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「生物なんだから子どもは産むべきだ」の声に潰されないために

生物なんだから子どもは産むべき?

心に響くnoteを読んだ。

子どもを産むべきかどうかを思い悩む気持ちが切実に、リアルに伝わってくる文章だった。ひとりの人間として、社会に生きる人間として、生物である人間として、多面的で複雑な感情と思考が綴られている。

この問いはとても深く、重い。当然、答えを出すことはとてつもなく難しい。ただ、僕はこのnoteを読んでひとつだけ大きな声で言いたくなったことがある。それはこの部分に関してだ。

ヒトという種の保存のためには、結婚とかはどうでもいいからとかく子供は作っているべきなんだろう、と思う。

生き方が多様化して、様々な立場や状況におかれている私たちは「一般論」を語ることが難しくなっている。でも私は私が生まれているのだから、やっぱり生物学的には子供を作るのが、自分の役割なんだろうと思ってしまう。

この「生物なのだから人類という種の保存のために子どもは作るべき」という理屈に関してだけは、僕は全力で反論したい。もしこの理屈がまかり通ってしまうのであれば、同性愛のカップルや様々な状況から産みたいのに産めない人なども、やはり「生物学的な」面においては欠落していると見なされてしまう。そして残念ながら、そういった目で見られ差別される例はこの社会にいくらでもある。

先日読んだ新聞の投稿欄にも、子どもを持つことを望まない女性が周囲からのプレッシャーに悩んでいることを書いていて、その中に次のような記述があった。

生物として子孫を残すことは本能であり、子を持たない選択が少数派なのは理解しています。[朝日新聞(2020年1月21日付け朝刊)の投稿欄]

どうやら世間には「生物である以上、子どもを産み子孫を残すべきだ」という価値観が蔓延していて、これに苦しめられている人がジェンダーを問わずいるようだ。厄介なのは、周囲の人がこの価値観を持っているだけでなく、苦しんでいる本人も同じような考えを持ってしまっていて、自分で自分を苦しめる状況が生まれてしまっていることだ。

僕はこの価値観に反論する。その根拠は僕が大学の授業で学んだある理論にある。

人類にとって最も重要なのはバラエティー(多様性)である

僕が大学・大学院で専攻した地球惑星科学は、惑星系の誕生から惑星の進化、惑星上での生物の誕生と繁栄の過程までをも対象とする学問だ。その専攻の授業において、ある教授が次のような理論を語っていた。

人類という種が生き残っていくうえで最も重要なことは、人類が様々な面でバラエティー(多様性)を豊富に持つことだ

どういうことか。
人類が(各個体ではなく)種として生き残っていくためには、どんな状況・環境に置かれても「誰かは生き残る」ことが何よりも重要だ。誰かが生き残れば絶滅を免れることができる。そのためには、あらゆる面で多様性が豊富であることが望ましい。

「寒さに強い人・暑さに強い人」、「病気Aに強い人・病気Bに強い人」などといった肉体的なことはもちろん、性格においても「優しい人・冷たい人」、「努力家な人・怠惰な人」など、とにかく多様であること、バラバラであることが大切なのだ。

具体例で考えてみる。下の記事によると、「朝型か夜型か」は遺伝子で決まっている面が大きいらしい。これまで一般的に夜型より朝型の人の方が「健康的で良い生活」だと思われてきたが、これはあくまで現代社会に生きる人々の価値観にすぎない。500年後の人間社会は夜型の生活の方を「良い生活」と認識しているかもしれないのだ。人類全体としてはどんな社会になったとしても生き残りやすいように、朝型人間と夜型人間の両方を存在させておいた方が都合がよい。

もうひとつ例をあげておくと、下の記事はこれまで「障害」と呼ばれてきた「自閉症スペクトラム」も人類の多様性の現れだとの研究結果を伝えている。

自閉症スペクトラムと呼ばれているような障害は、実は障害ではない。生物としての人類のバリエーション(変異)の一つである。本来は人類の、生息環境に対する適応の一つのあり方だというのが、ニューロダイバーシテイ(脳多様性)という考え方に他ならない

現代の社会においては「障害」や「病気」と捉えられネガティブに見られている身体的・精神的な特性でさえも、その一部は実は人類が生き残るために必要な多様性の現れであるケースが存在する。

生物学者の福岡伸一さんは、ある対談の中で次のように述べている。

何百万年といった生物界の長い時間軸の中では、いつ突然、環境が激変するかわからない。そのとき、ひ弱そうな個体のほうが生き延びるかもしれないんです。種が生き残るためには、個体のバリエーションが豊富なほうがいいという多様性ですね。(中略)アリには必ず2割程度、忙しいふりをしてサボっている個体がいます。この2割を取り除くと、残りの勤勉なアリの2割がまたサボりだす。天敵に攻められたときに戦うためとか、洪水の際に巣を直すためとか、いろんな説があるけどよくわからない。[「他人の靴を履く」って? 福岡伸一×ブレイディみかこ<朝日新聞>より]

種の存続という観点で考えたとき、人類はとにかく多様であることが大切だ。種の内部が画一化されているほど、絶滅の可能性が高くなる。そのために人類は交配を通してなるべく遺伝子を多様化させる仕組みになっている。

「誰かは」と「全員が」を区別する

さて、世間に蔓延する「生物である以上、子どもを産み子孫を残すべきだ」という価値観に話を戻す。

「人類にとって最も重要なのはバラエティー(多様性)である」との観点で考えてみれば、この価値観は誤りだと分かるだろう。「女性は全員が子どもを産むべきだ」というのはまさに女性を画一化して考えているわけだけれど、人類にとって画一化は望ましくないからだ。

男女を問わず子どもを作りたくない人がいることも、同性愛者も、人類が持つ多様性の現れであり、生物学的に見て自然なことだと考えられるのだ。

「子どもを産まなければそもそも多様性は広がらないではないか」と考える人もいるかもしれないが、これも一見正しそうにみえて、正確ではない。人類全体で考えた場合には種の保存のために「誰かは」子どもを作らなければならないが、「全員が」子どもを作ることが望ましいとは限らない

その理由はいくらでも挙げられる。たとえば人口の増加は食料不足や資源の枯渇の問題を生み出しうるので、人口が増えすぎない方がよい状況が人類には存在するだろう。もしくは、子どもを産むことに恐怖心を持つ女性(冒頭のnoteのように)のこの「恐怖心」が何らかの脅威への警戒心となり、それが人類を生き延びさせる状況だってあるかもしれない。

「生物である以上、子どもを産み子孫を残すべきだ」という論理は、人類という種全体に対して適用されるものであって、個人(個体)には適用できない。

「子どもを産みたくない」も多様性

少子高齢化が進む現在の日本では、「子どもを作れ」というプレッシャーが社会のいたるところから迫ってくる。このプレッシャーに苦しめられている人がジェンダーを問わず少なからずいる。

少子高齢化は政治的・経済的に多くの課題を生み出しているのは確かなのだろう。少子化を止めたいという気持ちも理解できる。しかし、だからといって子どもを作らない(もしくは作れない)人々のことをまるで生物として欠陥があるかのように批判するのは間違いだし、自分自身のことをそのような目で見て悲観することも間違いだ。

人類という種の存続にとって何よりも大切なのは多様性だ。子どもを産みたくない人も、同性を好きになる人も、人類の多様性の現れであると考えるのが自然だ。欠陥なんかではない。もちろん障害でもないし、病気でもない。

「多様性を大切にしよう」「違いを受け入れよう」というスローガンは、人権の観点からだけではなく、本来の意味で生物学的な観点からも語られなければならない、と僕は考えている。

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中村 佳太|エッセイスト,コーヒー焙煎家
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