「逃げてもいいって気軽に言って、寄りそった気になってんじゃねぇよ」 #8月31日の夜に
「世界に一つだけの花」なんてクソだと、正直に言ったらいいのに。
これがとても素晴らしい楽曲であることは、自分もわかっている。子どもだけでなく、大人たちまでも感動しているのは当然のことだろうと思う。でも、涙を浮かべながら聞き惚れる大人たちは、曲が終わったとたん、なぜか真逆のことをやりはじめる。
” 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい ”
口ずさんだり、上半身を揺らしたりして、共感を示していたのに。なんなら、小さく拍手すらしていたのに。
「みんなと同じように行動しなさい」「友達をたくさんつくりなさい」「好きなことばっかりやっていればいいってもんじゃない」「苦手を克服しないと立派な大人になれない」
大人の口から出てくる言葉は、歌詞を全否定するようなものばかりだ。
だったら正直に、こんな曲はクソだ、建前だけだ、信じるな、ファンタジーだ、って言えばいいのに。感動してみせたり、共感してみせるというプロセスは本当に必要なのか。それがあるから、よけいに信じられなくなる。
「やりたいようにやりなさい」は、本当にやりたいようにやり始めると「なんでもかんでもやりたいようにやればいいってもんじゃない」とたしなめられる。
「好きなことをすればいい」は、本当に好きなことをやり始めると「好きことばっかりやってるようじゃダメだ」と叱られる。
「仲のいい友達ができたらいいね」は、本当に友達ができると「あのうちの子はちょっと」と眉をひそめられる。
「進路はあなたの考えが一番大事だから」は、本当に自分で進路を決めると「世の中はそんなに甘くない」と修正を求められる。
「なんでも気軽に相談してね」は、本当に相談すると「自分自身で決めるしかないんだよ」と突き放される。
夏の終わりが近づくと「逃げてもいいよ」という声が聞こえるようになる。果たして、それは信頼していい言葉なんだろうか。
これまでの経験が、自分に警告を発している。「逃げてもいいよ」は、本当に逃げると「逃げるな」と首根っこを掴まれて「一度逃げると、逃げグセがつくぞ」ともっともらしい説教をされて「もう一度だけ頑張ってみろ」と、連れ戻されるに違いない。
もしそうなったら、次の逃げるチャンスはいつもらえるんだろう。「逃げる」カードを無効にされて、追い詰められるだけなんじゃないだろうか。自分だって生きていたいと思う。先に旅立っていった人たちのことを客観視できる距離は保っておきたい。けどもし「逃げる」カードが戻ってこなかったら、そのときは耐えられる自信がない。
だから、このカードはぎりぎりまで温存しよう。
「逃げてもいいよ」なんて言葉を、簡単に信じられるわけがない。
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ある人が、自分の前に現れた。
「きみは逃げていいんだよ。逃げる先はココとココが、きみには合うと思う。どうだろう?」
「ココとココ?」
「そうだよ。ひとつめはココ、特徴はこうだから、きみにはこういう面で合ってると思う。ただし、こういう側面もあるからよく考えてみて」
「はい」
「もうひとつはココ、特徴はこう。だからきみはこういう過ごし方ができる。ただし、こういうところが難点だ。周りの人の支えが必要になる」
「はい」
「どうかな?」
「どうかなと言われても、すぐには」
「そうだね。じっくり考えてからでいい。これは単なる選択肢だから」
「はい」
「ああ、そうだった。まだ肝心なことを聞いてなかったね」
「肝心なこと?」
「その逃げるカードは、まだ温存するのかい?」
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逃げる、という言葉を使ってきたけれども、実態は「逃げる」のとは程遠くて、別の道を選ぶだけだと思っています。
中川翔子さんはその著書「死ぬんじゃねーぞ!!」の中で「さなぎの時間」と表現しています。好きなことに熱中して、栄養を蓄える時間。素敵な表現だなと思いました。さなぎの時間であれば、登る木を間違えたなら、正しい木に登り直す、というのが分かりやすいかもしれません。モンシロチョウならアブラナ科の植物に、アゲハチョウならミカン科に。羽を乾かすなら、やはり自分に適した木がいいですもんね。
また、中川さんは「魔法陣グルグル」という漫画がきかっけで友達と仲良くなり、その存在に救われた、と書いています。わたしも個人的にこの作品は大好きです。「魔法陣グルグル」を描いた衛藤ヒロユキさんは、中学生だった中川翔子さんを救っていたのです。当時の衛藤さんがそれを知っているはずがありません。しかし、救っているのです。
いまの環境が安全でないなら、自分に適した木に登りなおすのが自然だと思います。
そして、好きなことをやり続けて欲しいです。本を読んだり書いたり、漫画を読んだり描いたり、ゲームをプレイしたりプログラミングしたり、楽曲を歌ったり作ったり、映画を観たり撮ったり。さなぎの時間は、珠玉の時間です。
あなたが将来、生み出す作品は、きっと誰かを救うのでしょう。
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わたしは嫌なことがあっても、それを認める勇気がありませんでした。自分の気持ちを押し殺して、我慢することに全力を注ぎました。結果的に、逃げずに頑張る人間ができあがりました。そして41歳になったいま、心と身体が悲鳴をあげ、働けなくなり、休職しています。
間違えた木で成虫になるのは、まったくお勧めしません。
電子書籍の表紙制作費などに充てさせていただきます(・∀・)