仲間と友達の違いに今更気づいた
タイトルの通りだ。
別業種に就き時間も精神も忙しい中で、例えば職場の人とは平日には会えるけど、休日にわざわざ会いたくはない。逆も然り、街のBARで出会った価値観の合う人も、もしかしたら「共闘する」という考え方には、至らないかもしれない(勿論至った人もいます その方には今現在めちゃくちゃお世話になっています)。
つまりアレだ。仲間というのは共闘のために存在し、友達というのは共存のために存在する。だから、共闘の仲間を共存に誘うと破綻するし、逆に共存の友達を共闘に誘うと、意見の食い違いで失敗するだろう。それもそのはずだ。共闘はある目的の為にある。共存はある安心の為にある。
自分はずっと、仲間と友達を混合していた。それもそのはずだ。若年期に"社会との距離感"で悩む中で、(主にTwitterで)社会への共闘とある種の連帯感で、どんどん"親友"ができていった。
人間関係において、それらの定義を考えたことがなかった。それは、自分に仲間がいなかったからだ。職場や学校では孤立していた。職場や学校みたいな、ある特定の目的を果たす場所に仲間がいる。職場や学校で孤立している、そんなあなたを理解するために友達がいるのだ。職場や学校で出会う、話を聞いてくれる人間は、友達か仲間の種別はない。それをミスると、距離感で嫌われることもある。
これに気づいた時、大発見をしたと思った。しかし、「友達と仲間の違い」で調べると、意外と出てくるのだ。
だから、この記事を読んだあなたが、感心することだけが、私の喜びである。
あなたはきっと、冒険処女という存在の、友達だろうしね。
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