燃焼の果てに僕は飛び込んでみたい。

僕は燃焼の果てに飛び込んでみたい。僕にとって燃焼とは何か。それは少しだけ答えは出てる。それはやりたい事を全部やる事。それが僕にとっての燃焼である。失敗しても楽しそうな物。これが僕がやってみたい事である。
このnoteはエッセイでもあり、批評でもあり、文学論でもあり、映画論でもあるので長くなる。ゆっくりと楽しめる物となってると思うので、楽しんでいって欲しい。

僕は今燃焼をしてるのか。

僕は今全く燃焼してないと思う。理由を作りたくないが理由らしき物はある。僕の親が少しだけコントロール系だからである。親にとって知らない事を僕がしようとすると気分を悪くする。(特に親父)。妹も居て、家事もやらないと怒られるので、僕は6時までに家事を終わらせないと怒られる。面倒だ。だから僕は大学生の僕に期待を抱いてる。

野球がしたい!

僕は野球を中1までやっていた。僕は野球がしたいのだ。でも現在通ってる高校には野球部がない。なので、大学では野球がしたいのだ。他にも格闘技や水泳をしてみたい。僕は身体を動かしたい。

内発的に生きること

僕の好きな映画や小説の主人公は内発的に生きている人物が多い。僕にとって内発的な行動はテーマだった。それがより明確になったのが宮台真司さんの影響である。彼は良く内発的とか内発性とかという言葉を使う。彼の考えはとても好きだ。
映画は内発性とは何かを問おってくる。若松孝二、ジャンリュックゴダール、黒澤明等々。そして、小説だとムーンパレス、カラフル。それ自体がとても啓蒙的な物である。
僕が心ゆくままに内発的に生きて、誰かの力になれるように僕はしっかりと生きたい。

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