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一箱がつくる、誰かの「楽しみ」

「コロナの影響で困っている生産者さんがいます」

緊急事態制限下のある日、いつも通りスマホを眺めていたら、こんな文章が目に入った。

クリックして進んでみると、ツヤツヤと輝いているウニや色鮮やかなフルーツ、ダチョウの肉などの珍しい食材が並んでいた。どれも美味しそうなのに、出荷先のレストランなどの営業自粛により、行き場を失った食材らしい。
そういうことなら、と私はすぐに購入を検討した。もともと料理は好きで、自粛期間中は在宅勤務になっていたので、自炊の機会も増えていた。その産直サイトを見ていくうちに、私は少し悩み始めた。掲載されている食材は、キロ単位での販売が多い。夫婦2人だけで食べ尽くせるのだろうか……と迷いつつ、画面をスクロールしていった。

するとある果物に目が止まった。これなら消費できると思い、私は一箱注文した。

数日後、愛媛から箱が届いた。箱を開けると、爽やかな柑橘の匂いが広がった。嬉しいことに、箱の中に「美味しい食べ方」として、剥き方を書いた紙が入っていた。

私は、すぐさま皮に傷や汚れの少ないものを数個選び、ビニール袋に入れた。そして、自宅玄関の扉を開け、隣の部屋のチャイムを押した。

我が家の隣には、80代のご夫婦が住んでいる。数年前にご主人が痴呆になり、奥さんが一人で介護をしているという話は、引越しの挨拶の時に伺っていた。その後も度々マンション内で奥さんとすれ違っていたが、いつも少し疲れていて、ストレスを抱えているように見えた。この状況下どう過ごしているのか、少し気になっていた。

隣の鍋田だ、と伝えると、奥さんが出てきてくれた。元気そうだった。愛媛からニューサマーオレンジを取り寄せたので、と玄関先で渡し、「美味しい食べ方」を伝え、早々に失礼した。

翌朝。
味見もせずにお裾分けしたことに気づいた。早速、朝食にひとつむいてみることにした。皮に包丁を入れると、爽やかな香りが台所に広がる。ニューサマーオレンジは、白いワタの部分が多く、皮を薄く剥くのがポイントだ。酸味が爽やかで甘すぎず果汁がたっぷり、ワタがふわふわとして食感がいい。名前通り、初夏らしい果物だな、と思った。

お裾分けと、我が家でそのまま食べる分以外は、2kgほどあったが、全てマーマレードにすることにした。
時々、作りたくなるのだ。大量の柚子やブルーベリー、イチゴなどを頂いてきては鍋で煮て、瓶詰めにするのが楽しくて仕方がない。無心で果物を処理して、家中に果物の匂いを充満させる時間が至福なのだ。今回のニューサマーオレンジを見つけた時も、ピンときた。

その週末。
私は果物の皮をひとつひとつ洗うことから始めた。農薬を使わずに育てられたニューサマーオレンジなので薬剤などの心配はなかったが、虫や汚れを落とすため念入りに水洗いした。皮をくるくると剥き、傷を取り除きながら千切りにして水にさらした。

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皮を剥いた果実を切っていく。タネを取り除きながら、果肉とワタと袋に分けて、ワタと袋は細かくダイスカットにした。

ここまでで、2時間経過。まだまだ道のりは長い。これから鍋で煮ていこうと思ったが、量が多すぎる。今日は半分処理して、残りは翌日煮ることにした。

千切りの皮は水をよく切り鍋に入れ、蓋をして火にかけ蒸し煮にする。通常ジャムを作るときは、はじめから果実と砂糖を入れて煮るが、マーマレードの場合は、皮だけ先に柔らかくする必要があるらしい。砂糖と皮を一緒に煮ると、皮が固いままになってしまうからだ。

鍋を火にかけると、爽やかな匂いがしてきた。
皮が柔らかくなったら砂糖とワタと袋を入れ、しばらく煮る。その後果肉を入れ、一煮立ちさせたら完成だ。部屋中が甘い香りで満たされる。この時間が幸せすぎて、やめられない。
できたマーマレードは、煮沸消毒した瓶と自宅用の保存容器に詰めた。2日間で合計9つできあがった。

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後片付けが終わった頃、隣の奥さんが訪ねてきた。
手にはビニール袋に入った、水煮のたけのこがあった。今の時期、近くの農家さんで取れるものらしい。たけのこを受け取り、私は訪ねた。『マーマレード、食べますか?』
毎朝パンだから嬉しい、とのこと。できたばかりの瓶をひとつ手渡した。

一箱のニューサマーオレンジは、一時は行き場を無くしたかもしれないが、巡り巡って誰かの「楽しみ」になった。
農家さんの「人助け」は、私の「趣味」となり、さらには「コミュニケーションの手段」にもなった。(スマホを眺めいていた時は予想もしなかったが)

自粛期間という環境下でも、工夫次第でネガティブからポジティブを生み出すことは可能なのだと、実感する出来事だった。単純に我ながらいいことをした、という満足感もあるので、今後も困っている生産者さんの食材があったらできるかぎり購入して活用したいと思う。そして、楽しいアイデアも持ち続けていきたい。

先日、マーマレードの瓶たちの写真を撮り、SNSの親戚が集まるグループトークに投稿した。
『夏までにお会いできそうであれば、お渡しいたします』
またひとつ、夏の「楽しみ」ができた。

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