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同調圧力に負けるな。

魂の話をしたい。

昨日、渋谷で初対面の女性と話した。前々から私の記事を読んでくれていた女性だ。私のどこに興味をもったのですか。そう尋ねると、彼女は「働いていないことです」と言った。なるほど。それを聞いて、特に返す言葉もなかったから、沈黙が続いた。次の予定があったために、数十分後にその場を離れた。様々な人々と会う。だが、どれだけの人が「人と話している時に『本当に話したいこと』を話しているのだろう」と、疑問に感じることは多い。

数時間後、彼女からこんなLINEが届いた。

先ほど、ブログで興味を引いたのは「働いてないこと」と私は言ったのですが、全然ちがいました。
魂の話をしてくれたからです。こういう文章をずっと読みたかった。
こういうものを書く人がいて、どこかで生きているということが嬉しかったです。

ビビって、面と向かって言えませんでした。
緊張して本当のことを言わないんだから当たり前なのですが、正直居心地が悪かったです。
でも、坂爪さんのせいではありません。
別れたあとから、ぐるぐると言葉にならない思いが渦巻いています。憂鬱とかではない、不思議な感じです。
何か色々捨てたくなっています。
前に進める予感がします。

上っ面の言葉だと思われるかもしれません。でも、伝えたかったので送りました。
不愉快だったり、退屈だったりしたら本当にごめんなさい。
会ってくれてよかったです。ありがとうございました。

ふと、坂爪ゼミを開講したいと思った。

魂の話をしよう。

本当はもっと話したいことがある。でも、自分が話したいことを話すと、友達からおかしな目で見られたり、なかなか上手に伝えることができない。だから、本当に話したいことは控えて、その何歩か手前の話をするようにしていたら、いつの間にか「自分の本音」を見失った。そういう話を結構聞く。わかる。わかるよ。自分のコアな部分は一番繊細な部分でもあるから、伝わらなかったり、否定されたり、誤解されることは、つらい。誰かに話を聞いてもらいたいと思うこともあるが、気持ちを的確に表す言葉が見つからないし、一方的に聞いてもらうことも悪いし、自分の価値観の押し付けになることも怖い。そういった遠慮が、自分を出すことを止める。そして、自分以外のキャラクターを身にまとい、傷つかないための予防線を張る。元気な自分。明るい自分。仕事ができる自分。充実している自分。など。これらの仮面は、自分とは別物だから「傷ついても、傷つかない」でいることができる。なにかあっても、これは本当の自分じゃないからと言い逃れできる。ただ、置き去りにされた自分は、常に冷たくて暗い場所で震えている。大事なことは、傷つかないことではなく「本来の自分を取り戻すこと」だと思う。

私にとって、本音とは『話せば話すほど孤立するもの』だった。暗黒の学生時代を送っていた私は、結構毎日死にたいと思っていた。だが、いま振り返ると「死にたいのではなく、死にたいと思うこの気持ちについて、誰かと話をしたかった」のだと思う。言葉を選べなかった私は、自分なりに一生懸命気持ちを伝えようとするものの、うまく行くことは少なかった。結果、おかしいのは自分なのだと思うようになり、自分の殻に閉じこもった。ただ、本と音楽だけが友達だった。自分が話したいこと、自分が聞きたいことを、本や音楽の中にだけ見出すことができた。だからこそ、かろうじて「生きたい」と思う気持ちをキープすることができた。ただ、どれだけ本を読んでも、どれだけ音楽を聴いても、埋まらない『穴』を感じていた。その『穴』は、こんな言葉で表現できる。友達が欲しい。本じゃない。音楽じゃない。リアルに触れる友達が、リアルに話せる友達が、自分はずっと欲しかった。言い方を変えると、私はずっと一人だった。私はずっとさみしかったのだ。

自分の中にある「誰かと繋がりたい」という欲求を殺し切ることはできず、生傷を重ねながら、自分なりのやり方を模索した。いま、私は「相手の中に自分を見る」ことが、コミュニケーションの秘訣なのかなと感じている。自分を出すこと以上に、いま、自分の目の前にいるひとをしっかりと見る。しっかりと感じる。自分が言いたいことではなく、目の前の相手が『本当に言いたいこと』を、目の前の相手以上に自分が汲み取ることができるように、よく、見る。よく、聞く。よく、感じる。そして、感じ取ったもののなかに「ああ、この部分は自分にもある部分だ」と思えるほどに深く、自分と他人の境界線がなくなるくらい深く、潜り込む。すると、その場に立ち上がる話題は「私の話」でも「あなたの話」でもない、私たちの話になる。自分の話をするために、まず、自分を消すということ。境界線がなくなるくらいに自分を消すと、やがて、立ち上がる『人間』がある。その部分の、話をする。

坂爪ゼミナール。

先日、こんなLINEをもらった。

はじめまして。
○○○と申します。
noteをよく見させてもらっています。

最近自分が嘘ばかりで、空っぽなことに気づいてしまいました。
ワクワクすることをやろう✨とやってきた様々なことさえ、今では嘘ばかりに見えます。

大きな空虚さを見ないための偽のワクワクキラキラを作ること(それもナチュラルすぎて偽装にまったく気づかなかった)に明け暮れすぎて、自分で選ぶこともできなくなるほど、本体は弱体化していました。

呆然としています。
現れた自分は空っぽの藁人形のようです。
無力な自分への怒りがあります。
全てやめてしまいたい。壊してしまいたい。

坂爪さんはそう感じたことがありますか。

私は、ウキウキしてしまった。だから、このLINEにも「藁人形上等!」と、返信をしてしまった。終わりに感じられることのすべてに、私ははじまりを観る。空っぽなら、これから好きなものを詰め込めるじゃないか。また、何度でも生き直せばいいじゃないか。ロスはモアだ。ピンチは、物語が面白くなるチャンスだ。終わったのではなく「はじまったね」と思う。これから、本当の勝負がはじまるのだ。勝負とは何か。それは「本来の自分を取り戻す」ための冒険だ。新しい何かを付け加えて自分に存在価値を与えるような生き方から、ひとつずつ、ひとつずつ、足し算ではなく引き算を積み重ね、最後に残る『自分自身』に命を賭けるような、生身の自分で生きることだ。

人間が変わる前のプロセスに、強烈な自己反省がある。ただ、前向きなだけじゃない。ある種の激情とともに「自分はいままでなにをやってきたのだ!」と、自分で自分をぶん殴りたくなるような激情。中途半端な日々を重ねることで、最後に情けない思いをするのは自分だ。これから先、我々は大事な人と出会う。こういう人間になりたいと思う人間に出会う。その時、自分に準備ができているかどうか。この人といたいと思える人と出会った時に、恥ずかしくない自分でいたい。その人にふさわしい自分でありたい。そういう願いが、自分に『向上心』と呼ばれるようなものを与えるのだろう。

誰かが悩むことは、誰もが悩み得ることだ。だから、誰か一人が光明を得たならば、それは人類全体にとっての光明になる。どうせ悩むなら、人類全体を代表して悩みたい。虚無があるならば「俺は、今、人類全体を代表して、この虚無を感じているのだ。この虚無を乗り越えたら、それは人類全体の宝になるのだ」と思えば、力を得る。さみしいとき、一番苦しいのは「さみしいのは自分だけなんじゃないか」と感じることだ。自分と世界が切り離されて、ただ、自分だけが孤立した存在に思えることがさみしいのだ。だが、私たちは、さみしさを通して、苦しみを通して、虚無を通してさえ、世界と繋がることができる。自分の外側に張り付けたものではなく、自分の内側に宿るものを通じて、世界とつながる方法を獲得する。生身の人間と、生身の人間がぶつかりあう時に立ち上がる火花。それが、生きている実感だと思う。

同調圧力に負けるな。

数日前からYOUTUBEをはじめた。YOUTUBEには中毒性がある。あらゆるジャンルの動画があるから、自分がやらないでも「自分がやったつもりになる」ことができる。世界に触れた「つもりになる」ことができる。これは危険だ。おそらく、毎日YOUTUBEを何時間も見て1日が終わる人々は、無限にいるのだろう。彼らの心に堆積するのは、結局は『虚無』だ。他人の動画、他人の言葉、他人の人生に触れている時間は、一時的な感動はあれど、最終的に堆積するものは虚無だ。YOUTUBEの最大のリスク。それは「自分からはなにもやろうとしない人間を、大量に生み出してしまうこと」だ。

我々は「現実世界に連れ出すもの」として、存在をしたい。俺の動画だけ見ていればいいとか、俺が書くものを読んでいるだけでいいとか、ない。動画を見たら、動く。記事を読んだら、動く。大事なことは、あなたがどう動くかだと思う。そのための起爆剤になりたい。一昔前まで『続きはWEBで』みたいな広告が流行った。だが、時は2020年。これからは『続きはリアルで』だ。ネットが先で、リアルが後。情報を知ったら、それを血肉に変える必要がある。イタリアの本を読むことと、実際にイタリアに行くことの間には、雲泥の差がある。知ったつもりになるな。わかったつもりになるな。そういう言葉を、どれだけ自分に突っ込めるかが大事だ。動く前に感じることと、動いた後に感じることは、絶対変わる。動く前に感じたことを、自分の結論にするな。そんな舐めた真似はするな。自分の足で動いて、自分の手で触って、自分の目で見たものだけを信じろ。それが、お前の血となり肉となる。

動き続けることだ。動き続けることで、自分にかけられた呪いが解ける。自分は嫌われるに違いないとか、自分は受け入れられないに違いないとか、自分は拒絶されるに違いないとか、自分は孤独だとか、自分はダメだとか、自分は無力だとか、自分には生きている価値がないだとか、動き出す前の結論に負けるな。同調圧力に負けるな。被害者意識に負けるな。動く前と、動いた後に感じることは、絶対変わる。これまでがこれからを決めるのではなく、これからがこれまでを決めるのだ。過去を変えることはできないが、過去の意味なら変えることができる。動き続けることで、呪いを解く。そのための時間が、まだ、私たちには残されている。なんのために生きているのか。そういったことを悩むことがある。だが、答えは案外シンプルなのかもしれない。それは「あなたに会うため」だ。あなたに会うために、リアルな世の中で握手をかわすために、私は言葉を綴り、私は歌を歌うのだと思う。

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同調圧力に負けるな。

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

Don't Rest in Peace, Just Rock'n Roll.

🌸🌸🌸イベント情報🌸🌸🌸

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2019年12月1日結成したスリーピースバンド『THE PRESENTS』。ギター&ボーカル坂爪圭吾、ベース保科亮太、ドラム樋田隆佑。“PRESENT”という言葉には「贈り物」という意味のほかに「存在」という意味もある。演奏として、ただ見せるだけの作品を差し出すのではなく、全人間としての生々しい姿を、音や振動、熱、表情など、あらゆる要素を持って表現をしている。

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Guitar.Vo / Keigo Sakatsume

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Bass.Vo / Ryota Hoshina

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Drums.Pf / Ryusuke Toita

2月2日(日)第二回茶会『Myself』@横浜市港北区「Rest Inn Peace」

https://www.facebook.com/events/846838379092703/

2月9日(日)THE PRESENTS@名古屋「Salon jardine Art Gallery」

https://www.facebook.com/events/990056181367075/

2月14日(金)THE PRESENTS@大阪市西区南堀江「5th-Street」

https://www.facebook.com/events/547363032512456/

2月17日(月)20時頃 THE PRESENTS@東京都吉祥寺「曼荼羅」

詳細は決まり次第更新します。

バッチ来い人類!うおおおおお〜!