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何かが違う・・・

 確定申告もとりあえず乗り切ったけど・・・零細な個人事業主に対して次々と試練(?)はやって来る・・・負けないようにがんばります。

 今は規則と真偽、さらに矛盾・ナンセンスとの関係についてまとめているところです。

 規則のみを設定する公理系と、真理値そのものを人為的に設定する公理系とを同列に扱って良いのか、さらにはトートロジーとは何なのか。

 話は変わり(?)ますが、野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(筑摩書房、2006年)に関して、

6.3751 たとえば二つの色が同時に視野の同じ場所を占めることは不可能であるが、それは実際、色の論理的構造によって排除されており、それゆえ論理的に不可能である。

 色の両立不可能というこの事実自体は、平凡な、誰もが認める事実である。だが、それをどう説明するかという問題になると、『論考』はきわめて不自然な見解を表明せざるをえなくなる。

(野矢、153~154ページ)

・・・こういった思考に違和感を感じてしまうのです。二つの色が同時に視野の同じ場所を占めることがない、それは「事実」であって「論理」によって説明されることではありません。むしろ論理がその事実から導かれるのであって、ウィトゲンシュタイン(そして野矢氏)の考え方そのものが逆なのではないでしょうか?

  仮に色の「論理的構造」というものがあったとしても、それらは「平凡な、誰もが認める事実」から導かれるものなのです。

 とにもかくにも、論理と事実との関係が誤って理解されているように思うのです。これは論理学一般に関しても同じことが言えると思います。

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