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2017/8 ドイツサッカーレポート  谷本薫選手インタビュー(SV Bergisch Gradbach)

-まず、高校生三年間から振り返ってください。

谷本「高校二年生からトップチームでプレーさせてもらえました。ただまぁ正直、けっこう問題児で、(全国高校サッカー)選手権の東京予選決勝で途中出場したんですけど、それが三か月ぶりの公式戦出場だったんです。それまでは二軍チームでプレーしていました。準決勝からベンチに入れて、決勝では0-2で負けているときに、最後の交代枠として自分が投入されました。ベンチにはチームキャプテンがいて、彼は出場機会があまりなかったけど、全員をまとめることが上手くて、チームを引っ張っていく存在でした。最後の交代枠で自分がピッチ出させてもらえて、それにも関わらず何もできなかったというのが、高校生活のなかで一番の後悔でした」

ー高校を卒業し渡独したわけですが、大学進学ではなくドイツを選んだ理由は何だったのでしょうか。

谷本「大学は決まっていたんですが、やっぱり海外に行きたいという気持ちが強くて、11月に一か月高校を休んでドイツに行きました。ユースチームの二部で練習させてもらって、そのチームの監督に気に入られて、もう一回来てほしいとも言われました。悩んだ結果、いろんな人も迷惑になったけどドイツを選びました。4月に日本を離れて、選手証の関係で公式戦に出場するのが遅れたんですけど、シーズンが終わる間際には何とか試合出場することができました。自分のプランでは、大学でプレーしてからプロになるのでは遅いので、若いうちに外に出てやる方が、チャンスが多いというのをドイツに来て分かりました。迷いはなくて、高校二年生のときの悔しさがこの決断に至ったのと思います」

―日本に居た頃の、ブンデスリーガの印象は。
谷本「海外サッカーはあまり見てなかったですね。でも、行ってみなきゃ何も分からないなと思っていたので、ケルンの練習やドルトムントや4部、5部リーグを試合を見て、自分のなかでは手応えがありました」

―現在5部リーグに所属するSV Bergisch Gradbach移籍の経緯を教えてください。
谷本「そのクラブでプレーしていた方のおかげです。最初、その人に『実績もない選手は(事がうまく運んで)いけても6部だと言われていたんです。でも、6部からだと自分のプランでは遅いので、6部クラブの練習には行きませんでした。そうしたら『一回連れてってあげるよ』と、いまのクラブの練習に参加することができました。もう、その一回の練習に全力を出しました。『これが5部リーグのレベルだと感じ取ってほしい』と言われていたんですけど、舐められてるなぁと思って(笑)。でも、その練習は最初から最後まで、まるで自分じゃないぐらい集中していました。終わったら、シャツが汗グッショリでしたから』

―その一回の練習はどのようなものだったのですか。
谷本「ポゼッションとシュートゲームでした。ボールを止める蹴るでミスがほとんどなかったことと、監督がポゼッションが好きで、自分もそれが得意なので、質の良いパスをいくつか出せたことが評価されたのだと思います」

―16-17シーズンは9月から試合に出場し、第6節(9月28日ホームゲーム)にはゴールも決めました。チームも優勝争いをしていた前期を振り返ってください。
谷本「選手証の関係で8月はスタンドで見ていました。デビュー戦(9月2日アウェイゲーム)は後半の頭から出場したんですけど、いきなりダービーマッチだったんです。そのときの緊張感や圧迫感は、ユースチームでプレーしたときとは桁違いだった。ワンプレーにかける思いが違うなと感じました。前期は試合に出れる出れない時期の繰り返しで、やっぱり心のどこかに自分の結果にこだわるところが多かった。味方にパスを出していれば得点できた場面がいくつかあったのに、自分がゴールを目指して決めることができなかった。優勝争いをしている最中で、その一点で優勝が遠ざかるか近づくかという重みがあったので、それが前期の反省でしたね」

―いわゆる、若い選手が陥りやすい典型的な心理状況にあったと。
谷本「本当にそうだと思います。若いからそれでいいって言うチームメイトもいたんですけど、監督からしたらそれは関係ない。シュートを撃って、それを決められなかったらその人の責任。今でも変わらないですね。つい最近も監督にはキレられました。でも、ゴールを決めれば文句はないので、撃つからには集中していくことが大事だと思います」

―高校を卒業してから半年、アマチュアリーグではあるが気持ちはプロであると。
谷本「そうですね。お金とかはアマチュアですけど、チームとしての行動や練習はプロとさほど変わらないと思います。学生や働きながらプレーしている選手が必死になってレギュラー争いをしていますから」

―前期が終わってウィンターブレイクはどう過ごされましたか?
谷本「日本に帰って、下半身強化に努めていました。横浜に『竹田塾』っていうアメフトやラグビー選手、サッカーでいえばSC相模原に所属する川口能活選手とトレーニングしてしました。幼馴染にアメフト選手がいて、彼に相談したら連れてってくれて、一か月みっちりやらせてもらいました。特殊なトレーニングで、言葉では説明できないですけど、筋力だけじゃなくて気持ちも鍛えられるトレーニングです。そのおかげで、オフ明けの練習から身体の動きはキレていました」

―なぜ、その行動に至ったのですか。
谷本「メッシの大腿四頭筋(太もも前面)って、石みたいになってるんですよ。世界最高峰の選手って、あんな足になってるんだなぁって、画像を見て思って。自分の足なんかフニャフニャなんで、こんなんじゃやっていけないなぁと思いました」

―オフ明けのトレーニングでは、誰よりも得点していたことをブログで記されていました。そして、3月から後期から始まり、ブログには「勝負の3月」という記事がありました。この一か月の意気込みから教えてください。

谷本「相当強かったですね。ただ、後期最初の3月5日のリーグ戦2位とのクラブとの試合で、後半の頭から出た自分の守備がズタボロで何度もピンチになってしまった。そこで一気に信用を失ったと思います」

―その次の、3部クラブとの地域カップ戦や首位にいたクラブとの試合にも出場できませんでした。カップ戦後のブログでは、気づいたら泣いていたと記していました。

谷本「チームメイトやベテラン選手たちから『なぜ泣いてるんだ。まだ若いし、この先チャンスはいくらでもあるから』って。でも、(上に行くことへ)こだわってる部分が強くて。チャンスが目の前にあるのに、ピッチにも立てないことが自分の中では認められなかった。気持ちの整理がつかなかったですね。その後も出場機会がなくて、それにも関わらずスポーツディレクターからは来期の契約についての話もあった。なぜ使ってくれないのかと聞いたら、守備面での信用性が足りないと。それで4月に入って、監督に直接『使ってくれないのなら残らない』と言ったんです。そしたら9日の試合に使ってくれて、先制点とアシストを決めて、その4日後のダービーマッチにも先発して、点を決めました。守備面をよく言われるんですけど、やっぱり結果を残すことが一番大事で、守備を補えるだけの結果を出せば、試合に出れると実感しました。自分の居場所は自分で取り返して、チームの調子もよくて、上位をキープしていました」

―ただ残念ながら、リーグ戦最後の5試合が2分け3敗と大きく失速し、5位に終わりました。
谷本「キャプテンやセンターバックの主軸選手など怪我人が多くて、チームをまとめる選手が誰もいなかったんです。みんな来季の契約のことを考えていて、昇格できるのなら契約更新したいけど、昇格できないのなら残りたくないと考えている選手がたくさんいました。それを自分は練習などで薄々感じていて、ひとつアクションを起こしました。自分のように言葉も充分に話せない外国人が何かアクションを起こせば、チームがまとまるのかなぁと思って、自分の思いを手紙にしてみんなの前で読みました。そうしたら、『勇気あるな』と言われました。そのおかげでチームがいい方向に進んで、迎えたアウェイゲームを3-4でギリギリ勝って、勢いに乗れるかなと思ったんですけど、その1試合しか効力がなくて(笑)。そこから2分け3敗と落ちていったんですけど、チームが苦しい時に若い日本人にもできることはあるんだなと少なからず感じましたね」

―昇格できないと決まったときのチームの雰囲気はどうだったのでしょう。
谷本「練習に来ない奴もいましたね。ほかのクラブの練習に行くとかも。最後の2試合は、サイドハーフの選手がボランチでプレーしたりと穴埋め状態になって、クオリティは7部レベルでした。降格が決まったクラブにも負けました」

―アマチュアリーグだからこその出来事ですね。
「自分のことしか考えてない方が多いです。プロだと充分なお金が貰えるので、心にゆとりがあると思うんです。けど、アマチュアだとサッカーだけでは食っていけないので、もっと金のあるクラブに移籍しようとか、自分のためになる行動がチームに悪影響をもたらしているんだなぁと思います」

―16-17シーズン全体を振り返って、納得いくシーズンでしたか。
谷本「(22試合出場4ゴール2アシスト)納得いってないですけど、戦術的に点を取り続けられるポジションではないですけど、自分の売りとしては攻撃面なので目に見える数字をもっと出すべきだと思っています。そのために食事面やトレーニングを自分なりにしていましたが、結果に出せていないのが現実ですね」

―シーズンが終わって、オフにローマに出掛けられましたね。サッカー選手をしている、という印象を持ちます。
谷本「やっぱり息抜きは大事だなぁと周りの人から学びました。休む時は休んでいかないと、1年戦うことはできないと教えられましたし、リラックスする時間がないと失速するのが特に日本人は多いと聞いていたので。自分は人に聞いたからではなく、大事にしているのはオンとオフのメリハリで、遊ぶときは思いっきり遊ぶし、戦うときは戦う。メリハリをつけて行動するタイプなんです。日本人は真面目っていうイメージがあって、遊んだらコンディションが崩れるとか、良い食事をしなきゃとかあるけど、真面目すぎると思うんです。トレーニングと同じくらい大事だと思います。コブレンツに出掛けたりとか、家にいるより外にいる時間の方が好きです」

―新シーズンの準備について教えてください。
谷本「いろんな選手が新加入して、自分のポジションにも二人が入ってきています。試合に出れるかは定かではないですけど、途中出場だとしても結果を残すことが次につながる。まずこの半年にどれだけ数字を出せるかが、今後のキャリアに繋がっていくので、半年勝負でやっていこうと思っています」

―それは、2020年まで契約している代理人の行動にも繋がりますね。
谷本「彼にも話してあって、冬に移籍することを目的に動いていると思います。すべて託してますね。代理人がいるといないとでは、心の持ち所が全く違うので。サッカーだけに集中できる環境がいまの自分にはあります」

―プロ契約がもうすぐ掴めるところまで来ていますが、プロ契約はひとつの夢ですか?
谷本「プロ契約は夢じゃないし、夢はもっと大きいものがあって、正直なところ、プロになるのは当たり前だと思っていて、なれない自分なんて想像していないです。プロになるまでの過程と、なってからが勝負だと思っています。プロになったら即戦力で戦えないと困るので、いまはその準備をしているところですね」

―その大きい夢とは何でしょう。
谷本「やるからには日本代表として世界一を目指しています。身近な目標は東京オリンピックで、それも含めて代理人とは2020年までの契約です。何かの縁かなと思っています。東京オリンピックに出るためにドイツに来たし、日本にいたらチャンスはないと思っているので。こっちは1日で状況や立場が変わっていけると思うので、まずは東京オリンピックに向けて自分を売っていこうと思っています」


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