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アスリートの能力を測る「ものさし」は変わっていくー結果至上主義の終わりー

今回は「暴走する能力主義」という本を読み、「アスリートの能力の測り方」というテーマでお話をしていこうと思います。

新型コロナウイルスの影響で、インターハイや甲子園をはじめとする試合が中止となってしまった今、「アスリートの能力をいかにして測るか」ということが再定義されると考えています。

能力を測るものさしは暫定的なものである

本著では能力とはあくまでも暫定的なもので、社会的に定義され、時代によって移り変わるとされています。

「能力をはかるものさし」は時代により、下記のように移り変わってきました。

□~19世紀前半まで 「伝統主義」
・社会における地位は「血筋や家柄」に大きく影響される
・能力をはかるものさしは「重要視されない」状態

例 身分制 世襲制など

□19世紀後半~20世紀前半 「学力主義」
・社会における地位が「学力」に大きく影響される
・能力を測るものさしは「学力」

例 学歴主義 学閥など

□20世紀後半~現代 「能力主義」
社会における地位がコミュニケーション能力やリーダーシップなど様々な能力に影響される
能力を測るものさしは抽象的な「新しい能力」

例 新しい能力 人生100年時代の社会人基礎力など

このように、時代によって求められる能力、それを測る「ものさし」及びその影響力は変わります。

現代の就職活動では、学歴が就職に及ぼす影響が段々小さくなってきており、ましてや家柄や血筋が就職に(直接)影響することは殆どありません。
世の中的には、学歴や家柄に縛られることなく、個人の能力そのものを重視するという考え方が主流です。

そういった意味で現代では「能力至上主義」がどんどん加速しています

このように、社会における地位に影響する「能力」とその「ものさし」は、時代によって変わっていくことがわかりました。
では、スポーツの能力をはかる「ものさし」とはなんでしょうか?

スポーツにおける「ものさし」も変わっていく

現代においてスポーツの能力を測る一番大きなものさしは、「試合の結果」である。
このことに異論がある人は少ないでしょう。

しかし、試合の結果はあくまでも結果であり、選手それぞれの能力が結果に正確に反映されているかといえばそうではありません。

例えば、
80点(仮定)の選手が11人いるサッカーチームと
100点の選手1人と10点の選手が10人いるチームが戦えば
間違いなく前者が勝つでしょう

しかし、プロのチームが本当に獲得したい選手は誰でしょうか?
そして、その選手にパフォーマンスを発揮する機会は十分に与えられているでしょうか?
80点の選手が100点に見えてしまうことはないでしょうか?

例えば、
暑さに強いけど寒さに弱い長距離走の選手と
暑さに弱いけど寒さに強い長距離走の選手が
夏のインターハイで戦えば前者で勝つでしょう

しかし、冬に開かれる箱根駅伝で活躍する選手を獲得するためには、この大会の結果だけで判断するのは、懸命でしょうか?

このように、「試合の結果」とは、あくまでも能力を定義するのに便利なものさしであって、そのものさしが完璧であるとは言い切れません。
スポーツの能力は抽象度が高いものも多く、また技術的に計測できる範囲も小さかったため、「結果を出したものが能力が高いことにしよう」という決まりごとに従っているに過ぎません。

僕は、これからスポーツ科学やインターネットの発展によって、アスリートの能力の評価が「結果」だけではなく、様々な「ものさし」が用いられるようになると考えています。
その理由は以下の通りです。

・スポーツ科学の影響
スポーツ科学の発展により、選手の能力がより数値化出来るようになります。
現にサッカーでは、1試合のスプリント回数や走行距離が数値化され、それが選手の評価に影響しています。
分析が細分化されていけば、「試合に負けた100点の選手」の発掘が容易になります。

・インターネットの影響
インターネットの発展により、これからスポーツの試合はどんどんインターネット上にアーカイブ化されるようになります。
現に、YOUTUBEにはこれまで、TVの電波に載らなかったレベルの試合がどんどんアップされています
そうなると、チームが弱く地区大会で敗退していた逸材や、伸び代はあるが現時点では結果を出せていない選手の発掘が容易になることが考えられます。

そして、インターネットによる影響はインターハイや甲子園という「結果」を測る試合がなくなった今年の夏、一気に加速すると僕は考えています。
コロナ明けには各地方で大会が開催され、その模様はインターネットを介してスカウトの目に届きます。
選手、スカウト両者がインターネットを使った選手発掘の有効性に気づき、これまで全国大会などの大舞台に到達できず埋もれていた逸材がどんどん発掘されるようになるでしょう。

まとめ

本著は能力をはかる「ものさし」は絶対のものではなく、あくまでも暫定的なものであり、その時代の社会によって定義され、移り変わっていくことを教えてくれました。

僕は、スポーツにおいてもそれは例外ではなく「結果至上主義」という「ものさし」がこれから、大きく変わっていくと考えています。

そして、新型コロナウイルスはその流れを一気に加速させることは間違いないでしょう。
その流れに乗れたアスリートや指導者が生き残ることができます。

この中断期間の間でスポーツ関係者は改めて、スポーツにおける能力とは何か?ということを今一度問い直す必要がありそうです。

★今回読んだ本

「暴走する能力主義」

中村高康著

https://www.amazon.co.jp/dp/b07dfdvrsg/ref=dp-kindle-redirect_encoding=utf8btkr=1


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