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彼が自分の会社を「この会社」というようになった日から会社を辞めるまで

同僚といつものように自分たちの会社が変わっていかない経営への不満を話していた時に何となくどの奥に魚の骨が刺さったような感覚を覚えたことがあった。暗闇で目の横を何かが通ったような気がして振り向いたけど眼鏡に移った蛍光灯の残像だったようなあのちょっとした違和感。

「この間社長が木村部長におまえどうやって責任とるんだ!って言ったらしいんだけど本当に正気か!っておもったよ。それ決めたの自分じゃんって感じ。そもそもこの会社って独裁体制にもほどがあるよね。昔はもっといろいろチャレンジしていこうっていう感覚があったけど今では怖くてこの会社じゃだれも何も言えなくなってて幹部が幹部として機能していないよな」

「この間会ったあの会社本当に昔とガラッと変わったよね。昔はただのゴムを作る会社だったのに今では自社のコア技術を生かしながらも提携や買収や新たな社長を外部からとったり、いまでは医療から電子デバイスに事業をシフトしてるし。ある時期に経営が相当覚悟を決めて投資したらしいよ。なんでこの会社はそれができないのかと思うよ。いつまでも事業部同士で中悪いし、全体の船が沈んでいることを自覚しながら変えないなんでこの会社の経営はどうなってんだよ」

—— 〻 ——

その時は何となく感じていた違和感の理由をぼくは突き止めることができず、ちょっと「?」くらいの違和感しかなかったので気に留めていなかった。

それはいつもの二人の会話だったりし、二人とも誰かの悪口を言うよりも会社全体への不満を語るタイプだったし、お互い得意分野が全く違ってたけど何とか良い方向に会社をもっていきたいという思いは一緒だった。

そして彼はそれから数か月後に辞めた。

彼から退職の話を聞いたときに本当に残念な気持ちでこころがシュンっと萎えて複雑な表情をしていたと思う。

全力で応援したいと思えるような転職を決めたので本当によかったと思っている一方で、自分が沈んでいく船から下船する覚悟を持てずに取り残された感があって、年末に向けてまたいろいろと自分のキャリアについて考えなきゃなあと思った。

ぼくはあの時の違和感が何だったのかについて振り返ってみた。

—— 〻 ——

「そもそもこの会社って」

「この会社じゃ」

「なんでこの会社は」

「この会社の経営は」

そう、あの時を振り返ってみると彼の発言は一つの言葉が含まれていた。

あれは日本企業の特徴である「ウチとソト」の文化でいえば「ソト」からの発言だった。

京都に限らず日本の文化には「ウチとソト」の感覚がすごく根付いている。「どこ出身」「何大学卒業」「地元」「何々産業」「何年入社」「部活」「偏差値」など、とにかく自分と同じだったら内側と認識し、自分より上か下だったらそれ以外を区別することをとても好む。序列、優劣の話もかなり好きなのが日本人。その人個人よりもどこに属していたかを何歳になっても気にするところがある。

そんな日本人は常にウチとソトで分ける傾向が強い。いい年になってもつるんでいるのが好きなのだ。ぼくはたまたま海外生活を幼少時代にしていたこともあり、帰国後に一番ぶちあたったのはこの問題だった。いきなり公立の中学に入ったときは最初は「お前何小?」と聞かれて海外と答えたときの相手の対応に困った感じは今でも忘れられない。

とはいえ繰り返される転校の中で一人でも平気な耐性はついていたし、特に困ったことはなく、数か月もすれば新しい仲間ができて一緒に遊んだりしていた。かといって合わせることはなく、自分が行きたくないところにはいかないし、やりたいときだけ友達と遊んだり自分本位で過ごしてきた。

もともとソトの人間として生きることを小さいころから連続して経験してきたせいか、「その場限りの付き合い」とどんな友人関係も割り切る癖がついていた。なのでだいたい卒業とともに連絡は取らなくなる繰り返しを小中高大としてきた。そんな特性は幼少期の体験が影響している気がする。常に僕は一定の距離を置くソトの人生を歩んできた気がする。地元というものがないのでうらやましく思った時期もあるが今ではそういったものをうらやましいとは全然思わない。

—— 〻 ——

こういった「ウチとソト」の感覚が会社生活においてもある。「ウチの会社は何でこうなんだろう」「なんでウチは他社に負けるわけ?」「ウチの社風ってさあ」というのが普通な言葉としてでやすい。

「ウチの社長」「ウチの部長」「ウチの取引先」「ウチの業界」。とにかく会社が自分の運命共同体かのようにウチというように考えていつも発言していることが多い。ウチでつるんでソトとは距離をおくのが日本の伝統的なスタイルであるといえる。

彼の発言になんとなくぼくが感じたザワつきはここからきていた。


会社を辞めた彼はある日から自分の会社のことを「ウチの会社」とは言わなくなった。

ウチの会社ということにたいして心理的な抵抗ができたのだ。彼の中で「この会社の人たちと同類と思われたくない、自分はこんなところにはいたくない」、「こんな会社でどうやってキャリアをつめるのか」「俺の人生この会社で終わるのか」そういった思いが風船のように膨らんでいったのである。

そして彼は普段の会話でも「この会社」というようになった。この会社では働いているけど、「自分の会社ではない」という一定の距離をもった言い方に変えたのか、自然と変わっていったのだ。そして覚悟を決めて彼は船から下りた。

—— 〻 ——

ぼくはこう思ったときに、これは悪いことでもないと思った。それは自分がずっとソトの存在として子供の時代を歩んできたことも手伝って思ったことだった。

いい大人になって学生気分で仕事をしていたり、困ったら会社が何とかしてくれる、自分を守ってくれる、ウチの会社は人を切らないと思っている社員がいかに多いか。いかに会社で楽をしてとにかく責任やリスクのにおいがするところには近づかずに黙って静かにぶらさがることに執着する人がどれだけ多いか。

本来、会社とは一定の距離をもって、対等の精神で働く方が健全であるが長年勤めていると居心地はよくなるし現状に安住するようになる。本来は会社に雇ってもらっているのは、それに対するサービスを自分は会社に提供してその対価を得ているという感覚を忘れてはならない。

そういったビジネス上の契約をしていることを忘れてしまって、「ウチの学校」という感覚で「ウチの会社」と思っていては良い会社にならないのではないかとも感じた。

同僚がうちの会社と言わなくなり、「この会社」と言い出したら注意した方が良いのは人事部くらいで、ぼくらは積極的に「この会社」といった方がよいのかもしれない。あえてそう言うことで自分と会社に心理的な距離ができて、冷静な関係を築けるかもしれない。

ぼくも今日から「この会社」というようにしよう。「ウチの会社への貢献」ではなく「この会社への貢献」。「ウチの会社をよくする」ではなくて、「この会社をよくする」

うん。

なぜかしっくりくるぞ。


明日もこの会社でとりあえずやれることやるか。

keiky.



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