あの冬の日はおそらく曇っていた。
 プラハから2時間とそこらの時間を電車に揺られて南東の方に進むと、ブルノという街がある。チェコ第2の都市ということで、日本で言えば大阪みたいなものだ、と日本好きのチェコ人に聞かされていたが、規模感は奈良といったところである。

 もともと、プラハの友人(仮にKとする)と一緒にブルノの友人に会いに行く予定であったが、Kがお腹を壊し、いや、正確には「Kのお腹が壊れてしまった」ために1人で向かうこととなった。
 鉄道の車内は閑散としていた。リクライニング機能がない座席と簡易テーブル、チェコ語で停車駅が表示される液晶画面、そして、乗り過ごすとオーストリアまで言ってしまうという一抹の不安があった。

 チェコ国内を鉄道で移動したことがある人なら誰でも目にしたことがあると思われるが、狭い国土に対して、街と街の間には自然が非常に多い。僕は、飛行機、新幹線、在来線、路線バス、乗り物はなんでも左の窓際が好きだ。いつも通り顎を支える左手と車窓の奥には、文明的なものが見つからない土地が際限なく広がっていた。そんな景色の流れがほとんどの乗車時間を占めていた。
 イヤホンをつけて音楽を聴き、頭の中でしんしんと現れる雑多なことを走り書きし、タンブラーにいれた紅茶を飲みながら文明の気配を感じない雪原を眺めたことを覚えている。

 ブルノに到着すると、中央駅が改修工事中ということで、野ざらしの、およそ国境を越える車両が発着するとは思えない駅に降り立った。朝の11時頃であった。
友人と落ち合い、昼食を食べた。人生で初めてギリシャ料理を口にしたが、チェコでギリシャ料理を食べた日本人がこの世にそれぐらいいるのだろうか。機会があれば是非会合を開きたい。

ブルノを訪れた理由は観光ではなかった。観光でなくともそれらしい場所を訪れるのが慣行であるが、本当にどこへも行かなかった。寒さしのぎに通過したショッピングモール、ギリシャ料理のレストラン、洒落たカフェ、そして、お目当てのハチミツビールが飲めるお店、これだけである。
ブルノはモラヴィア地方であるため、どちらかというとワインを飲む場所である。ボヘミアのビールの都市から訪れてビールを飲むというのはいささか不可思議であるが、つまるところ人に会いに行ったのである。

結局ビールの味も、ギリシャ料理の味も、カフェオレの味も特に覚えていない。ただ、20時ごろの静かな、ほとんど人通りのないブルノの街を歩いたこと、帰りの鉄道でSPECIAL OTHERS ACOUSTICの“Telepathy”という曲を聴いたこと、丘の空気のように綺麗な言葉を遣う彼女と話して、立派な大人になろうと思ったことは覚えている。

綺麗な言葉を遣う人が紹介してくれる本もまた、車窓の向こうの、真っ白でどこまでも続く地平のように濁りのない、遠くまで行ける言葉に溢れていた。

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