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自己紹介を兼ねて お酒を好きになった理由

 どうして日本酒に興味を持つようになったのですか?

 オフ会でお互いの距離感を探るときによく使う話題だ。ヲタク同士、共通の話題で盛り上がらないワケがないし、だいたいどこかで聞かれている話題で、みんな喋りやすい。これで気まずい思いをすることはまずないだろう。

 そこで、ここに僕のケースを書き出すことにした。頭の整理もかねて。

 ※ ※ ※

 日本酒というものを認識したのは、小学校に入る前であった。ただ、何歳ころだったかまでは覚えていない。一番古い記憶は、祖父が晩酌に飲んでいたものだった。

 僕が覚えている祖父の晩酌は、きれいな飲み方であった。夕食とともにたしなむ程度でおさめ、いつもにこにことしながら飲んでいた。僕は頃合いを見計らって将棋盤を取り出す。機嫌のよい祖父は、相手をしてくれるし、なにしろ負けてくれるのだ。

 もうひとつの記憶。部屋の空気が甘ったるい香りだったこと。爺ちゃんのあとのトイレが酒臭かったこと。30年以上前のことなのに、五感と記憶は、うまく繋がっているものだ。

 実際に、僕自身が日本酒を飲むようになったのは高校を出て上京してから。といっても、常飲ではなく、帰省から東京に戻る手土産として、駅で売っているお土産サイズの四合瓶、もしくは一合瓶を数本荷物の中に突っ込む程度のものだった。
 飛良泉の四角い瓶の山廃純米酒と、雪の茅舎の小瓶をよく持ち帰った覚えがある。

 当時は、好き好んで飲んでいたというより、秋田の人としての義務感。というか、帰属意識を保つために飲んでいたのだと思う。別に、おいしいと思ってはいなかった。そもそも、ビールすら晩酌する習慣がなかった。五感で覚えていることは幼少期の記憶よりも少ない。飲み下した後に上がってくる少し不快なアルコール感くらいだろうか。
 その後、社会人になり、たまにスーパーで高清水の720mlパックなんかを買って飲んだりしたことはあった。(すごく甘かった!)それも、学生時代の延長のような意識であり、30代に入るまでお酒を飲む習慣は一切なかった。

 実際にお酒に意識が向いたのは、2012年末にリリースされたNEXT5(ゆきの美人、春霞、白瀑、新政、一白水成)の共同醸造4作目にあたる「ECHO2012」を飲んでから。

 練馬の環八通り沿いにある「うえも商店」さんの店先に張られていた予約受付中のポスターをたまたま見つけ、ふらふらと入り2本予約した。東京に来て初めて地酒屋で購入したお酒はこれだった。
 ついでに、グラスも買った。NEXT5のロゴが各蔵のテーマカラーに染分けられた1個300円のグラス。店のおかみさんの前で、「えー、どれにしよっかな。じゃ、これとこれ。」とか言いながら、2色選んで買った。緑色の新政と、桃色の春霞。

 今から思えば、ほほえましい光景だ。今の自分なら、即答で全色。なんなら「何個まで買えますか?」って絶対に聞いている。執着していなかった頃が懐かしい。

 それで、予約したお酒が手元に届き、実際飲んだ。

 すると、今までに飲んだことのあるお酒とは全く別物で、口当たりが水のように軽く、するすると喉を通り抜け、心地よい余韻が残った。このときの体験が日本酒沼へ向かうきっかけとなってしまった。

 これ以降、自発的にお酒の情報を探し求めるようになった。一番身近で、深い知識を得られる場所が、新政の佐藤社長が当時頻繁に更新していたブログ「蔵元駄文」だった。その内容は、心得のない者にとって非常に難解なのだが、その文面から酒造りのライブ感、試行錯誤の熱量が伝わってきたもので、隅々まで目を通した。

 そんなことをしているものだから、当然、新政の酒に興味が湧いてくる。

 その頃は、東京の特約店も全く知らなかったから実家に連絡し、新政の酒を送ってくれと頼んでみたりもした。その時はまるひこ酒店であったか、後藤酒店であったか。No.6、カラーズのタンジェリン、クリムゾンが送られてきた。当時は、一見でもそのあたりのお酒がすぐ出てきたのだから、未だ夜明け前だったのだと思う。

 それらのお酒が送られてくるとともに、両親から、思いがけない言葉をかけられた。それは、僕が酒を好きになるには十分な一言。

「お爺ちゃんも、新政飲んでたのよ。」と。

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