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父が生きてて、ごめんなさい。


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村上春樹の「猫を棄てる」という作品を読んだ。春樹と言えば「ノルウェーの森」や、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や、「やれやれ」だと思っていた僕にとって、この作品は意表を突いたものだった。

「猫を棄てる」は、村上春樹の父との思い出と、そこから垣間見える父の過去について綴られたノンフィクション作である。それ故か、彼の作品特有の独特な例え話や情緒的な心情描写は少なく、真っ直ぐな、生の春樹氏の言葉で綴られている。(少なくとも僕はそういう印象を持った。)冒頭のマンガは、この作品を読み終えたとき反射的に僕の頭に浮かんだ感慨をマンガに起こしたものである。

* * * * *

私事で大変恐縮だが、僕は武蔵野市の平均的な家庭に生まれ、特段仲が良いわけでも、悪いわけでもない、典型的な親子関係の中で育てられてきた。そんな僕には「猫を棄てる」のような、「他界した父の人生を回顧し、それに対する感謝と後悔を述べる」といった作品に触れるたびに呼び起こされる感情がある。

それは、「父が生きてて、ごめんなさい」である。いや、それだと正確じゃない。正しくは、「父がまだ生きているのに、その時間を大切にしておらず、ごめんなさい」だ。

この気持ちは、文芸や映画といった作品に触れたときだけのものではない。飲みの場や結婚式の二次会などで、家族の話題になることがある。その際、「あ、父(母)はもう亡くなっているんだけど…」といった語り出しの者に出くわす度、わずかながらの「申し訳無さ」から、心の中の僕は深めの会釈をする。「父が生きてて、ごめんなさい」と。

もちろん、心の奥でそう感じていることを、僕はおくびにも出さない。仮に僕が謝ったとしても、相手も反応に困ってしまうだけだということは分かっている。でも、彼らもどこかで「父母が健在であるにも関わらず、親孝行しない者への怒り」をわずかに抱いているのではないか、と思ってしまう。だって僕が逆の立場だったら、間違いなくそう感じるから。

結局、僕が幼いのである。父も母も、大きな病気一つせず健在な現状を、なぜもっと大切にできないのか。それは、親孝行を強く意識することは、親の死を意識することに他ならないからなのだ。自分の死と同じように、誰にでも平等に訪れる「親の死」という瞬間について、僕は未だに直視できないでいる。そして、その現状を変える努力をするわけでもなく、ただ「ごめんなさい」と思うばかりなのである。

* * * * *

「猫を棄てる」の村上春樹は、非常に冷静な口調で、捉えようによっては何か特別な意図を感じるほど淡々と、父との思い出について書き綴っていた。僕はその淡白さの陰に、得も言われぬ悲哀を感じずにはいられなかった。その密かな悲しみは、わずかながら、親の死の瞬間と向き合うきっかけを僕に与えてくれたように思う。春樹氏が、父と猫を棄てに行った河辺は、僕にとっては吉祥寺のビリヤード場や、ゲームソフトの販売店だった。しかし、春樹氏と決定的に違う点は、僕にはまだ父に出来ることが沢山あるということだ。自身の幼さ故に「ごめんなさい」と感じるのは、そろそろ終わりにしよう、と思った。



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広告代理店コピーライター → 美大編入 → 広告デザイナー →・・・そして今漫画を書いています 人は30才から専業漫画家になれるのか!?そんな実験の証人になってください

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村上春樹さんの『猫を棄てる 父親について語るとき』の感想文をまとめたマガジンです。ハッシュタグ「#猫を棄てる感想文」をつけて、ご自身のnoteにご自由にお書きください。担当編集者がピックアップします。

コメント (3)
心をえぐられるかと思いました。
ありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ読んで頂いてありがとうございます!
孝行をしたいときには親は無し

ある人に
「親が生きてる内に親孝行するもんじゃないんだよ」
と言われた
「親が健康な内に親孝行するんだよ」
と話は続いた

私の親もまだ健在
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