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住まいづくりをとことんやろうと決めたその時

「自分の人生を自分の力で歩もう」
2022年の4月、変わりたいと思った時、
頭に浮かんだのは転職というフレーズでした。

20代後半で結婚し30歳で1人娘を授かった私は、
娘との時間をしっかり確保しなくてはと、
保守的な思考で生きていました。
人生の優先順位の中で仕事の順位を下げ、
フルタイムではなく、
パートで細々と建築設計の仕事を続けて。

自分の力で歩む🟰経済的に自立する
未来の不安からいまを決めていたなと
今では客観視できますが、
当時はお金があれば解決する、
幸せになれると考えていました。

転職サイトに登録しても、
私にはどんな仕事が合うのかピンとこないまま、
条件面ばかりを比較していました。
迷子になった時、第三者に相談してみようと門を叩いたのが「ミアビータ」でした。

40代から人生を変える

このフレーズが私の心に深く刺さり、
代表の加織さんの初回面談をすぐさま受けました。
初めて出会ったにも関わらず、
初めての出会いだったからか、
洗いざらい心の本音をぶつける事が出来ました。

そして返ってきた答えは…
「まずは自分と家族のことを見つめるのが大切。転職じゃないかもね。」

心の奥底ではわかっていたけど、
第三者から言ってもらえて、
初めて向き合う覚悟が出来たのかもしれません。
転職することの方が、
私にとっては簡単だったのです。


自分と家族のことに向き合うために、
紹介して頂いた縁側での出会いがここらかスタートしました。

縁側での時間は、
わたしにとって人生の洗濯でした。
(またの機会に詳しく書かせていただきたい!)
自分のことを取り戻せた気がしています。
とてもとても遠回りしてきた私の人生だった気がしますが、
たくさんの経験から(喜びも悲しみも全部)
得たものに、やっと気づけたのです。

縁側を受講中、結果、転職をしました。

自分の力で歩む🟰経済的に自立する 
ではなく、
自分の力で歩む🟰社会で役に立つ喜びを得る

そこで得られた対価を
モノやサービスを購入することで誰かの喜びとなる。
循環のサイクルが、自分の喜びや幸せを生んでくれると考えるようになったのです。

転職先選びの中で、
設計といっても用途や規模は様々でした。
個人住宅、分譲マンションの設計、保育園や福祉施設の設計などなど、私の経験が多義に渡るため、嬉しい迷いではありました。
だからこそ、
最終面接まで通過した分譲住宅会社を蹴るのか蹴らないのか決めかねていました。

「もっと上を目指さなくていいの?」


1つを選ばないといけない時、
大切なことを思い出しました。
27歳の時に亡くなった父とのエピソードです。 

実家は自社で織物の企画製造し、
大手メーカーに卸していました。
販売と取付納品もしていた為、
父にくっついて現場に行かせて貰っていました。

大きなホールに取り付ける日、
寡黙な父が私に話してくれました。
「こんな大きなホールの設計者欄に一級建築士の女性の名前がある。Keiちゃんも大きくなったらこんな風になれるといいね」


ずーっと忘れていた光景を、
ありありと思い出し涙が止まりませんでした。

「もっと上を目指さなくていいの?」
と自分に問いかけた「上」とは、
大きな施設を設計する仕事に進まなくていいのか?だったのです。

住宅の設計をとことんやってみたい!

私は、生まれ過ごした家がとても好きです。
得た影響がとても大きく、
自分の中で土台となっている気がします。
土台となる住宅の設計に魅せられます。

答えが自然と決まりました。
腑に落ちるとはこう言うことだと体感しました。

いま、転職した会社では、
とことん千本ノックという名の経験をする事を目標としています。
自分が安心して起業できるステップに!

最後までお読みいただきありがとうございました。

Keiko♪

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