見出し画像

【寄稿】現在のアメリカ社会を考える:池田年穂氏

 黒人男性のジョージ・フロイド氏が警察官に首を押さえつけられて亡くなった後、人種差別に抗議するデモが、Black Lives Matter 運動(BLM 運動)としてアメリカ全土で拡大を見せており、終息が見えない事態となっている。

 そのような状況のもと、アメリカであらためて注目を集めている書籍がある。アフリカ系アメリカ人作家、タナハシ・コーツ著の世界と僕のあいだに』(原題:Between the World and Me)だ。この作品は2015年発売以来アメリカ国内で大きな話題を呼び、これをきっかけにコーツはアフリカ系を代表する作家の一人となった。

 ここでは、『世界と僕のあいだに』の日本語版訳者である 池田年穂氏に、タナハシ・コーツの作品を通じて見えてくる現代のアメリカ社会について、ご寄稿いただいた。

画像1

タナハシ・コーツ

Ta-Nehisi Coates (13 July 2015) by Eduardo Montes-Bradley. From Wikipedia


――――


其の一

 『世界と僕のあいだに』についてわずかな字数で語る。なんとむつかしいことだろうか。「一度目は「知る」ために、二度目は雰囲気を「感じる」ために、そして三度目は感情移入するのを己に「許す」ために読みました」とメールをくれたのは、45歳のコーツよりわずかに年上の研究者だった。

 2020年のアメリカは、11月の大統領選本選の行方、猖獗(しょうけつ)を極めている新型コロナウイルス、5月25日のミネアポリスでの警官によるジョージ・フロイド氏殺害に端を発したBlack Lives Matter (BLM)運動の再燃とその広がりによって記憶されるのではないかと思う。このBLMについては、メディアやSNSで毎日のように報じられている。ただ、アメリカの警察によるアフリカ系アメリカ人(以下、黒人)への積年の残虐行為と、警官寄りの裁き。唖然とさせられる黒人男性の刑務所への収監率に、広がる一方の白人との経済格差に加えて、黒人男性が肉体を初めとしてあらゆるものを容易に略奪されうると日々感じているさまを理解するのに最適な書は、2015年に刊行された本書ではないかと思う(大型ネット書店を覗いたら、BLMで黒人関連の書も多いが、本書は現在も「アメリカ史#1」だった)。

 ハワード大(旧黒人名門大学)での日々やパリ訪問など祝祭的な描写もあるが、読むのに辛い本だったという感想もずいぶんと寄せられた。本書は、当時のオバマ大統領、(ジェームズ・ボールドウィンの再来とまで述べた)ノーベル賞作家故トニ・モリスンなどに激賞され、全米図書賞やカーカス賞を受賞するなど高い評価を得るとともに、世界的な大ベストセラーとなった。本人も権威あるマッカーサー基金の「ジーニアスグラント」を受けると言う栄誉に与った。コーツ作品のわが国への紹介は拙訳の本書で、2017年2月の刊行。コーツの言葉を借りれば「最初の白人大統領」であるドナルド・トランプが就任してすぐであった(同年7月には、原著が2005年刊行の自伝的な『美しき闘争』も出版された)。

 本書の記述スタイルは、コーツが息子の14歳のサモリに送る手紙になっている。しばしば引用される

「けれども、人種は人種主義の子どもであって、その父親ではないんだ」

を初めコーツの知見が、

「お前が投げ込まれたのは、いつも向かい風を面に受け、猟犬が足元まで迫ってきているレースなんだ」

といった心情吐露が、と心に残る表現がいくつもいくつも出てくる。コーツの父はコーツの少年時代にはコーツのためを思い、ベルトで鞭打ちながらこの危険に満ちたアメリカ社会でしてはいけないことを教え込んだものだ。

 そして、社会的に成功した一家の優等生であり、「その名プリンスにまったくふさわしい」コーツの同級生プリンス・ジョーンズが、医師の母親の言葉を借りれば「人種主義的行為が一回あった」だけで、警官に理不尽に殺害され、輝かしい将来を略奪されてしまう。できれば、慶應義塾大学出版会の本書の特設ページに寄せた「キング・トランプ&プリンス・ジョーンズ」をお読みいただきたいと思う。本書のライトモチーフである「ドリーム」についてもそこでお読みいただける。


画像3

2020年5月30日、ワシントンDC。連日報道されるBLM運動。

George Floyd protests in Washington DC. Lafayette Square (31 May 2020). by Rosa Pineda. From Wikipedia



其の二

 トランプというレイシストに対するコーツの舌鋒は鋭い。3月に刊行したティモシー・スナイダーの『自由なき世界』(原題:The Road to Unfreedom)からも、近刊のコーツの  We Were Eight Years in Power  ――邦題は『僕の大統領は黒人だった』(仮題)――からも、なぜ最初の黒人大統領の後でトランプという「サドポピュリスト」(スナイダーの造語)が誕生したのかについて、学ぶところがきわめて多い。

 池田は、大統領選本選と同時期に刊行すべく『僕の大統領は黒人だった』翻訳の最終的な詰めをしているところだが、同書はオバマ政権の8年間に『アトランティック』誌に寄稿した記事のアンソロジーであり、それぞれの記事にコーツ自身の解説が付されている。コーツは、例えばこの近刊にも収録されている2012年の記事「黒人大統領の恐怖」によってナショナル・マガジン・アワードを受賞するなど、それまでも注目されているジャーナリストであったが、この中の2014年の「損害賠償請求」という記事はまさに彼にとってのブレイクスルーであった。実際に、ジョージ・ポーク賞(2014年度)、ストウ賞(2015年度)などを受賞したし、さらにその翌年の『世界と僕のあいだに』で前記のようにアメリカを代表する知識人の一人と目されるようになる。

 現在のアメリカ社会を分析するうえでよく用いられるtribeという言葉……これはアメリカ社会だけでなく世界中で用いられているが。池田が2017年のティモシー・スナイダーの On Tyranny: Twenty Lessons From the Twentieth Century を『暴政――20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』として訳書を刊行した際に、訳語として迷ったのがこれだった。「アイデンティティ政治」などと違って、その頃は「トライブ」は通じないだろうという意見が強かった。『暴政』の中に以下のような一文がある。

「ヴァーチャルなインターネットの世界では、陽光の下では見えない新しい集団が出てきました――不正操作の恩恵を被り、別種の世界観を持った手合いです」

この「集団」の原語はtribeだったのだが、今では、世界の現実を踏まえてか、〈同じ主張の人々がまるで「部族」のようにまとまり、他のグループと対話するのが難しい状態が「トライバリズム」である〉といった趣旨での使われ方を日本語でもされるようになった。 

 今年の大統領選挙で問われるものはいくらもある。コーツに言わせれば「ホワイトトライブ」のいわば族長であるトランプが再選されるかどうかが最大の焦点であるのは言を俟(ま)たないが、勝者がどのように支持を得たのかをdemographicな観点から分析することもまた将来の重要な課題となろう。

画像2

左からオバマ、バイデン、トランプの3氏。大統領選の行方は。

Biden with Chuck Schumer, Barack Obama and Donald Trump (25 September 2019) from Wikipedia


――――

[執筆者プロフィール]

池田 年穂(いけだ としほ)
1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学名誉教授。移民史、移民文学なども講じてきた。ティモシー・スナイダーの日本における紹介者として、『自由なき世界』『暴政』『ブラックアース』『赤い大公』(2020年、2017年、2016年、2014年)を、タナハシ・コーツの紹介者として『世界と僕のあいだに』(2017年)を翻訳している(出版社はいずれも慶應義塾大学出版会)。ほかに、アダム・シュレイガー『日系人を救った政治家ラルフ・カー』(2013年、水声社)など多数の訳書がある。

この記事で紹介した書籍はこちら

世界と僕のあいだにバナー

美しき闘争バナーnew

自由なき世界上

自由なき世界下

暴政バナー




#国際情勢 #政治 #Black_Lives_Matter #BLM #BLM運動 #アメリカ大統領選 #慶應義塾大学出版会


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?