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ゴリラの音楽会

 私にはこの歌に、ゴリラではない誰かがいるようにも思えます。

 子どもの歌に、人に近い大型類人猿ゴリラが音楽会を開催する「ゴリラの音楽会」がある。
 父さんのゴリラが太鼓、母さんのゴリラがラッパ、子どものゴリラがカスタネットをそれぞれ演奏して、ゴリラの群れに広がって皆で音楽会を開催するという内容だが、私はこの歌にも怖い、不思議な一面があるようにも思える。
「ゴリラさんは大きくて怖い顔だけど、力持ちで優しいよね〜。」
 歌のお兄さんもお姉さんも、ゴリラは大柄で強面だが、力持ちで優しいという。身体は大きいが力持ちで優しい、人にも近い大型類人猿のゴリラにも、小さい子達にも親しみをもってもらう意味もある。
「ゴリラではない第三者がいるのではないか?」
 私の勝手な想像だが、そのゴリラの音楽会にゴリラではない何か違う存在が、第三者が混ざっているようにも思えるのだ。私が小さい頃に聞いた時からずっと、ゴリラの音楽会にゴリラ以外の第三者がいるように思えてしまう。
「他の小型の猿の子どもがゴリラに誘拐されて、音楽会をおとなしく聞けと強制されている」
 ゴリラより小さい他の猿の子どもがゴリラに誘拐されて、音楽会を「おとなしく聞け」と強制されている説。これは怖い。他の小型の猿、しかも子どもを誘拐して音楽会を強制して聞かせるなんて、歌のお兄さんとお姉さんも言った力持ちで優しい、人にも近いゴリラではない。鬼畜ともいえる怖いゴリラが音楽会をしていたら、歌のイメージも崩壊して子どもも怖がり、親も「子どもに怖い歌を聞かせるな」と怒るだろう。
「他の小型の猿の子どもが迷子になり、彷徨う間にゴリラの群れに紛れてしまい、親が来るまでゴリラ達が親代わりに音楽会をして慰めている」
 他の小型の猿の子どもが迷子になり、彷徨う間にゴリラの群れに紛れてしまい、ゴリラも「ゴリラの皆を怖がらないで。親さんが来るまで音楽会をするから安心してね」と音楽会をして慰めている説。迷子か捨てられたのか親が死んだのか、ゴリラの群れに紛れてしまった他の猿の子どもを本当に慰めるのならゴリラ独自の優しさも、厳しくも力持ちで優しい、人にも近いゴリラを感じられるだろう。
「人の子どもがいる」
「人でも猿でもない他の動物の子どもがいる」
 こちらも多説あり、誘拐、迷子、捨て子、親の死等の悪い原因により、ゴリラに接近してしまった第三者が人の子どもという説も、人でも猿でもない他の動物の子どもという説もある。
「私の勝手な解釈だが、ゴリラの音楽会にはゴリラ以外がいるようにも思える」
 歌に対する、私の勝手な解釈だが「ゴリラの音楽会にゴリラ以外がいるようにも思える」だ。歌への解釈はそれぞれだが、私には単にゴリラが音楽会を開催するばかりではなく、見えないところにゴリラではない、他の第三者がいるようにも思えるのである。

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