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片桐ヒメカに看えるもの 【2】

<1500文字・読むのにかかる時間:3分>

前回

 その嬰児が農家に戻ってくるのを、片桐ヒメカは鴉の姿で見下ろしていた。

 国道から、無舗装の敷地に入ってきたライトエースを、母屋から出てきた幾人かが迎える。

 戻ってきたという表現が正しいかどうかはわからない。少なくとも妊婦であった女は母親として戻ってきたが、嬰児にとっては初めて訪れた場所ということになるのだろう。

 小さな集落においてそれは慶事に違いなかった。

 人々はめいめいやってきて、子どもを授かった夫婦よりも先に、家長である祖父に対して慶んだ。おくるみに包まれた女児との対面に目を細くし「女の子がいりゃ華やかでいいや」と、胸間にあるものを隠して祝いの言葉を重ねている。

 ヒメカは、国道と農道の境目にある華奢な電柱にとまっていた。

 陽も高いというのに聞こえてくる、酔った男たちの笑い声に関心がないわけではなかったが、それよりも嬰児にあたえられた才能に惹かれていた。

 瞳の奥。そのさらに奥。心を映し出す部分。

 名前がついてないその部位を、ヒメカは看ることができる。

 嬰児のそれは、涼やかな白藍色であった。

 天から教師の才能があたえられていたのだ。

 これから数多くの子どもたちを慈愛で包み、凛として導き、生きる力を信じさせるのだろう。彼女が次の天命によって役目を終えるまで、多くの人々の人生の灯台となるに違いなかった。

 天の計らいに感謝しつつ、ヒメカは羽を広げて集落をあとにした。

「おかあちゃん。寝癖なおったかな?」
「いつまでも気にしてんじゃないよ」
「だって、卒業式なのに」
「だからもっと早く起きれって言ったっぺ。あんたはいつも出かける直前になっていろいろ言うんだから」
「気になっちゃったんだから仕方ねっしょ」
「ちょっと見してごらん。ほら、これでいいっしょ。大丈夫、いつもと変わんねぇから」

 片桐ヒメカは知っていた。女児は教師にならなかったことを。

 女児が産まれて二年もしないうちに、弟が誕生した。

 それは集落における慶事としては、最大級のものとなった。ことさら差をつけようと住民たちが考えていたわけではない。あくまで自然なことだったのだ。人々はみな「これで安泰だ」と口を揃え、家の明るい未来を寿いだ。

 弟が中学一年生のとき、姉は三年生だった。姉の指導者としての才能は、この時点ではリーダーシップとして現れていた。部活動では部長を務め、後輩からも教師陣からも一目置かれる存在であった。優しくて気の弱い弟は、姉の存在感によって有形無形にずいぶんと助けられたものだ。

 彼らは受験勉強とは無縁だった。

 この地域には高校はひとつしかない。そのため、願書を出せば入学できるのである。形式だけの入学試験は、受験日に会場に来れば合格する。

 それは同時に、大学進学が不可能であることと同義であった。

 高卒の学歴を与えるために作られた学校であるから、大学進学者がいることは想定されていない。世の進学校が一年間で教える内容を、三年かけて取り組むのだ。なによりも脱落者を出さないことに主眼が置かれていた。

「おかあちゃん、ちょっと写真撮って」
「卒業式でさんざん撮るんだからいらねぇっぺ」
「制服姿をインスタにあげたいから」
「おかあちゃんだってヒマじゃないの。準備あんだから」

 片桐ヒメカは、蜘蛛の姿になって梁からそれを眺めている。

 娘からスマホを受け取った母親は、ぶつくさ言いつつも、娘の高校最後の制服姿が魅力的に映るようアングルを選んでいる。

 娘にポーズを指導する母親の目には、いまでも涼やかな白藍色が光っていた。


 弟は産まれた瞬間から後継であった。

 姉は、19歳でキノコ農家の長男と結婚し、21歳で最初の娘を出産した。

 姉が高校を卒業してから20年。同じ高校の卒業式に、今度は母親として出席する彼女を、ヒメカは見守るつもりだった。

おわり

<このお話は実話を元に執筆しています。わたしの同級生のことを書きました>


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