まだもう少し家にいます

5月4日から、イタリアの生産活動が一部再開しました。そこで、この2ヶ月ほどを、あるグラフをみながらあらためて振り返ってみました。

以下のグラフは、イタリアの市民保護局が日々更新している日毎の新感染者(陽性者)数の推移を表したものです。これは5月4日のもので、最初の日付は2月24日となっています。3月20日くらいをピークに、上下しつつもかなり下がってきているのが見て取れます。

イタリア

いっぽうこちらのグラフは、厚生省発表の数字をもとに作ってあるという、日本の日毎の新感染者(陽性者)数の推移を表したものです。

日本

オレンジの棒グラフがそれです。日付を、上のイタリアのグラフ同様、2月24日から5月4日に設定してみました。ピークが4月11日くらいにあって、そこから減少しているのがわかります。

よく言われているように、国民すべてにPCR検査をしているわけではないので、イタリアでも日本でも実際の感染者数はもっと多いでしょう。だからあくまで、数字は目安なのですが。

この二つを見比べていると、イタリアと日本の感染傾向は似ているように見えます。ただ大きく違うのは、その数字です。イタリアの目盛りの一番上の数字は7000人、いっぽう日本のそれは760人。2つのグラフを重ねてみると、その違いがとても良くわかります。

イタリアと日本

イタリアが全土封鎖に入った日と、日本が緊急事態宣言をした日も書き込んでみました。ちなみに、イタリアが緊急事態宣言をしたのは1月31日なので、このグラフよりも以前のことになります。

日本人ですがイタリアに住んでいる者として、イタリアの感染爆発を身近に感じて過ごしました。だから3月の後半、例年に比べて控えめとはいえ花見に興ずる日本人の姿を見て、「このままだとイタリアと同じことが日本でも起こるかもしれない」と心の底から恐怖しました。それは、イタリアにおける3月初めからの急激な感染拡大を経験していたからです。

4月7日に日本でようやく緊急事態宣言が出されたとき、そして、それによって日本国内で緊張感が増したと聞いたときは、本当にほっとしました。なぜにか「ああ、間に合った」と思いました。グラフを見ると明白なのですが、その日の日毎の新感染者(陽性者)数は、全土封鎖が始まる1週間前のイタリアの日毎の新感染者(陽性者)数と同じくらいでした。もう1週間待っていたらどうなっていたのか、私には想像がつきません。もしかしたら何も起こらなかったもしれません。でも私個人的には、日本の緊急事態宣言は、これ以上待てないギリギリのところでなされた、という印象を持っています。

いっぽうで、「もしもイタリアの全土封鎖がもう10日ほど早かったら、ここまでの犠牲者は出なかったのかもしれない」という考えても仕方のない仮定も頭をもたげてしまいます。でも、2月末のイタリアで、いったい誰が近い将来に起こることを予想していたでしょう。その頃のイタリアでは、休校期間の延長に関する議論がされており、学校が休みになった子ども達が町中や商業施設の中でたむろすることが問題視されていました。観客なしのTV番組が流れ始めたのはこの頃でしたが、それから3週間もしないうちに、ご遺体を積んだ軍のトラックの列をTVで見ることになるなんて、私は想像すらしていませんでした。

5月4日、日本は緊急事態を延長しました。確認されている日本の日毎の新感染者(陽性者)数はイタリアのそれよりもずっと低いのですが、イタリア全土封鎖の2週間前の数字と同じくらいである、というのは、見過ごせない事実だと思っています。なぜならいわゆる感染爆発は、低い数字からも信じられない猛スピードでもって起こってしまうので。
いっぽう、イタリアでは同じ日、封鎖を段階的にではありますが解き始めました。でも、イタリアの日毎の新感染者(陽性者)数は日本のそれよりまだ圧倒的に多いのです。正直、もう解除しても大丈夫なの?と心配です。

5月4日のボローニャは、とても良いお天気でした。公園も開いたし、久しぶりに外出した、という方も多かったかと思います。でも私はもう少し、可能なかぎり、家にいようと思います。
でないと感染爆発という怪物が、また戻ってくる気がして仕方ないので。


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