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コヤマケイコってどんな人?

誰か、特に思春期を過ごす子どもたちにとって、人生の参考資料になれば、と思い、書いています。こういう生き方をしてきて、今こう生きている人がいるんだな、と思ってもらえたら嬉しいです。長々とこれまでの人生について書いています。成長や変化などの要点は、あえてまとめていません。あくまでも参考資料ですので、読み手の方の受け取り方に任せます。

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勉強をまともに始めたのは、高校4年生の夏休みからなんです。有名予備校講師陣のようにすごい人ではなく、私立高校で働くふつうの講師です。ちなみに高4っていうのは、私は埼玉県にあった川越高校の定時制(4年制の夜の学校)出身だからなんです。

幼稚園から公文式に通っていました。自分で通いたいと言い始めたらしいです。小学校4年生くらいまでは、公文式の先取り学習が効いていて、成績は良い方でした。先生が教えてない字を書くような子どもだった気もします。

今でも公文式の好きなところは、本がたくさん置いてあるところです。のちのちわたしがアラスカへ行くきっかけとなる本「オーロラの下で」とはここで出会いましたし、そもそも本の世界への入り口となった場所でした。

小学校の高学年あたりから中学時代まで、学校や家庭でいろいろ辛い時期を過ごしていて(学校ではクラスメイトから、家では従姉からいじめられてたけど、家族はその事実や私の変化に対し無関心だったんです)、どこにも居場所がないと感じる日々でした。おばあちゃんがよく言っていた「あやちゃんは~なのに、けいちゃんはどうしてこうなっちゃったんだろうねぇ」というセリフに見て取れるように、1つ下の妹と常に比較されていました。それもすごく嫌でした。こうかくと中二病だと揶揄されるかもしれませんが、ずっと「この絶望的な人生の終わり」について考えているくらいでした。だから勉強への関心は徐々になくなっていき、下の方から数えたほうが早い成績に落ちていきました。

中学校では途中からは自立神経失調症となり、頭痛や吐き気が常にあって、行っても寝てばかりでした。公文式では数学についていけなくなり、継続10年まであと少しというところでやめました。今思えば原因は明らかなんですが、家族のうちの一部は、成績低下について文句を言うだけでした。当然、高校受験はなにも準備していません。でも絵を描くことが昔から好きだったので、美大に通うために、画塾とバイトを中心とした生活を送ろうとなりました。そして、いじめられる生活から脱却したいという気持ちが強く、地元の人が誰もいない、あえて少し離れた定時制高校を選びました。

定時制高校では、友達に恵まれました。40人くらいいたクラスメイトは、現役高校生のほうが少数派で、19歳から60歳くらいのおじいちゃん、おばあちゃんも一緒でした。10代20代の性格は、おとなしい子とヤンキーの両極端でしたが、ヤンキーは少しずつ辞めていなくなってしまい、確か20人程度で卒業しました。どんどん人が減るから、その分残った組は、世代や性格的な距離があっても、少しずつ仲良くなっていきました。わたしはまだこの頃ずっと家族とうまくいっておらず、精神的に落ちている時期でした。自分の居場所は友達だけでした。

定時制ということもあり、遊ぶ時間は学校が終わった夜9時半以降でしたので、夜遊びをして終電で帰るとか、友達の家に泊まるとか、カラオケでオールするとか、そんな生活でした。取締が今よりゆるかったのもあると思いますが、一部の友達は成人していたし、わたしも他の同い年の友達もなぜか全員老け顔だったので笑、注意されたことは一度もなかったですね。こうかくとお前もヤンキーじゃねーか!と思われるかもしれませんが、でもお酒とタバコには手を出してなかったんですよ!根が真面目というのもあるけど、単純に興味なかったんです。今もタバコは吸いません。

生徒のなかにも飲んだり吸ったりしている子はいるんだろうと思います。何歳になっても、嗜好品はやめろと言われてもやめる気が起きないものですよね。節度をもってね、と心のなかで願っています。

進路についてですが、現実には美大も学力が必要です。夜遊びはしていたとしてもテンションの低い時期だったので、学力より先に、わりとすぐに画力に対しての自信がなくなり、美大は諦めてしまいました。自己肯定感がないと、なにを描いてもだめだと感じてしまうんですね。でもそのおかげで、美術の次に意欲があった英語にシフトチェンジすることになりました。他に選択肢がなかったこともありますが!笑

高校2年生くらいかな、ミュージカル テニスの王子様、通称テニミュに出会ったのは…。ネットで知り合った同じテニミュ好きの女の子(富山出身)と、富山のその子の家を経由してから岐阜に遠征したりしました。スカイプで会話はたくさんしてましたよ!そして初めてネットの人に会うってことで、このあたりで化粧をし始めました。相手とその友達がギャルだったのもあり、化粧しないとまずい、という危機感があったんです。笑

ちなみにこの子とは今でこそあまり連絡をとっていませんが(SNSは繋がっています!)、社会人になるくらいまではお互いが遠征をして頻繁に会っていました。旅行も何度か一緒にしているくらい仲良しです。だから生徒が「ネットに同じ趣味の同性の友達がいるんだー」という話をしてくれると、いいねいいね!と感じてしまうんです。(ネットに限らず世の中にはもちろん危険な人もいますが、趣味が同じの人と話が盛り上がるって純粋に嬉しいことですよね)

進路関係のほうへ話を戻します。高校3年生くらいからだった気がするんですが、バイトしたお金と親からの支援(いじめなどへの精神的なケアはなくても、お金は出してくれる環境でした)で英会話スクールと着付け教室にも通いました。

当時、小学校英語の動きが始まったばかりだったので、そのままスクールで「小学校英語指導者資格」をとりました。大学入学のときにはもう英語の先生になろうと漠然と思っていて、とにかく留学できる大学で選びました。英検さえ持っていればAO入試で受験できたので、塾で英語をゆるく学んで準2級を取り、高校で国語の先生に小論文の書き方を教えてもらいました。今思えば、この小論文の指導が後の「書くこと」すべてに活きている気がしますね!

着付け教室に関しては、中学校で所属していた家庭科部では浴衣を縫ったくらいもともと浴衣が好きだったので、ほとんど趣味で通いはじめました。留学したときに自国の文化について話せなきゃ!という思いもありましたが、実際に着物についてなにか知識を聞かれるということはなかったですね。笑 それよりも政治とか捕鯨とか宗教とかのディープな議論をよくしました。

着付けはすごいお金がかかるので、だんだんバイト代では間に合わなくなり、師範の資格をとったところでやめました。浴衣や普段着ならいまでも着付けできるので、留学先や遊びにきてくれた海外の友達に着付けたり、生徒に着付けてあげたりと、それなりに役立っています。

大学は、自分でも留学ができるところ、という観点で決めました。定時制高校の英語は多様な年代、そして基本的に低い学力を持つ生徒向けなので、中学校の最初の単元ABCから始まって、単元でいうと高校英語の助動詞+完了形で終わった記憶があります。英語を中心とした進路にするからには、もっと英語を勉強しておかないと!と、個別指導塾に通って英語だけ教わりました。当時はnecessaryが何度出てきてもちゃんと書けなかった、いい思い出です。英語以外の勉強はすべて捨てたので、AO入試で、英検準2級利用という制度で、東京国際大学に入学しました。これを書いている現在、駅伝で1位を爆走中だと親から連絡が来ました。わたしが在学していたころからスポーツにすごい力(お金)を注いでいたので、結果がともなっていてよかったなぁと感じます。

大学に入ると、英語の授業はレベル別のクラスわけだったんです。定時制出身でしたが、真ん中より少し上に入れました。でもそこで余裕ぶっていたら、次のレベル決めで1つ落ちてしまったんですね。これが、わたしが本気で英語に取り組むことになるきっかけでした。

入学当初はTOEICなんて990点中400点いかない程度しかなかったのですが、その後のガリ勉(人生初のガリ勉です!)と、アメリカとスウェーデンでの1年ずつの留学の甲斐あり(留学のことに関しては、また別途記事にします!)、卒業するころには870点にあがりました。そして、TOIECの試験に変化があったことと、学校に採用してもらうときにTOEICを持っていると好印象であることもあり、2018年に久々に受験しました。夏の受験は前回と大差なくて悔しかったのでTOEIC対策を打ったところ、10月受験で935点でした😃!

検定試験ってかんたんに自己肯定感が生まれていいですね。数字はかんたんに成長を実感させてくれます。でもTOEICでは測れない多様な技能もちゃんと伸びてる、って今のわたしは胸を張って言えます!

大学に入ってからは留学をするために計画的な単位取得が必要だったので、1年次はフル単でした。しかも着付け教室と英会話教室と並行しながら、ESSという英語のディスカッション・スピーチをする部活に所属したので、バイトをする暇がないくらい忙しかったです。2年次の2月からアメリカへ語学留学をし、3年の12月に帰国しました。夏ごろにはスウェーデンの大学への教育学部に留学することを心に決めていて、TOEFLの試験を受けていました。アメリカの先生には英作文の添削をかなりたくさんしていただきました。スウェーデン留学に向けて、アメリカにいるのに座学をしまくるという生活でした。親に反対されながらも(金銭的に当たり前ですね)、帰国してからはバイトに明け暮れ、そして奨学金100万円を借りて、4年次の夏にスウェーデンへ旅立ち、5年次の夏に帰国しました。そして5年生で大学を卒業しました。

バイトしまくっていたとはいえ、どえらい金のかかる娘だな、と書いてて思います。昔は金銭的にはゆるく、精神的には厳しい家族のあり方が嫌でした。本当に欲しいのは気持ちだと思って過ごしていました。例えばいじめに対するケアなんですが、それを求めるわたしは、家族の一員ではないんだと思って過ごしていました。でも今は、わたしが人生を持ち直すのにかかったお金は、学校内・家族内でのいじめを無視した分といっていいだろう、と思うことにしているんです。もちろん金銭的な工面をしてくれたことに対する感謝の気持ちは留学先から手紙にして伝えました。物理的に家族から離れたことで、手紙という手段だったら伝えることができたんですね。

それでもアメリカ留学から帰るタイミングでは、帰国したくない症候群になりました。現地のカウンセラーに話すと、経験してきたことは「abuse」(虐待)だからと言いました。そこで初めて毒親という言葉を知り、有名な毒親に関する本を原書で読むことになりました。「Toxic Parents」という本です。邦題は「毒になる親」です。明確には我が家は毒親ではないのかもしれません。でもカウンセラーが、そういう環境でずっとつらかったね、と言ってくれたことで、一歩踏み出せた気がするんです。そうしてようやく電話で不満をぶちまけることにも繋がりました。どうしていじめられていたことを無視し続けたのかを問いただしました。従姉が早くに父親を亡くしたから、それに配慮して、などと話してもらいました。納得できたわけではないですが、長かった家族との(少なくとも両親との)諍いに、一段落ついたような気がしました。

たまたまESSで他に人がいないからとスピーチセクションの代表にさせられ、そのおかげで四大大会と言われる大きなスピーチコンテストに(出身大学主催のため主催枠で)出なければならくなり、腹いせに「毒親」というテーマで英語の7分スピーチをしました。(ちなみに10人中5位でした)さすがにテーマは伝えませんでしたが、両親はそのスピーチを聞きに来てくれました。すべて英語だからなんの話をしているか理解できていなかったようですが、夜中に酔った勢いで「あんなスピーチをしてごめん」と電話しました。でも少しスッキリしました。冒頭で書いた「絶望的な人生のおわり」はある意味、このときに迎えられたんだと思います。

一人暮らしを始めてからは、家族とはいい距離を保てています。今でも、家族には、心がうっとなることを言う人はいますが、こちらも我慢と無視ができるくらいには、大人に成長しました。思春期のころは傷ついてすぐ泣いて、「すぐ泣くんだから」「泣けばいいと思ってる」と怒られさらに泣くという悪循環がありましたが、今はもうその場ですぐ泣くことはなくなりました。そのころの思い出が突き刺さるとき、少し泣きます。でも小さかった自分を受け止めて、あのころ本当に辛かったよねと泣くだけです。生徒内でいじめが発覚したら、ぶち怒って、でもある程度論理的に指導して、必要ならわたしの人生の一部を話せるくらいには、立ち直っています。

こういう経緯を経て、2014年から都内私立高校(非正規雇用に関する法改正のおかげで3年ごとに転々としています)、2018年から自営業しろくまスタディセッションのオンラインプライベートサポートで講師として働いています。

これまでの経験は、生徒と接するうえでとても役に立つんです。個人の否定をしないで個人の行為を叱る。頭ごなしに叱らないで、事情を尋ねる。個人のつらさを否定しないで認める。こういうことを意識して、英語の授業に挑んでいます。科目講師といえど、生徒との大事なコミュニケーション能力だと思うんです。

そして現状に満足しすぎず、向上心を持ち続けています。個人事業主として、未成年のための学童のような学習空間を作ることを掲げているのは、このような経緯があったからなんです。ただじゃ転ばねえ!という反骨精神が強いんですかね。英語学習のお手伝いはもちろんですが、同時に、誰かのつらいという気持ちを受け止められる場所になれたらと思います。

日々の仕事からも、生徒たちからも、多くのことを学びながら生きています。そんな今の自分の人生が楽しいです。学び続けるなか、成長し続けているなかでのnoteでの発信ですが、この後も楽しんで活用していただけたらうれしいです。

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この記事は「論理的思考力を鍛える英作文の教科書」内で掲載したエッセイにだいぶ加筆修正を加えております。教科書のほうではスペースの都合上、そして英語があくまでもテーマなのでわたしの人生はいいだろうと、だいぶ端折って書いたのですが、せっかくたくさん書けるスペースがnoteにはあるので、ありのままを書きました。最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。


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英語教育・学習マネジメントについて考える高校教師です。英語教育・学習支援を目的とした非営利の個人事業を開業。 「論理的思考力を鍛える英作文の教科書」執筆。民間学童を設立し共同学習に導けるような仕組みを作る! https://shirokuma-study-session.com/
コメント (2)
読み終えたあと、なんだか不思議とお会いした様な気持ちになりました。色々な経験をされて今に至るのですね。
TOEIC935点はすごいです。
私の目標です。
この投稿を読み、わたしも色々チャレンジしようと思いました。
コメントありがとうございます😌
良いこと、良くないこと含め、たくさんの経験がわたしを作ってきた気がします!
最後にはなんでも楽しんだもの勝ちですね☺️
わたしも今年さらに新しいチャレンジに挑むつもりです!お互い楽しんでやっていきましょう👍
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