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安冨歩「生きる技法」を読んで

こんばんは。今回は読書感想文を書きたいと思います。正直本書は結構癖が強く、作者の人生(特に親子関係)を交えながら生きていくための考え方や価値観、言葉定義の見直しなどが書内で行われております。

1、自立について
2、友だちについて
3、愛について
4、貨幣について
5、自由について
6、夢の実現について
7、自己嫌悪について
8、成長について

という8つのテーマでそれぞれ語られており、本の帯には『「助けてください」と言えたとき、人は自立している』と書かれております。そもそも本書を手に取った経緯としては上司に勧められたから、なのですが、今回読んでみての感想をこちらに書き、また上司に読んだ感想を伝えたいと思っています笑

とはいえ本書の定義をそのまま書き連ねてもよくないと思いますので、ここでは衝撃を受けたいくつかの言葉を自身の感想と共に書いていこうと思います。

自立とは依存することだ。

☆依存する相手が増えるとき、人はより自立する。

こちら自立という言葉自体、「自ら立つ」と書くので、衝撃ですよね。作者の安冨さんはこの定義の話をする上で、自身が「ずっと死ぬほど不幸でいつも自殺を考えていた」「よくぶつぶつと死にたいと独り言を言っていた」と書かれております。

実はこれ、ここで書くのはお恥ずかしいのですが、私自身感受性が豊かというか、過去の嫌な出来事をいつまでも思い出してしまうタイプであり、口癖のように「死にたい」と言ってしまう安冨さんの癖はかなり共感いたしました(もちろん私は本当に自殺したい!なんてことを思ったことも自傷行為をしたこともありませんが)。私は浪人時代はなぜか集団に嫌われて疎外されたり、前職ではパワハラの連続で、自己嫌悪に陥ってしまうこともしばしばあったので、そういった思い出を辛く感じてしまうことが度々起こるのです。

さて、自立の部分の感想に入る前に、本書の「友だち」というワードの定義も非常に面白く、そちらを前提として紹介させてください。「友だちとは、互いに人間として尊重しあう関係にある人のことである=お互いの真の姿を常に探究し、勝手な像を押し付けないということ」と書かれています。安冨さんはこうした定義の友だちとの出会いが自己のしがらみを脱することにつながったと語られております。

この部分に関しても非常に共感が大きかったです。なぜなら私自身も、上記自分の辛い過去を脱することができたのは上のような定義にあてはまる友だちが何人かそばにいてくれたからだと思います。

自立した人というのは、自分で何でもする人ではなく、自分が困ったらいつでも誰かに助けてもらえる人であり、そういった関係性のマネジメントに長けている人のことだ、ということに気付きました。

マネジメントというと今の会社組織では「人を管理する」という意味合いにも受け取られてしまうので気持ちが悪いですが、親や友人など自身の周りに本当の意味で助けてくれる人=自身が自立することに繋がる人がどれくらいいるのか?考えてみたいと思いました。

愛は自愛から発し、執着は自己愛から生じる

☆人を愛するためには、自分を愛さなければならない。

他人を愛することは、自分を愛することによってはじめて可能になります。

では、「自愛」とは何なのでしょうか。実のところこれは、積極的に定義するのが難しい概念です。「自分を嫌っていない」状態が「自愛」です。人間は本来、自分が嫌いではありません。自己嫌悪に陥っている赤ちゃんを見たことのある方はいないでしょう。
人間は成長し、他人との関係を取り結ぶために、多くのものごとを身に付けねばなりません。この身につけるべきものは、自分の中にはなく、外にあります。自分の外にあるものを身につけるとき、自己嫌悪の種が生じるのです。自分の内にないものを「すばらしいもの」「正しいもの」と思いこみ、それを帯びていない自分を「つまらないもの」「間違ったもの」と思ってしまうのです。

私たちは20年間教育というものを受けてきて、慕うべき先生から学歴の重要性を教えられてきました。私は所謂MARCHと言われる大学に入学し卒業した形なのですが、まさに、引用した上のような考えに基づいて、学校を選んだといっても過言ではありません。高校は偏差値30とかの場所だったので、強い学歴コンプレックスを抱いてましたし、良い大学にいくことを「義務」のように捉えておりました。

本書では先の引用の次の定義で「自愛は、自己嫌悪から離脱することで実現される」と書かれておりますが、自分の内にないものにばかり羨望の目を向けて欲していては、いつまでたっても自己嫌悪の檻の中から抜け出すことができず、自分を愛せないことになると考えさせられました。

ただ、人は競争の中に生きる生き物だと私は考えています。学歴社会や大手企業への就職・年収比較など、つい競争的な目線=つまり、強者を羨ましいと思う気持ちは往々にして生じてしまいます。

本書でも書かれておりますが、「自己嫌悪している自分」を嫌悪しても何も生まれず、「悩むのをやめて、自分が感じていることに眼を向ける」ことが必要とのことなので、それも挑戦していきたい!と思いました。

※かなり話はそれますが…
YouTuberのEvisJapというグループがいます。UPしている内容は賛否両論あると思うのですが、そこに所属している元リクの森山さんという方が動画内で「自分のことを好きになる方法」というタイトルの動画をあげているのですが、この方法が本当に良いことを伝えてくださっており、本書の話にも似ている部分が多々あるので、ご興味あるかたは是非ご覧ください。

人生の目的とは、その人自身の「道」の究極点である

人生の目的を、言語化することはできませんし、「これが私の人生の目的だ」と認識することすらできません。いま道にしたがってある方向に伸びれば、その伸びた状態で進むべき道はまた違った方向を指しているはずなんです。それゆえ、いま見えている道をずっと延長したところが究極点というわけではありません。ですから、自分の人生の究極点を見極めることなど、そもそも不可能です。
ではそんな認識することもできないようなものを「人生の目的」と呼ぶことに、何の意味があるというのでしょうか。第一に、「人生の目的」を記述可能で認識可能なものだと思い込むことから、抜け出す、という意味があります。そのように、何か言語化できるものとして、人生の目的を設定してしまうことは、自分の感覚を裏切る第一歩にになります。
第二に、「人生に目的などない」という否定的表現は、虚無主義に結びついてしまいかねないのに対して、「人生の目的はあるのだけれど、それは見えない」と考えるほうが、生産的だと思うのです。・・・(以下略)

この言葉は私にとって非常にすっきりするものでした。もちろん「考えなくて良い」と言われてるわけではないと思うのですが、将来どうしたいのか?何がしたいのか?などの言語化を会社内で非常に求められている私にとって、少し気持ちが楽になる言葉でした(もちろん人生の目的というほどたいそうなことの言語化を求められているわけではありませんが)。

もちろん見つけていきたい!どうなっていたい!という考えはしっかり持つ一方で、今歩んでる道を着実に進んでいきながらゆっくりと考えていきたいと感じました。

短いですが、以上となります。本当に今回は「書いてあったこと+感想」しか書いてなく、情けない文才だと感じてしまうのですが、自分が共感したことや大切にしたい言葉は記憶の中に残しておきたかったので書かせていただきました。定期的に更新しておりますので、フォローなど宜しくお願いします!

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