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一枚起請文を読んでみよう

一枚起請文を知っていますか? 浄土宗のお勤めでは、必ずと言ってよいほど登場するお経です。書いたのは、法然上人。浄土宗を開いた、鎌倉時代のお坊さんです。

法然上人は、亡くなる二日前に、弟子の勢観房源智(せいかんぼうげんち)に請われて、これを書きました。その時、法然上人は、80歳。もう長くは生きられないと自覚していた法然上人は、簡潔な文章で、浄土宗の真髄を書き残しました。

一番近くにいた弟子のために書いたことを念頭において、一枚起請文を読んでみましょう。漢字の読みが難しいので、すべて、ひらがなで書きます。

もろこし わがちょうに もろもろの ちしゃたちの さたし もうさるる かんねんの ねんにも あらず。また がくもんを して ねんの こころを さとりて もうす ねんぶつにも あらず。

これまで、名高いお坊さんに習ったり、大きなお寺で勉強して、みんなが知っている念仏と、私が言う「念仏(ねんぶつ)」は、全く違うものです。

ただ おうじょう ごくらくの ためには なむあみだぶつと もうして うたがいなく おうじょうするぞと おもいとりて もうす ほかには べつの しさい そうらわず。

「念仏」とは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と口に出して称えることです。あとは、阿弥陀様にまかせておけば、極楽に往生できます。

ただし さんじん ししゅと もうすことの そうろうは みな けつじょうして なむあみだぶつにて おうじょうするぞと おもう うちに こもり そうろうなり。

「念仏」以外の修行をしたことがあると思いますが、南無阿弥陀仏と称えることの中に、それらの修行はすべて含まれているので、必要ありません。

この ほかに おくふかき ことを ぞんぜば にそんの あわれみに はずれ ほんがんに もれ そうろうべし。ねんぶつを しんぜん ひとは たとい いちだいの ほうを よくよく がくすとも いちもん ふちの ぐどんの みに なして あま にゅうどうの むちの ともがらに おなじゅうして ちしゃの ふるまいを せず して ただ いっこうに ねんぶつ すべし。

阿弥陀様は、「自分の名前を呼ぶ者は、誰でも極楽に連れて行ってあげる」と言っています。名前を呼ぶ(=南無阿弥陀仏と称えること)以外のことをすると、阿弥陀様は、「自力で極楽に行きなさい」と言って、極楽に連れて行ってくれませんよ。

しょうの ために りょうしゅいんを もって す

本物である証拠に、両手の手形を押しておきます。

この一行だけは、漢文になっています。「為証以両手印」。ここから後は、浄土宗の教えではなく、何のために書いた文章であるかが説明されています。

じょうどしゅうの あんじん きぎょう この いっしに しごくせり。げんくうが しょぞん この ほかに まったく べつぎを ぞんぜず。めつごの じゃぎを ふせがんが ために しょぞんを しるし おわんぬ。

浄土宗の教えは、ここに書いたことがすべてです。もし、間違ったことを言い出す人がいたら、この文章を見せて、正してあげてください。

けんりゃく にねん しょうがつ にじゅうさんにち だいし ざい ごはん

最後は書いた日付です。建暦二年正月二十三日(1212/01/23)。署名は、「源空・花押(げんくう・かおう)」ですが、私たちが読むときは、「大師在御判(だいしざいごはん)」と読み替えます。

「一枚起請文」の原本が、京都の「金戒光明寺」に残されています。

浄土宗の公式サイトも参考にしてください。


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