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#4 どれでもない、そのすべて

 年末年始は一年を無事過ごしてきた安心と、どこか落ち着かない気持ちが入り混じっている。日付を超えるたった1秒で何が変わるというわけでもないけど、その瞬間をどんな気持ちで、どこで、誰と、どうしていたいと願うか、そんなことが来たる新しい1年に関わってくるような気がして。元旦におみくじを引いたら、末吉で、たしか去年も末吉だったような…。けど、今年は、末吉だろうが良い年にしてやる、と強く思ったので、きっとそんな年でしょう。昨年から取り組んできた作品が良い仕上がりになってまもなく形になることで、あっという間にワクワクするモードに。単純だなと思います。早いものでもう節分。節分と立春のほうが私にとってはいつも季節の始まりのように感じます。間が空いてしまったけど、今年も書きたいと思ってますのでよろしければお付き合いください。良い年にしましょうね。     (ヘッダー Photo by Mika Suzuki)

新しいページにいくのか、塗りつぶすのか、諸説ある話題

 さてさて。こないだこんな話題になった。恋人などの密接だった関係が解消されたとき、嫌いになってそれきり疎遠になるか、はたまた友人になり得るか。皆さんはどうですか? ある女の子は、過去は全部記憶から消去して、新しい相手のことしか見ない!と言ってるのが印象的だった。確かに新しい人間関係を大切にするためにも、清算していくのが自然、必要なケースも多いと思う。私は……どちらかといえば、後者。でも厳密に言えば友人というのも違う。ぴったりくる言葉はなかなかみつからない。日々、感情をどう言葉に変換するか思考を巡らせ、ときに名前を与えることで存在を示せたときはとてもすっきりする。でも関係性を表す言葉は、役割であったり称号であったりもして、またその役割が担う価値観も様々で、難しい。友達、親友、家族、兄弟、恋人、元彼(カレ/カノ)、妻、夫、愛人、仲間、同志… そのラベルを貼れなくなった時、きれいさっぱりラベルを剥がすか、または「Ex-」のラベルを貼るんだろうか。

強いて言うなら戦友?

 昔の話。知り合ってまだ日が浅いうち、というか会って二度目で、付き合いましょう、と言われたことがあった。その後、そのひとはすぐ近しい人たちに私を彼女、と紹介してくれた。本来なら嬉しいことのはずなのに展開の早さに追いつけず、どこか借りてきた猫みたいな気分だった。そのとき、関係性というのはラベルを貼ったからといっていきなりそうはなれないのだなと思った。少なくとも自分はそうなんだと。逆に彼が積極的にそうしたのは、そうしたほうが私(彼女)は喜ぶと思ったから。さらに言えば、迷いがないという誠意の示し方だったのだと思う。だから彼は私が喜ばないばかりか困惑しているのを不思議がった。迷いのないところは実際、素敵だと思う。ただ、そのとき、彼のこれまでの人生のなかの「彼女」というラベルがくっきりと見えていて、私はその「彼女」になりたいというより、相手をもっとよく知りたいとか、私が何が嬉しいのか知ってほしいとか、私とその人の関係性を育ててみたかった。私の考え方はやや変わっていた、というか逆に考えすぎてめんどくさいのかもしれないけど、その時はわからなかった。いきなりちぐはぐなスタートを切ってしまったその人とは、お互いに今までなかった価値観に直面し、よかれと思ってしたことが裏目にでたり、カルチャーショックを受け合い、発見の連続だった。最終的にお別れするときは、まるで戦友のような、お互い正々堂々よく闘ったよね、という気持ちだった。

あなたはあなた

 特別な存在だと思ってくれたら何より嬉しい。でも、なぜ存在を認められ、居場所を与えられたはずなのにどこか不安だったんだろう。あるとき、長い付き合いの、あるひとがこう言ってくれたことを思い出した。「慧ちゃんは、なんていうか(自分にとって)ずっと慧ちゃんなんだよね」と。
 私にとって、あなたはあなた。そのとき私を満たしたのは、とてもあたたかい安堵の気持ちだった。包まれるように温かかく世界が広がった。すべては移り変わる。そのなかで、どんなに変わっても変わらない関係があること。変わること自体も含めて受け入れてもらえた気がした。役割が失われてもなくならない、という安堵。友達、親友、家族、親戚、兄弟、恋人…関係性が役割だとしたら、担うひとは移り変わっていく可能性もある。いつも根っこには家族のことがある。私の両親は私が7歳のときに離婚しており、その後23歳のとき、弟が出来た。父が新しい家庭を築くことを最初から賛成し、祝福していた。それでも弟が生まれたとき、喜びとともにほんの少しの寂しさがあった。自分はとっくに大人で、これから父は私の父でなく、新しい家族と、幼い可愛い弟の父になる。私と過ごした時代を思い出すのは新しい家族にとって喜ばしいものではないかもしれないと。でも父は今も、ずっと私の父でもいてくれている。それを許してくれる父の家族に感謝しているし、わたしも家族が増えて嬉しい。

 出会ってきたすべてを大切にしようなんて、ましてや大切に思われたいだなんて、とても傲慢なのかもしれない。抱えておけるものには限りがあって、みんな一番近くにいてほしいひとを、一番大切にしていくもの。でも、ラベルをつけられない絆はたぶんある。あなたと私、としかいいようのないもの。あなたという人に代わるものはない、代わる必要もない。私の中にはあなたの場所がある。あの時期が、あの時代がある。あのときの言葉は、どこかでそう思っていてもいいという安堵をくれた。

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 LAでソングライティングセッションをしたとき、私を含め、三人のソングライターが集まり、初対面で私は、ただでさえうまく説明できないような、ラベルをつけられない絆について拙い英語で説明した。曲が生まれた。

 前述の戦友のようなひととは、時が経ち、会うことはないが、何かの折りに近況を報告することもある。でも連絡とる、とらないはあまり関係がない。元気でいるなら嬉しい。それはずっと変わらないと思う。あのたくさんカルチャーショックを受けた時期があったから、わかるようになった感情がある。

 10代の頃からずっと頭に浮かぶ景色がある。いつか人生が終わる日がきたら、お芝居のカーテンコールみたいに、幕がもう一度あがり、今まで生きてきて出会ってきたみんなが一同に揃っていて、喧嘩別れしたひととも全然違う場所で出会ったひともごちゃまぜで再会を喜ぶ。なぜだかずっとそんな気がしてる。

今年も歌っていきます。


2020年2月12日(水)東京・渋谷JZ brat
大 和 田 慧 New Year Live "シネマティック 2020"
〜ライブ盤「Come Alive」リリース〜
出演:大和田慧(vo,g)、吉田サトシ(g)、宮川 純(keys)
伊吹文裕(ds)、越智俊介(ba) from CRCK/LCKS、HARUNA(cho)、
<NEW> ゲスト:小西遼(sax)from CRCK/LCKS
時間:Open 17:30 / Start 19:30(途中休憩あり、入替なし)
会場:渋谷 JZ brat https://www.jzbrat.com/
チャージ:予約¥4,000 当日¥4,500 +ご飲食
ご予約:https://www.jzbrat.com/liveinfo/2020/02/#20200212

【 Cinematic 2020 ミニツアー with 宮川純(key) 】

・2月23日(日)名古屋 新栄 sunset BLUE
・2月24日(月・祝)浜松エスケリータ86 



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