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【寄稿】モザイク国家トルコの苦悩:鈴木慶孝氏

 アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがり、古くから多様な民族が行きかう東西の交易地として、豊かな歴史と文化を育んできたトルコ。2020年7月、その歴史と文化を象徴する建造物の一つであるアヤソフィアが、トルコ最高行政裁判所の決定を受け、イスラムのモスクに変更されることが突如発表された。この決定は、トルコ国内に限らず、国際的に大きな話題と波紋を呼んでいる。

 いまトルコで何が起きているのか。またどのような社会背景がこのような動きに結びついたのか。そして、現代のトルコ情勢から、私たちが得られる問いや示唆とは一体どのようなものなのだろうか。

 ここでは、『〈トルコ国民〉とは何か――民主化の矛盾とナショナル・アイデンティティー 』(2020年9月刊行)の著者である 鈴木慶孝氏に、現代トルコが抱える苦悩とその背景について、ご寄稿いただいた。

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アヤソフィアのモスク化

 東西の文化が共存し、様々な諸民族が暮らすトルコ共和国で、現在のトルコの様相を伺い知ることができる、ある出来事があった。2020年7月、イスタンブルにある世界遺産アヤソフィアがモスクへと変更されたのである。トルコの国土であるアナトリアの歴史を反映するように、アヤソフィアの機能や価値もまた多様性に富んでおり、様々に変化してきた。これまでアヤソフィアは、ビザンツ帝国時代のキリスト教の教会から、オスマン帝国時代のイスラーム教のモスク、そしてトルコ共和国時代の博物館へとその姿を変えてきた。そして今回の再モスク化である。イスラーム礼拝の最中には、アヤソフィア内のキリスト教時代に描かれたモザイク画は、カーテンによって覆い隠されてしまうことになった(朝日新聞2020年7月12日/ 25日)。
 アヤソフィアのモスク化は、すでに国際的な批判を生み出しているが、それはアヤソフィアのもつ豊かな歴史性や、多様性に開かれた空間が失われかねないという危機感からであろう。トルコには様々な民族・宗教集団が存在しており、多様な人々によって「トルコ国民」が形成されている。現在のトルコは、民族的・宗教的マイノリティー集団の包摂問題に直面している。そうしたなかで、スンニ派ムスリムの優位性のもとで、「トルコ国民」の共有財産であるアヤソフィアの宗教的多様性は、一方的に覆い隠されたり、排除されることになった。これはスンニ派以外の「トルコ国民」に対しても、同様のメッセージを送るものだろう。つまりトルコの民族的・宗教的な多様性は、そのつど権力者やマジョリティーによって恣意的に覆い隠すことができ、マイノリティーはいつでも従属的な地位に留め置かれ、排除されるのだ、ということである。
 アヤソフィアの歴史が象徴するように、アナトリアという空間もまた、常に多様性とともにあった。しかし、トルコが国民国家として成立して以来、その正当なメンバーシップはトルコ民族、スンニ派ムスリムに事実上限定されてきた。そしてアナトリアは徐々にトルコ化、公定イスラーム化され、今日ではトルコ国家・政府の管理する「トルコ・イスラーム」が支配する地域となった。今回のアヤソフィアのモスク化は、本来多様であるはずのトルコが、特定のマジョリティー集団によって支配されていることをより印象づけるものである。
 再びアヤソフィアの価値が、「東西の文化が融合するトルコ」の象徴として(朝日新聞2020年6月14日)、あるいは「トルコ国民」の多様性の象徴として体現される日は来るのだろうか。シリア難民の流入を受けて、すでにトルコ国内では、数多くの「シリア系トルコ国民」も生まれている。「トルコ国民」の内実はこれからも多様化していくだろう。トルコ国家・政府の望みに沿う形で、トルコの社会的多様性を管理し、統制することはすでに難しくなっている。国民統合を達成するための、モザイク国家トルコの苦悩は続いていく。

カッパドキア

【トルコの世界遺産、カッパドキアの岩窟内に描かれた、キリスト教の十字架】(2015年11月17日、筆者撮影)
アヤソフィア同様、トルコの多様性を感じさせる歴史的建造の一つ。


多様性から成るトルコ共和国

 1923年に樹立したトルコ共和国は、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクの指導のもと、西洋近代化、国民国家の確立を目指してきた。トルコの政治・社会・地政学的な影響力、重要性は、前身のオスマン帝国と比べても変わることはなく、今も国際社会で大きな存在感を示している。様々な出自や背景をもつ人々によって構成され、雄大な歴史を歩んできたオスマン帝国だが、その民族的・宗教的なダイナミックさもまた、変わることなく現在のトルコに引き継がれている。
 しかしながら多くの人々は、トルコを多民族国家、多文化・多宗教国家ではなく、「トルコ民族の国」、あるいは「スンニ派ムスリムの国」として認識していることと思う。少なくとも、かつての筆者はそうであった。確かに現在のトルコ社会では、トルコ民族やスンニ派ムスリムがマジョリティーを形成しているために、そうしたイメージをもつこと自体は誤りではない。ただしこうした一般的なトルコのイメージが、トルコ国家・政府にとって望ましい、対外的な「トルコ国民」のイメージ作りの結果であることは、留意すべき点である。
 現在のトルコは、様々な民族・宗教問題から、国民社会の分断を経験している。クルド人による分離独立運動だけでなく、スンニ派支配に抵抗するムスリムマイノリティー集団も台頭している。そのために、トルコ本来の多様性があらわになるにつれて、「トルコ民族やスンニ派ムスリムから成るトルコ国民」という同質的なイメージも、実態とともに変化せざるをえなくなっている。実際にトルコでは、様々なアイデンティティーをもつ人々が生活しており、多様な人々によって「トルコ国民」は形成されている。そこにはキリスト教徒や、ユダヤ教徒も含まれる。しかしトルコにおける民族的・宗教的な多様性のありかたは、国民統合上トルコ国家・政府にとって都合のいい多様性、つまり権力者によって「管理された多様性」として維持・表象されることを余儀なくされてきた。そして、国家の管理を逸脱する社会的多様性は、国民の同質性を侵害するものとして、弾圧・抑圧の対象とならざるをえなかったのが実態である。
 こうした国民社会の分断が、多様な勢力の主張を封殺するエルドアン政権の強権化や、トルコ社会の不安定さを引き起こす原因の一端となってきた。本書は、「<トルコ国民>とは何か」という問いを手掛かりに、国民概念やナショナル・アイデンティティーの性質、民族・宗教問題を横断的に分析することで、トルコ政治社会の不安定化を生み出すに至った原因そのものを解明することを目指したものである。そして、トルコがどのようにして多様性に根差した国民像を提示し、トルコ社会を再構築することができるのか、その課題や展望を示そうとしたものである。
 トルコは、多様性と同質性の間で揺れ動いてきたわけだが、トルコの国民概念やナショナル・アイデンティティーに目を移してみるならば、実のところ、建国当初からトルコが多様性を前提に構築されていたことに気付かされる。トルコ国家・政府は公式に、建国から今日に至るまで、「トルコ国民」はトルコ民族やスンニ派ムスリムだけではなく、多様な人々によって形成されることを明確に示してきた。世俗主義・政教分離(ライクリッキ)を導入することによって、イスラームの公的な影響力を排し、多様な宗教集団に対しても中立・公平であろうとしてきた。しかし、「トルコ国民」やナショナル・アイデンティティーを、トルコ民族・スンニ派ムスリムによって占有したいという国家エリート層の思惑によって、トルコの多様性は実際には弾圧され、厳しく管理されてきた。政教分離を掲げてきたトルコだが、共和国の建国とともに設立されたイスラームの管理・啓蒙活動を行う大統領府宗務庁によって、国民統合が担われている。宗務庁以外のイスラーム活動は、「政治的」、「異端」だとして、弾圧と抑圧の対象となった。つまり、宗教的自由・権利は著しく制限されている。ここにトルコの国民概念とナショナル・アイデンティティーの矛盾がある。トルコは多様性と同質性の間でジレンマに陥っており、今日ではその矛盾がさらに拡大していく傾向にあるといってよいだろう。

国父アタテュルクのメッセージ

【宗務庁本部内に掲げられた、国父アタテュルクのメッセージ】
トルコ国民は、“質素に / 純粋さによって、敬虔にならねばならない”。
(2015年10月17日、筆者撮影)
どのようにして、純粋さを保つのか。宗務庁の管理するイスラームのなかで、トルコ人は「宗教的な純粋さ」を保つよう、要請されるのである。それ以外のイスラームは「不純」なものとなる。 

 トルコは、「国民国家」を樹立した。これは「国民」から支配の正当性を引き出した統治形態である。トルコ政府の正当性もまた、「トルコ民族・スンニ派ムスリム」ではなく、「トルコ国民」から得ている。そうであれば、政府は「トルコ国民」の利益を代表し、あらゆる国民の権利と自由を保障するよう努めなくてはならない。しかし実態を鑑みれば、トルコ国家・政府は特定の民族、宗教集団の利害を優先していると言わざるをえない。その一端が、前述のアヤソフィアのモスク化にも現れている(その他の様々な事例は、本書でも議論している)。

外部に閉ざされた東部・南東部アナトリア

 日本からトルコへ旅行に行くさいに、団体ツアーを利用する方も多いだろう。日本の大手旅行会社のプランを見ていると、ある共通点がみえてくる。それはイスタンブル、イズミール、アンカラ、コンヤ、そしてカッパドキアなど、西部・中央アナトリアを中心とした、旅行プランが多いということである。トルコは観光立国でもある。そのために、こうした地域はインフラが十分に整備されており、経済活動の中心地ともなっている。活気もあり、観光客や地元の人々が多数行き交っている。いずれも観光地として、安心して景観を眺めることができる場所である。これらはトルコ国家・政府にとっては、部外者向けの「見せたいトルコ」であり、安全・安心が確保され、管理された場所だといえる。
 一方で、こうした団体ツアーで東部・南東部アナトリア地域が行き先として選ばれているのを、あまり筆者はみたことがない。多くの観光客が目にするトルコとは、明るさと活気に満ちた西部・中央部までである。だが、普段目にすることのない東部・南東部アナトリアの様相にこそ、トルコ国家・政府が隠したい、トルコの負の側面がある。
 東部・南東部アナトリア地域は、ひろくクルド人が住んでいる場所であり、分離独立運動や紛争の中心地となっている。道には装甲車が配置され、重武装した警察や治安部隊が睨みをきかせ、巡回している。テロとの戦いによって、多くの村や町が破壊されてきた。生活インフラや産業化・工業化が未熟なこともあり、西部大都市圏の活気や賑やかさとは異なる、独特の雰囲気がある。東部・南東部アナトリアもまた、管理された地域である。ただし観光客や、地域住民の安全・安心、幸福のためではなく、トルコのナショナル・アイデンティティーの維持、安全保障のための管理である。
 筆者がクルド地域に赴いたさいには、トルコからの分離独立を目指すPKK(クルド労働者党)の支持者だという人によく出くわした。PKKのメンバーを名乗る者もいた。出会ったクルド人政治家は、地図上の東部・南東部アナトリア地域を指したうえで、「ここはトルコではない。クルディスタンだ」と主張する。PKKの指導者であるアブデュッラー・オジャランの写真が堂々と飾られていることもあった。トルコ語ではなく、クルド語の看板もよく見かけた。日本のガイドブックにトルコ語とともにクルド語が併記されていることを喜ぶ現地の人もいた。筆者もクルド地域でテロリストに誤解され、警察に捕まり、尋問を受けたことがある(警察署は、最近ロケットランチャーを打ち込まれたばかりだという)。筆者なりの「クルドらしさ」を人々の態度や場所から感じつつも、当局の警戒・監視からか、それらはどこかひっそりとしていて、秘匿されているような気もした。クルド地域から西部地域に戻り、再び賑やかさを目にすると、安心感とともに別の国に来たような気さえした。確かなことは、クルド・アイデンティティーにまつわる事柄とは、トルコ国家・政府から「トルコ国民の豊かさ」と称賛されても、実際には表立って歓迎されることはなく、警戒対象だということである。
 これらは筆者の経験であり、一般化することはもちろんできない。しかし、仮に多くの人々が東部・南東部アナトリアを訪れることが可能になったとしたら、トルコ共和国が「トルコ民族」だけの国ではないことを実感することだろう。トルコは決して、トルコ民族が中心となって支配する西部・中央部だけではない。トルコ国家・政府からみた「見せたくないトルコ」を含めて、「トルコ共和国」は成り立っているのである。こうした現状を目の当たりにすると、「トルコ国民」としての一体感や、帰属感を再構築することの難しさをあらためて感じずにはいられない。だが、現実を直視しないことには、トルコの国民統合も、国民の間の平等の実現も、いつまでたっても果たされないままである。今のトルコに必要なのは、現在のアヤソフィアのように、多様性を覆い隠すことではなく、ありのままのトルコの様相を議論する勇気ではないだろうか。

多様性の承認に向けて

 多様性をどのように公平に承認し、社会で受け入れていくのかは、あらゆる国民国家の共通の課題である。筆者はトルコを研究対象とし、多文化化に向けた課題を分析しようとしたときに、トルコが他国にはない特殊な事情を抱えた国だと思っていた。しかし研究を進めていくにつれ、とくに現在の多様性の受容をめぐる問題に関しては、近代化や都市化、グローバリゼーション、資本主義経済、新自由主義、国民国家の変容といった、日本を含む多くの近代国家が経験してきた社会変動から、ある程度考察・理解可能だと感じるようになった。それはつまり、トルコが直面する問題は、世界が取り組むべき普遍的な課題だということである。本書でも述べたが、確かにトルコ独自の事情や歴史的経緯もあるが、アタテュルクたちは国民国家の樹立、西洋近代化を目指してきた。それゆえに、トルコもまた「近代」の到来によってもたらされた「国民」単位の政治社会秩序の再編を経験してきたのであり、現在もその同質性をめぐる諸問題に向き合っているのである。
 さらに、「<トルコ国民>とは何か」という問いもまた、あらゆるネイション(国民)に該当する。現代社会のなかで、国民の間の同質性を維持するために機能している民族的・宗教的要素は何であるのか。「国民的な諸価値」として正当だと思われている文化・歴史・宗教・道徳とは何であるのか。これらはまさに、あらゆる国民国家に共通する、普遍的な問いである。日本でも、様々な背景や出自をもつ「日本人」の存在が当たり前となっており、「<日本国民>とは何か」という問いへの答えも、決して自明のものではなくなっている。グローバリゼーションのなかで、トルコも日本も多文化性がよりあらわになっているが、そうした現状に関する国民の認識も、多様性の受容に向けた取組みも十分であるとはいえない。昨今ではむしろ、ナショナリズムの感情とともに、排外主義や他者に対する差別的・攻撃的な感情、言動がこれまで以上に高まっている。多様性の尊重、他者との共生といった理念もまた、グローバル世界のなかで逆風を受けている。
 しかし、国民社会の変容と多様化に関する国民的な理解を醸成し、適切な策を講じなければ、社会の分断がさらに深まり、排外主義が拡大していくことは誰の目にも明らかである。多様な背景や出自をもつ人々と共生し、様々な人々のもつ自由・権利・平等、そして尊厳が守られる社会を実現していくためにも、これらの諸問題を直視し、議論を重ねていくことがこれまで以上に重要になっていく。それはトルコも日本も、欧米諸国も、どこでも同じである。
 トルコもまた、2023年には建国100周年を迎える。トルコは次の50年、100年をどのように歩んで行くのだろうか。国内のマイノリティー問題だけでなく、移民やシリア難民の社会統合を含め、多様性の包摂に向けた課題は山積している。現状としては、トルコが多様性に開かれた政治的・社会的空間を構築するには、まだまだ時間がかかると言わざるをえないだろう。しかし、オスマン帝国からの歴史的意識・遺産を共有する「トルコ国民」であれば、長い年月はかかったとしても、弾圧や抑圧ではなく、多様性に根差した国民意識や社会の再構築は十分に可能である。
 他者に対する不寛容や差別、弾圧が蔓延するこの世界のなかで、多様な人々が共存するトルコの姿は、トルコ国内だけでなく、世界に対してもポジティブなメッセージを送るものだろう。多様性の宝庫でありつつ、その受容に逡巡し、葛藤してきたトルコだからこそ、果たすことができる歴史的な役割があるはずである。本書ではそのための課題を様々に分析してきた。筆者もまた、トルコがこうした困難な課題を乗り越えて、多様な人々との共存の道を歩んでいくことを期待するものである。


(※以上は、本書の本文および「あとがき」をもとに大幅に書き直したものです。)

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[執筆者プロフィール]

鈴木 慶孝(すずき よしたか)
1987年茨城県生まれ。2018年慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(社会学)。
専門領域は国際社会学、多文化主義・多文化共生研究、トルコ研究。
現在、大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員。清泉女子大学、津田塾大学で非常勤講師。

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