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エッセンシャルでない仕事がエッセンシャルな世界で

「エッセンシャルワーカーにもっと高い賃金を!」という主張が大きな共感を呼んでいる。

未知の新型ウイルスの危険が迫る中でも社会機能を維持するために必死に働く人々の姿を目にする中で、これまで見過ごされてきた「本当に必要な仕事」の価値が見直された結果なのだろう。

僕はこの主張に完全に同意する。今すぐに医療や介護、町の清掃、インフラの管理など、「エッセンシャルな」仕事をする人々に貨幣が行き渡るようにするべきだ。

と同時に、「『エッセンシャルでない仕事』とは何だろう?」との疑問が頭に浮かぶ。

「エッセンシャルでない仕事」を停止した結果として起こる経済的混乱は、人々を自死や貧困という形で死に追いやる。佐伯啓思は言う。

いうまでもなく「不要不急」の反対は、いわば「必要火急」である。「必要火急」は、それがなければ人間の生存が脅かされる絶対的必要だとすれば、「不要不急」は、生命の維持には直接に関わらない。「生命の維持」からすれば、それは無駄なもの、過剰なものであろう。ところが、この無駄を止めた途端に、「必要火急」が切迫し、「生命の維持」さえも危機に陥ることとなった。
となれば、現代社会において、われわれの生命や生存は「不要不急」なもの、無駄なもの、過剰なものによって支えられているということになる。
「不要不急」論の行方、市場の論理を超えて 佐伯啓思氏(朝日新聞デジタル)]

そう、わたしたちはすでに不要不急なものが無ければ生きていけない矛盾した社会に生きている。エッセンシャルでない仕事がエッセンシャルな社会だ。


ビフォアー・コロナに書かれた『ブルシット・ジョブ』でデヴィッド・グレーバーは、社会に存在しなくてもいい(むしろ存在しない方が社会が良くなる可能性すらある)仕事の従事者ほど高い賃金を得ている現実とその構造を描き、現代資本主義の矛盾点を浮き彫りにした。

しかし、ウィズ・コロナの世界を生きるわたしたちは、『ブルシット・ジョブ(=不要不急の仕事)』の停止が人々の生活を脅かす現実を目の当たりにしている。なんということだろう。

資本主義社会において、市場(マーケット)は労働力や貨幣を最も効率よく社会全体に分配する仕組みだとされ、積極的に導入されてきた。

しかし、エッセンシャルな仕事を低く評価し、エッセンシャルでないものをエッセンシャルにするコントのような社会システムは、もはや限界を迎えている。

ただ、そうだとして、じゃあどうやって分配すればよいというのだ?

もうひとつ問題がある。

医療はエッセンシャルだ。
教育もエッセンシャルだ。
町の清掃もエッセンシャルだ。

では、

芸術はエッセンシャルか?
居酒屋はエッセンシャルか?
コーヒー豆屋はエッセンシャルか?

その線引きは誰がする?

「エッセンシャルワーカーにもっと高い賃金を!」との声を聞いたとき、その背後にあるエッセンシャルとそうでないものへの無邪気な線引きに、僕は少し怖くなる。

労働力や貨幣をどうやって分配するのか?
エッセンシャルとそうでないものをどうやって分けるのか?

考えてみる。

(案1) 国に任せる?
→ 国家が判断を誤ることはもう身に染みたはずだし、計画経済の失敗は歴史が教えてくれている。時の政権に任せることはできないんだ。

(案2)AIに任せる?
→ 巨大テック企業が司るネットとデータとアルゴリズムの世界から生まれるAIをどうやって信用しろっていうんだ?ていうか、そもそもどんなにいい奴でも機械に支配されるなんて僕はごめんです。

宇沢弘文は(僕の解釈では)ここで言うエッセンシャルなものを「社会的共通資本」と呼んで、次のように述べた。

社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない[社会的共通資本 (岩波新書) ]

つまり、エッセンシャルなものは専門家によって管理されるべきだと宇沢弘文は考えたわけだ。(案3)

しかし、原発事故や今回の新しいウイルスが露呈させたのは、残念ながら専門家の限界であり、専門家を選出しマネジメントする「民主的に」選任された政治家たちの限界だった。それに、「エッセンシャルなものをどう分けるのか?」という問いは依然として残る。


いやはや参った。僕がこの文章で書きたかったのは、この「参った」ということだ。考えても考えてもやっぱり参ってしまうのだ。

逆に言えば、参っていない、自信に満ちた言説は、信用ならんのです。

「いま目の前で困っている人は助けないと」

これは良いのです。全面的に賛成です。
でも、その先のことを考えるとやっぱり参ってしまうのです。

労働力や貨幣をどうやって分配するのか?
エッセンシャルとそうでないものをどうやって分けるのか?

僕は考え続けています。
良かったら誰か一緒に考えてください。
よろしくお願いします。

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中村 佳太|エッセイスト,コーヒー焙煎家
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