『日本の学術予算は実は簡単に増やせる』という話
月末恒例記事連投、3つ目はタイトル通りの話をしたいと思っています。日々ネットのSNSで学問関係者の呪詛の声を見ることになっている日本の学術予算は、ほんとうは簡単に増やせるはず・・・という話。(その話だけをするつもりで書き始めたら、思いがけず話が転がっていって、この日本社会に蔓延するその他の色々な機能不全をどうやって解きほぐせばいいのか・・・という深い話にも繋がる力作記事になったので、良かったら最後まで読んでいってください)
最初に言っておきますが、これは最近ネットでよくある
みたいな話ではありません。(ただ難しいんですが私はいわゆる”MMT”に反対しているわけでもないんで、そういう話が読みたい方は以下のリンク先記事↓をどうぞ)
今回の話は、「国債発行についてのあまりに非伝統的でアグレッシブな方策」を取らないとしても、それでも十分日本の学術予算は「その気になりさえすれば」さっさと「全部のせ」ぐらいに増額できる余地はある・・・という話です。
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1●日本の学術予算は危機的な水準に削られていて、技術立国も風前の灯火である・・・のはみんな知ってますよね?
日本の学術予算が危機的な水準で削られ続けている・・・という話はいろんなところで既に書かれているので、皆さんなんとなく知っていると思います。
もちろん今「日本の学問界」の中の人だったらもうこれは切実な問題として毎日感じてますよね?
中国政府がマトモな研究環境と潤沢な報酬を用意して世界中から研究者をリクルートしまくっている「千人計画」に対して、それに文句言うよりもまず日本の研究者の待遇をマトモにしろよ・・・という、モットモすぎる話も先日SNSでめちゃくちゃシェアされていました。
色んな人が言っていることですが、”多くの”人は母国ほど暮らしやすいところはないわけで、「マトモな研究環境とマトモな給料と安定した身分」さえあるんなら誰も好き好んで中国に行ったりしないよ・・・て話なわけですからね。
で、ネットのSNSには毎日のように呪詛の声が溢れかえっているのに、なぜこの問題は解決しないんでしょうか?
ってなんとなーく思っちゃってませんか?
しかしね、腐っても世界第三位の日本政府の予算規模って、やっぱり舐めちゃいけない大きさあるんですよ。
この話は昔私の著書でだいたいの試算を書いたことがあるんですが、その後に私の外資系コンサルティング会社時代の大先輩の安宅和人さんの「シンニホン」を読んだらもっともっと詳細かつわかりやすく図示してくれてて「さすがすぎる・・」と思ったのでそっちを引用させていただきます。
こういうのをコンサルが何に対してもまず作る「ウォーターフォールチャート」っていうんですが、2016年というちょっと古いデータですが、社会保障費の規模感が膨らんだだけで比率的にはこんな感じのままだと思います。(去年はコロナがあって特殊になってると思いますが)
凄い数字が並んでいますが単位は「兆円」なので、つまり社会保障費も含めた毎年の日本国の予算は「170兆円」近くあるってことですね。
上記の図の意味を隅々ちゃんと説明するのは時間かかるのでしませんが、ポイントは普通に「一般会計」と言った時には出てこない社会保障費部分も含めた全体像を見た時に、医療費に税金から補填している分がかなりあるので、実質的には社会保障費だけで毎年120兆円ぐらい使っているんだ・・・ということですね。
最近、「日本はどうせ自民党のお友達しか助けてもらえない国家なんだ!」とか言うツイートに凄い「いいね」がついているのを見たんですが、これ↑を見ると、特に超高齢化社会の医療費補填には、もう金に糸目をつけない・・・っていうぐらいお金を注ぎ込み続けている、決して日本政府は「お金を福祉に使っていないわけではない」ことがわかると思います。(もちろん行き届いていない点があちこちにあることを批判して改善していくことは大事なことですけどね)
で、こういう「百兆円」とか「二百兆円」とかいう数字が並んでいる中で、足りない足りないと言われている学術予算ってどれくらいなんでしょうか?
これはいろんな費目にバラバラになっているのですが、このサイトによると総額4兆円ぐらいらしいです。
なんか、上記サイトなどを見ていくと、総額として日本の科学技術予算はそれほど低いわけではないのだ・・・という主張にも出くわして、いろんな国際比較表が出てくるんですが・・・
たぶん「総額としては確保できているけど色々と配分に問題があってうまく機能していない」要素も結構あるんだと思います。そういうのを細かい具体的な話をして解決していくのも大事なことです。
ただそれ以上に、さっきの安宅さんの本に書いてて凄いいいなと思ったのは、
「世界第三位の経済大国日本の学術予算が”各国並みでそれほど劣ってないです”」というレベルでいいのか?
って話ですよね。
これからも技術立国で繁栄していくんでしょう?気候変動その他の人類的課題に貢献していくんでしょう?
「各国並み」じゃなくて「日本の学術予算はさすがだな」ってぐらいじゃなくていいんですか?
彼の本によると、
そうで、つまり考えられる限り野心的になってアレコレ考えてみるアイデア・・・を「全部のせ」にやっても、「さらに2兆円」あれば足りるという話らしい。
そうすれば、ネットの呪詛の声が吹き飛んで、次々と新しい可能性が日本中の大学から生まれてくるであろう、だいたい「世界一レベルに対抗できる研究環境」をあちこちに作れるようになる。
そして、「2兆円」って聞くとめっちゃ大きいように見えるけど、さっきのウォーターフォールチャートを見ると「社会保障費120兆円」を考えるとそれでも
たった2%
なんですよね。
彼も、「丁寧に見直していって2%も動かせない予算というのはほとんどない」と言ってますけど、それは私も同意です。
別に1%だったとしても1兆円なんで、たとえばあれだけ大騒ぎしている「科研費」とかは数千億円ぐらいでしかないことを考えると物凄い増額になりえるわけです。
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2●要するに”やる気の問題”なんだと知ることが大事な一歩
だからここまでで何が言いたいかっていうと、日本の学術予算が足りない足りない・・・っていうのは、要するに「やる気の問題」っていう程度のことなんだってことなんですよ。
本気で学術予算が国民の未来のために必要だ・・・っていう「気運」があれば捻出できる程度の予算なんですよ。
こういうのって、「どれくらいの感覚なのか」っていうのを知っておくのは大事ですよね。
・・・っていう状態のまま宙ぶらりんになっていると不安になりますけど、ここまで見たらわかるように、
・払ってもらったら破産しちゃうレベル
なのか?
・毎月ちょっと節約してくれたら十分まかなえるレベル
なのか?の
どちらなのか?
で言うと、
明らかに後者!(毎月ちょっと節約してくれたら十分まかなえるレベル)
の方なんだ・・・っていうことを、まずこの記事を読んだあなたには理解してほしいんですよ。
でもこういう予算って、惰性があるからね。
なかなか、「腹を割って話す」みたいなことがないと、うまく組み換えできないじゃないですか。学費の話でもね。
みたいな「対話」をちゃんとやれさえすれば、
”世界に冠たる”というレベルの研究予算を来年からでもつけられるぐらいの余力は日本政府にはある。
しかも、
ってことなんですよ。
ただ、そうはいってもさ、こういうのってちゃんと「真心こめて話す」みたいなこと大事じゃない?
でも日本の学術関係者の人ってネットで恨み言ばっか言ってるの、ちょっとどうにかならないかな?って私は毎日思ってますよ。
お金出してもらうんだからさ、ちょっと頭下げて神妙な顔するぐらいしなよ・・・ぐらいのことは凄い思いますよ。
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3●「学問」と「人間社会」の間の関係性をちゃんと問い直すことが必要
で、そういう
みたいな対話をもっと大々的にやっていくためには、もっと深い意味では、
「人間社会にとっての学問とは?」
みたいなことを、ちゃんと問い直す・・みたいなことがもっと必要だと私は感じています。
というのは、ここで「学術界の独善性」みたいなのを、神様レベルで認める流れでアメリカはやってきて、そしたら国全体が完全に二分されてしまって、トランプ派とそれ以外では全然話が通じない大混乱状態になったりしてるじゃないですか。
日本はまだまだ、日本人なら同じラーメンと漫画とコンビニを共有していて・・・みたいなところがあるので、アメリカほどの混乱にはなってない。
アメリカみたいに「学術関係者の全能感と優位性」を他の人々に対して過剰に認める感じでやっていくと、だんだんそれを支える社会との分離が激しくなってきて、社会の混乱が「もうこんなのだったら中国みたいな強権でやるしかないんじゃないか」みたいなレベルになる民主主義の存亡の危機みたいになってくるわけですよね。
だから、「学問を称揚していくためにこそ、学問というものをある程度相対化してちゃんと見られる冷静な視座」みたいなのを社会の中に用意しておくことが大事なことだというか。
アカデミア(学問界)だけに全知全能の権利みたいなのを認めていくような価値観でやっていくと、例えば感染症対策でもアメリカCDC(感染症対策センター)って超凄いらしいじゃん、日本は保健所とかのローテクに頼っててダメだよね・・・みたいな話にどんどんなっちゃうんですよね。
でもその「コロナ対策の成績表」を見たら、いくらCDCにいる人がめちゃ優秀だったとしても、結局たとえば検査をやるとなったらその手足となってくれる組織の実直さが重要で・・・アメリカは世界ぶっちぎりワーストNo.1みたいになっていて。
そういうところで、
ちゃんと保健所の現場の人たちへの敬意も失わないような文化を醸成していくことと、学術予算を日本でも増やせる気運を高めることは、表裏一体の現象であるはず
なんですよね。
自分たちの価値を認めてなくて心の底でバカにしてるようなヤツのことを尊重して予算をつけてやろうと思うヤツなんていないですよね。
「現場」や「古い社会の伝統」みたいなものと、「アカデミズム」みたいなものが、それぞれがそれぞれの知性の形なのだ・・・というような尊重精神をお互いに持てるような状況に持っていくこと
が、日本社会が気持ちよく、
的な風潮を作っていくために一番重要なことだと思います。
でも今の学術関係者はほんと逆のことやりまくって「日本」を呪詛しまくってるからね・・・ほんとそれ、みんな「見てる」んだぞ、ってことを知っておいてくださいよ。
心のなかでどう思っていようといいけどね。アメリカじゃあアカデミアの人間は他のどーでもいい奴らよりよっぽど尊敬されてるのに日本は・・・って思うかもしれないけどね。
でもそういうふうな態度でアメリカは運営しているからこそ、トランプ派との対立で国中が崩壊の危機にまでなってるわけじゃないですか。
そこに「相互的な尊重関係」を作ることこそ、科学に関係する人が真剣に考えていくべきことではないでしょうか。
その「信頼関係」さえちゃんと立ち上げれば、
ってポーンと出してもらえるぐらいの余地はありますよって話なんですね。
で、そのためには、罵り合いばっかりしてないで、ちゃんと「お互いの事情を理解する対話」が必要なんだっていう話なんですよ。
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4●「党派性」から脱却した対話を・・・
今日アップしたもう一個の記事↓は、
日本のコロナ対策の混乱は、党派性が「具体的な細部の検証を一緒にやっていくこと」を難しくしてしまうために、結局昔の惰性で一番保守的な見積もりで我慢することになってしまうんだ・・・っていう話でした。
たとえばこの図みたいに・・・
医師会が悪いんだ、自民党政府が悪いんだ、厚労省が悪いんだ・・・的に「戦犯探し」をしてないで、病院同士の連携関係どうしたらいいのか?についての具体的な話をちゃんと詰めていけば、ちゃんと無理なく医療リソースの振り分けの最適化だってできるようになってきたわけですよね。
さっき、総額としての日本の科学技術予算GDP比は決して低くないという分析結果も結構ある・・・っていう話が結構見つかるって話をしたけど、それもたぶんそういう「対話」をちゃんとできていないので、どこかで振り分けが混乱してるんだと思うんですよね。
チラホラと、競争的資金が増えすぎて、年度末には余ってて無理して使っちゃう研究室がある一方で、安定した身分が手に入らなくてジプシーになってる若手がいる・・・っていう話を聞きますよね。
そういうのも、「戦犯探し」をして騒ぐよりも、今回の医療リソース振り分け問題について主流メディアや一部野党議員が「覚醒」して「具体的な細部の話」を詰められるようになったような「対話」を、日本社会全体で起こしていければ解決できるはずのことだと思います。
なんというか、日本社会のがわの「事情」って、なかなか可視化しづらい、言語化しづらいところがあるからね。
いろんなアカデミアの全能感に厳しかったり、ジェンダー的な改革に躊躇していることは「それ単体で見るとどう考えても愚鈍」に見えるけど、結果として20年たってみたら日本はアメリカみたいな絶望的な分断には陥らずに済んでいる・・・みたいな「美点」はあったりする。
もちろん、だから「我慢しろ」っていう話じゃなくて、そういう風に「今のアメリカのあり方」とは違うレベルでの日本の国情の細かいところまで「対話」で引き出し合っていけば、スルスルと進むところを・・・
みたいなことをSNSで言いまくるのはお互いのためにやめたほうがいいぜ、ってことですね。
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5●「紋切り型の罵り合い」に発展する手前で解決しよう
こういう「相手の話を全然聞いてない罵り合い」っていうのが日本中で起きていてですね。もう「その中身」じゃなくて「イデオロギー的な紋切り型」しか見てない感じになってるんですよね。
例えば今、兵庫県養父市っていうところで、企業が農地を所有できる特区の規制緩和が行われていて、これを日本全国に転換するかどうか・・・でモメているんですね。結局その規制緩和の全国展開は見送られる方向みたいなんですけど。
で、こういう問題があるとみんな脊髄反射で、
か、
か、どっちかに吸い寄せられて誰のためにもならない罵り合いを始めることになるんですけど・・・
ただ、私がクライアントの農家のおっちゃんと色々と議論したところでは、問題はそういう「図式的対立」で回収できるようなもんでもないんですね。
というのは、今だって企業が参入しようとすればいつだってできるぐらいは緩和されているんですよ。
今回の規制緩和は農地を「購入」する場合の問題だけで、土地リースで参入するなら今やほとんど規制がないぐらいらしいです。
で、今回の特区の全国展開の話でも、この農地法改正に関する農水省の資料を読むと、
っていうことらしいです。実際養父市の規制緩和が全国展開されなかったのも、結局リースで参入している企業がほとんどだったので、それだったら今の規制状況でも十分じゃんって話になったからだそうで。
で、こういう「問題」がある時に、延々と
「抵抗勢力ガー!」vs「強欲な市場原理主義者ドモガー!」
みたいなことを延々と罵り合っている人たちは何を見てるんだ?って話じゃないですか。
実際に養父市で結構企業参入が進んで、耕作放棄地になってしまっていたところに新しい営農者ができたのは確かだそうなんですが、そうなった理由は
・規制緩和をしたから・・・ではない(もともとリースでなら問題なく企業参入できていたので)
んですよね。そうじゃなくて
・市長が旗振りをしていろんな人の利害を調整して具体的な細部の話を動かした
から実現してるんですよ。
ここで「しょうもない党派争いで、10年前からずっと同じ話を延々と続ける」のをいかにやめられるかが大事なんですよね。
実際、「全部がイデオロギー闘争に見える病気」の団塊世代が引退してきて、現役世代の農業従事者で企業を敵視してる人なんてほとんどいないですよ。
っていうのはもう現実として耕作放棄地が増えまくってて何かしないといけないのは明らかすぎるからです。
外野が「既得権益ガー」vs「ネオリベどもが食という聖域まで資本主義に毒させるのを許すなー」みたいな無意味な空論で罵り合いを続けるのはもうやめるべき時期に来てるはずなんですね。
そういう「図式的対立」に持ち込まずに、単に養父市で起きた「成功事例」を横展開できないか、農協的な組織も巻き込んで一緒にやっていく「風潮」を作っていくほうが多分スムーズに進むはずなんですよ。
もう実際「抵抗勢力」みたいなのがそれほどいない時代になりつつあって、「抵抗勢力がいるからダメなんだ!」的な竹中平蔵的ファイティングポーズは幽霊相手にボクシングしてる感じになってきているというか。
むしろ、「ゆるキャラ」が知らない間に日本全国で真似されている・・・みたいな感じで、「ほんとうにいいもの」を「対立構図に持ち込まずに紹介」されていけば、勝手に全国で広まる・・・というのが「日本的」な成功パターンであるように思っています。
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6●日本は「役に立つ分野」ばかり優遇されている・・・は本当か?
で、ここまでは「日本社会に変化を迫る側」がちゃんと「日本社会の事情」を対話的に読み出せるようにならないとねって話が多かったんですが、逆に「日本社会の側」の立場から見ても同じことが言えるんですね。
つまり、「日本社会の側」も「相手の言うことを全拒否にしてないで話聞けよ」って思うことが沢山あるんですよね。
たとえば、さっきの安宅和人氏の本で一個凄い衝撃だったのが以下の図で・・・
なんか日本って、
みたいなこと言う人が多いし、実際冷遇されてるのかなあ?って思っちゃうじゃないですか。
しかし、上記の図を見たらわかるように、
「全体の学生に占める理工系学生が占める比率」は、韓国・ドイツが63%!!!もあるのに対して、日本は主要国最下位の23%しかないそうです。
なんと韓国は全人口が日本の半分しかいないのに、毎年排出される理工系学生の総”人数”が日本より大きいらしい(笑)
いやね、韓国ちょっと「役に立つ・立たない」で物事を考えすぎやろ・・・って常々思ってるんで、韓国並みにしろとは全然思わないですよ。
でも、日本はむしろ、もう主要国で断然!というレベルで「理工系が冷遇」されている国なんだ・・・てことは言えると思うんですよね。
で、「役に立たないとされがちな分野だって大事なんだ」っていうのはじゅうじゅう承知なんですが、こうやって「あまりに数が多くなるとそういう文系職に対するお金の手当が一人あたりで薄くなる」じゃないですか。
私は経営コンサルのかたわらいろんな個人と「文通」しながら人生について考えるという仕事もやってるんですが、それでつながっている図書館司書さんの待遇の酷さといったら・・・・ちょっとマジでほんとうに信じられないぐらい待遇低いですよ。
たぶん学芸員とか図書館司書とか、そういう「”役に立たない(こういう言葉使いたくないですけどあえてやってるんで怒らないでくださいね)”けど大事な仕事」の給料がアホみたいに安いのって本当に日本国の恥だと思っているんですが!
この問題は、たぶん私の仮説は、
・”役に立たないとされがちな学科”の数を減らすが待遇をちゃんとあげる
・学生を無理やり”役に立たない専攻科”に繋ぎ止めずに、”強い本人の意思”がないのであればできる限り”役に立つ学科”に行く人を”数としては”増やす
・・・方向が「日本のみんなのため」になると思います。
文通してると、いろんな人が「仕事やめて転職しようと思います」って言うシーンがあるんだけど、それが理系の院を出てるITエンジニアとかだったらもうぜーんぜん心配いらないんですよね。
色々と自分探し・・的なこと(まず会社やめる前からかなり時間かけて自分の理想のビジネスを模索する・・・とかいってアレコレやったり、気になった会社にアポとって自由に会いにいったり、かと思ったら”なんか筋トレにハマっちゃって”とか言って数ヶ月何もしなかったり)とかしながら、結局最後は自分が「やりたい!」と思えるベンチャーを見つけて3人めぐらいの創業メンバーとして転職して・・・みたいな話を何の緊張感もなくできる。
一方で、やっぱり図書館司書だった人が、やっぱり未来がないので・・・ってなると・・・やっぱりこれはちょっとどう考えていいのか、応援したいけど、でもウーム・・・ってなりますよ。
日本における貧困研究ルポライターみたいな感じで凄いユニークな著作がいろいろある鈴木大介さんという人が、
という本で、貧困家庭だったり家庭崩壊状態で育った子供に対して、無理やり「現金獲得能力がつかないような教育を、高い学費払わせてとにかく受けさせようとするのは欺瞞だ」みたいなことを凄い強く”義憤”という感じで述べていて凄い印象的だったことがあるんですよね。
上記の本から引用しますけど・・・
この鈴木大介さんっていうのは凄いリアルな貧困ルポルタージュをたくさん書いている人なんで、ここの部分↑には凄いぐっと来たんですよね。
「役に立たない分野」だって勿論大事だけど、
主要国で断然「大卒者に対する”役に立つ学科”の比率が低い日本」
っていうのが果たしてそれでいいのか?っていうのは真面目に考えるべきだと思います。
なんせ、安宅和人さんの本にも書いていたけど日本は技術立国とか言っていながら主要国で唯一マトモなITエンジニアをなかなか雇えない国・・・とか世界中のIT系企業に言われていて、それでいいのか?っていう問題はあるわけですよ。
だからね、こういうのを「図式」で「党派性」で「敵と味方」に分けて騒ぎ続けるの、そろそろやめませんか?ってことなんですよ。
みたいな紋切り型に吠えたら状況変わるんですか?違うでしょう?
さっき書いた
・”役に立たないとされがちな学科”の数を減らすが待遇をあげる
・学生を無理やり”役に立たない専攻科”に繋ぎ止めずに、”強い本人の意思”がないのであればできる限り”役に立つ学科”に行く人を”数としては”増やす
この両方を模索していくことは、たぶん「文系の学問を大事に思っている人たち」にとっても凄い大事な「実質的な良い環境変化」になりえる方向性だと思っています。
そうすれば「役に立たない学科」に進むタイプの人も、「ちょっとしんどいけど、本当に行きたいのであれば・・・」という形で進んでいけばその人にはちゃんと「マトモな待遇」を用意してあげられるようにできるはずだしね。
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7●「イデオロギー」を忘れて、”対話”をはじめよう
一個前のnoteで書いたコロナ関係の混乱の中で一部メディアや野党が「覚醒」してきているように、「全部イデオロギーに見える病気」の世代が引退してきて、30〜50ぐらいの世代が社会のあちこちで実権を握り始めて、徐々に「リアルな対話」ってのはできるようになってきていると思います。
昨年末に「最も先月スキされた記事」に選ばれた↑でも書いたけど、「竹中平蔵的なネオリベ」を倒したいなら、「この守銭奴め!」とか罵ってるだけじゃなくて、お互いの事情をちゃんと聞いて具体的な話をはじめなくちゃいけないんですよね。
で、このファインダーズ記事で書いたように、20世紀の米ソ冷戦の時に日本が「ボーナスステージ」的に世界一の繁栄を引き寄せられたみたいなことは、これからの「21世紀米中冷戦」の時代にだって同じ構造で引き寄せられるはずなんですよ。
さっきのコロナ関係の記事
で書いたけど、社会の対決軸を
「右vs左」的なイデオロギー対立
にするんじゃなくて、
「右だろうが左だろうがマトモに話が通じる人」vs「右だろうが左だろうがイッちゃってる人」
に読み替えて、「具体的な話」だけを積んでいくようにすれば、日本の学術予算は来年には世界一レベルまで引き上げる余地はあるし、コロナ対策だって中韓のような「強権的政府」を使わなくてもスムーズにやれるようになるし、とにかく色々と今は滞りまくってるアレコレをスムーズにやれる道は必ず見つかりますよ。
大事なのは、
「世界のすべてがイデオロギー政治闘争に見えるビョーキ」
な人たちから、この社会のコントロールを取り戻していくことです!
私たちならできますよ!
・
この記事の無料部分はここまでです。
ここから先は、ちょっとこないだの「バイデン就任演説」の感想を話したいんですが・・・
深夜にYou Tubeライブで見てたんですけど、まあ結構良い演説だったと思うんですよ。
個人的に自分は「感動しぃ」なんで、結構正直感動した。
みたいな(笑)まあこう書くとベタなんですが、まあ「アメリカ大統領の伝統的様式」をちゃんとやった感じで、アメリカ在住の人とかが「この退屈さにこれだけほっとするなんて・・・」みたいなことを言ってて笑っちゃったんですけど(笑)
ただね!
なんか、下手な演説だったら「下手だったね」で終わるんですけど、「伝統様式としては完璧ってぐらい良い演説」だったからこそ、それが全然届いてない人たちが国の三割ぐらい・・・下手したら半分ぐらいはいることの薄ら寒さ・・・みたいなのも感じるわけですよね。
なんか、「理解し合おう!」って言ってるけど、この人はこっちのことを理解する気は全然ないんだろうな・・・って思われていそう(笑)
この断絶はなんなのか・・・って思う時に、やっぱりこのアメリカ的リベラル派の価値観って、「多様性」を歌っているわりに「人間の価値」を凄い偏差値主義的にランキング化して上下で見てるんじゃないか・・・ってところがあるんですよね。
この記事の最初の方で書いた、
みたいな価値観の単純化を感じるというか。
だから、
っていう態度に見えるっていうか。
僕、昔あるイギリス人に、当時世界的に一番有名な日本人はイチローだったんで、
みたいなことを言ったら、そのイギリス人が
みたいなアカラサマに馬鹿にするような態度取られて結構ショックだったことがあるんですけど!
まあ欧米人でもそこまでの態度取る人ばかりじゃないってわかってはいるけど、こんなこと言う日本人には出会ったことがないってレベルなんで、やはりそこには断絶があるよな・・・と思ったりして。
さっきの「学問的価値」自体をある程度は相対化してちゃんと社会の中で位置づけることが大事だ・・・みたいな話の延長として、いろんな人のいろんな真剣な生き方っていうのがあって、それが全部等しく「尊い」っていう感覚・・・をもっと大事にしていかないと、やっぱりどこかで空々しいよな・・・という風に受け取られてしまう限界にぶち当たるんじゃないかと思うんですよね。
で、そういう感覚の話として連想するんですが、最近、芥川賞の「推し、燃ゆ」っていう作品が衝撃的で、それの何が衝撃的だったかというと、アイドルを推してる女の子の話なんだけど、以下ちょっと衝撃的な下りを引用しますが・・・・
なんか、ヒラリー・クリントンが、トランプ支持者のことをついつい「惨めな人たち」と呼んでしまって大顰蹙を買ったことがありましたけど。(トランプ支持者もわざわざ”みじめな人たち”っていうTシャツ着て対抗したりして面白かった)
なんか、この「人間の存在の本当の多様性を凄く狭い鋳型に押し込んでしまっている」ところが、アメリカのリベラルにはあって、それが結局分断を生んでしまっているんだ・・・ってことだと思うんですよね。
で、アイドルに熱中しまくってる女の子についてどう考えるべきか、ってまあ難しい問題ですけど。
なんか、このあたりから、「本質的な平等性をちゃんと見る」ことは、「形式的な平等性にこだわって実は人に上下をつけてみる」みたいなのとは随分違う可能性があるはずだ・・・っていうかね。
これは日本のネットじゃよく言われてることですけど、
石の下の暗いジメジメしたところで生きていくのがスキな、ダンゴムシとかそういうタイプの人がいて、それで本人も満足していたのに、いちいち石をひっぺがして「あなたそんなことでどうするの?あなたはその可能性を抑圧されてるんだわ!」とか言って回ることの無意味さ(というか傲慢さ)・・・みたいなのがバイデン演説の白々しさにつながっているんじゃないかとか。
ダンゴムシはダンゴムシで”完全な存在”で、それはある意味ちょっと日陰でウジウジっとしている部分も含めて「そういう完全性」なんであって、そういう部分も含めて日なたで生きている生物と「等価」であるべき・・・なんですが、その「等価である」ということは、ダンゴムシも日なたに出てきて超ポジティブ人間みたいに振る舞わないと二級市民扱いされるというあり方・・・では全然ないはずだ・・・みたいな話ってありますよね。
なんかそのあたりのまとまっていないアレコレについて、最近考えていることを以下の部分では書きます。
結論的なことを言うと、
「ノーベル賞科学者」みたいなレベルの「成果」を出す人も、「アイドルの推し」にハマって真剣になっている人も、本人が熱中していて幸せそうなら「等価」な存在だよね・・・ぐらいの世界観から考え直す必要があるんじゃないか?
みたいなことですね。
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2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。
普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
また、倉本圭造の最新刊「日本人のための議論と対話の教科書」もよろしくお願いします。以下のページで試し読みできます。
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ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。
「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。
また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
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ここから先は
倉本圭造のひとりごとマガジン
ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…
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