2019.09.20「あなたがいることで、自分の人生はこんなにも豊かになった」
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2019.09.20「あなたがいることで、自分の人生はこんなにも豊かになった」

朝8時半。家主に起こしていただく。慌てて準備をして奈良に向かう。

昨日の記事を書いていただいた。うれしい。見ていてくださる方がいることは力になる。奈良駅に到着。ガーベラを購買。ジャンカラで練習。13時。GUEST HOUSE OKUに到着。家主の女性が素晴らしい方で、心底嬉しくなる。和室。落ち着く。雑談が盛り上がり、その後数曲を披露。京都名物・和束茶をいただく。超絶美味。利尿作用をもろに受け、トイレに3回。奈良が好きだ。夜のライブに向けて大阪に移動。空が綺麗だ。旅の空。趣深い言葉だ。はじめて足を運ぶ場所で見る空は、なぜだろう、何処か懐かしい。俺は、この空を知っている。そんな風に思う。ふと、昔のことを思い出した。私は、精神的に死んでいて実家で寝たきりの生活を送っていたことがある。症状は、統合失調症と躁鬱病と椎間板ヘルニアのトリプルパンチだった。

あの頃を思い出す。鬱病のしんどいところが「自分の心がなんにも反応しなくなること」だった。あれだけ感動した数々のものに、なにも、自分の心が反応しなくなる。楽しいはずのことも楽しめない。ただ、自責の念だけが募る。唯一の救いは、そんなどうしようもな自分を見ても、母親が動じなかったことだ。私が「俺はもうだめだ」的なことを言っても、常に母親は平気でいた。私は、お前は大丈夫だということを、知っている。母親の態度は、そんな言葉を言っているように見えた。自分が、自分のことを信じることができないとき、自分以上に自分を信じていてくれる人の存在は救いになる。逆に言えば、自分がしんどいことで、母親も一緒になって苦しんでいたら、私は自責の念に耐えきれず症状は更に悪化していたと思う。なにがつらいかって、自分の苦しみではないと思う。自分がいることで、大事だと思うひとが苦しむ姿を見ることが、一番苦しい。その苦しみを、避けることができたことは救いだ。私のことで悩まない母親に、私は、救われていたのだと思う。

自分の苦しみは耐えられる。しかし、自分がいることで周囲の人間が苦しむ姿は、耐え難い。逆も同じだと思う。なにがうれしいかって、自分のよろこびではなく、自分がいることで周囲の人間がよろこんでくれることだと思う。言葉も、歌も、同じだ。別に、誰かのために書いているわけではないが、これらを通じて「元気が出た」とか「活力をもらった」とか言われると、やはり、うれしい。醍醐味を感じる。自分がいることで、周囲の人間が苦しむことが、苦しい。自分がいることで、周囲の人間がよろこぶことが、嬉しい。世の中が便利になるほど、なぜか、不平不満を耳にする機会が増える。誰かが生きてくれることへの感謝より、なにかが物足りないことへの不満を、完璧ではないことへの不平を、頻繁に、耳にするようになる。当たり前にあるものは『当然のこと』となり、感謝の対象から外れる。しかし、私たちは、もっと『いまあるもの』を感謝してもいいのではないか。足りないものの不満を語る以上に、あるものの感謝を口にしたほうがいいのではないか。あなたがいることで自分の人生はこんなにも豊かになったのだと、伝え合うことが必要なのではないか。そういうことを、なんとなく考えていた。

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鶴橋駅に移動。ジャンカラ鶴橋店で1時間練習。練習後、花屋に立ち寄るもまさかの閉店。シャッターガラガラ。やばい。本番まで時間がない。お客さんにおはなを渡せない。膝から崩れ落ちる。が、落ち込んでいる場合ではない。意識を切り替えて別の花屋を探す。走る。走る。雨だ。走る。走る。花屋を見つける。入る。素晴らしい花々が(まるで神様がこの店に行くように仕向けたかのように)並んでいた。おはなを買う。なんにん来てくれるか謎だから、綺麗だなと思ったおはなを買えるだけ買った。本番。流しの演奏を行う。カフェは満席。ありがとうございます。私を知らないひともその場にはいた。私の演奏を聞きにきたというよりも、友達と話すために来たのだと思う。演奏中も話し声が気になってしまった。勝負だ。そんなことを思った。自分が真のパフォーマーならば、全員巻き込んで楽しませられるはずだ。しかしながら、小生、大敗。喋り声が気になりすぎて、突破できなかった。他のお客さんに申し訳ない気持ちになった。自分の力量不足を感じた。

今日感じたこと。自分関連のイベントに来てくれる人々は、全員、本当にいいひとばかりなんだ。「なんでこんなに優しいんだ」というひとばかりが毎回来る。私は、ぬるま湯に浸かっているのかもしれない。きっと、この世のミュージシャンなんてほぼ全員が、自分の演奏中におしゃべりをされたりなんだりを経験しているのだと思う。私は、今日が、初めての体験だった。これまでのひと全員、みんな、しっかり聞いてくれた。自分は恵まれていたのだ。そのことを痛烈に実感した。いつかは、泣く子も黙るパフォーマーになりたい。鍛錬。鍛錬。本当に、素晴らしい経験になった。みんな本当にいいひとだった。ありがとうございます。きっと、これを読んでいるあなたもいい人なのだと思う。ありがとう。この場を借りてお礼を言わせてください。

京都から来てくれた男性のお客さんが「坂爪さんの文章の力はすごい。なんで、あんなに書けるのですか」と聞いてくれた。ありがとうございます。表現なんて、満ち足りているときにはしないものだと思う。自分に欠けている部分があるから、その部分を埋めるように、表現をするのだと思う。自分が、毎日、これだけの分量を書ける(書かずにはいられない)のは、自分が抱えている欠落が大きいからだと思う。自分は、欠落人間だ。別に、卑下している訳ではない。欠落があるから、表現が生まれる。欠落があるということは、悪いということではない。時折つらくなることもあるが、欠落があるからこそ、その部分に様々なものを招き入れることができる。昔は、欠落があることが惨めだった。欠落がある自分はダメ人間だと思っていた。みんなと同じになりたいと思ったりも、した。でも、いまは、この欠落に感謝をする。欠落があるおかげで、私は歌を歌い、私は文章を綴る。欠落によって生まれた文章が、音楽が、自分を世界と繋いでくれた。そして、ライブなどを通じて実際にリアルで対面をすることができる。おかしな表現になるが、世界と私を繋ぎ止めてくれたものは、自分の『欠落』によるものだと思った。

【Agape通信】


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坂爪圭吾

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