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ホームをレスした話(4)

自分を殺して生きるより、自分を出して死ぬほうがいい。

家なし当初の年齢は28歳。周囲の同年代は出世を重ね、家庭を築く者も、なんなら一軒家を購買する人間もいた。その傍で、私は「家のない生活ひゃっほー!」みたいな感じで着々と浮世から離れ、俗世から隔離されていった。この頃には、もう、他人と比べることをやめた。色々と思うことはあったけれど、多分、この時期に「人並みであることを諦めた」のだと思う。

今世は諦めてください。と、自分自身に言い聞かせていた。普通になれないことを悩み続けた10代。普通になりたいと懸命に足掻き続けた20代。が、蓋を開けてみたらこれだ。自分には普通とか無理なのだ。みんなが当たり前にできることが自分にはできない。自分は欠落人間だと思うことも頻繁にあったが、ある日、冷静に考えると「そもそもで、自分は普通の人生を送りたいとはまったく思っていない!」という、驚愕の事実に目を醒ました。

なんだこれは。俺は普通になりたいと足掻いていたが、そもそもで普通であることになんの魅力も感じていないではないか。ということは、今(これまで)の生き方は、欠落人間に見えるようで「めちゃめちゃ理にかなっている」のではないか、と、開き直りにも似た前向きさを(今更!)獲得した。

何者かになりたいとは思わない。ただ、自分でありたいとは強烈に思う。だからなのだろうか、私は「覇者と話したい」と思うようになっていた。王道を極めた王者ではなく、覇道を極めた覇者に。自分という競技種目でぶっちぎり一位を獲得しているトップアスリート、なんと言えばいいのだろうか「ああ、このひとは(社会的にはあれだとしても)めっちゃ自分を生きているなあ…最高だなあ…」と思わせてくれる『覇者』との邂逅を求めていた。

ら、奇跡が起きた。

ある日、着信が鳴る。電話に出る。「坂爪さんですか、乙武です」との声。電話の主は、あの、五体不満足の著者である乙武洋匡さんだった。あまりにも突然の出来事に、私は激しく狼狽をした。まさか、自分のようなゴロツキに国民的有名人から電話が来るとは思わず「うおー!あの、乙武さんですか!」と錯乱した。声も、体も、多分、小刻みに震えていた(と思う)。

乙武さんは言う。恥ずかしながら、先日、ツイッターを通じてはじめて坂爪さんの存在を知りました。いやー、面白かったです。坂爪さんみたいな生き方をしているひとをいままで知らなかったなんて、もう、自分を殴ってやりたいと思いましたよ。まあ、腕があったらの話だけどね。あはははは。と。

乙武さんがジョークを好むのは知っていた。が、さすがに、この時ばかりはリアクションに窮して「あはははは…」と引き笑いを浮かべることしかできなかった。乙武さんから「今度時間があるとき東京でお茶でもしませんか?」と誘っていただく。私は即座に了承をする。日時を決め、待ち合わせ場所を決め、後日、都内某所で実際にお会いさせていただく機会を得た。

電話を切る。まだ、震えは止まらない。生きているとこんなこともあるのかと、何か大きなものに感謝をしたくなった。「乙武さんから連絡がきたよ!乙武さんから連絡がきたよ!」と、知り得る限りの知り合いに伝えてまわりたい気持ちになった。犬の散歩中のおばちゃんに「ねえ、おばちゃん!」と声をかけそうになった。お母さん、こんな生き方しかできない放蕩息子だけれど、この瞬間だけは「おれを誇りにしてくれ」などと思ったりもした。

テンションが爆発した。世界が違って見えた。すべてが自分を祝福しているように思えた。そこまではよかった。が、直後、私の中で「自分は乙武さんと話す価値のある人間だろうか」というパンドラの箱的な問いが生まれた。相手は雲の上の存在であり、自分は貧困沼のゴロツキである。文字通り雲泥の差であり、こんな自分に乙武さんと対等に話す資格はないように思えた。

それならば、自分の話をするよりも、乙武さんのお話を聞かせていただく時間にした方が、よっぽど有意義な時間になるのではないだろうか。そんなことを思った。偉人を目の前に、自分の中にある「こんな自分」マインドが顔を出したのだ。が、しばらく考えた後に「いや、この考え方はおかしい」と思い直した。謙遜が行きすぎて卑屈や自虐に走ることは多いけれど、今回は、乙武さんの方から「あなたの話が聞きたい」と言ってくれているのだ。

それに対して、いやいやこんな自分なんてと自分を卑下することは、相手に対して無礼にあたる。そう思った。世間的な知名度で比べれば雲泥の差でも、同じ人間としての絶対的価値、共に「あなたに会いたい」と思っている者同士の観点で見れば、私たちは「あくまでも対等である」と思い直した。

それならば、無駄に自分を卑下するのではなく、自分は自分のままで立ち会うことこそ、誠実と言えるのではないだろうか。そう思い直し、よし、自分は自分のままで行こう、卑屈になることも自虐的になることもなく、自分は自分のまま、ただ、自分が思うことを素直にまっすぐに話す時間にしよう。そう思うことで、平常心を取り戻した。結果、乙武さんと話した一時間程度の時間は、非常に有意義で、なによりも「楽しい」と思える時間になった。

この体験を通じて「自分の価値を決めるものは、自分である」ことを実感した。自分は偉いと思うことが傲慢ならば、自分はダメだと思うことも同じように傲慢であり、相手に対しても、生命そのものに対しても無礼になる。社会的な肩書きとか、世間的な評価はどのようなものであれ、同じ人間であるという絶対感を胸に「あくまでも対等に話をすること」の重要性を学んだ。

この時、乙武さんは非常に興味深い指摘を与えてくれた。それは「僕(乙武さん)と、坂爪さんには、共通点があると思う。普通、みんなが持っていないものを持っているひとが注目を集めるものだと思うけど、僕には両手両足がない。坂爪さんには家とお金がない。僕たちは、どちらも『生きるために必要とされているもの』を持っていなくて、それなのに、明るく元気に生きているってことがみんなに面白がられているのかもしれないね」とのこと。

これを聞いたときは「なーるほど!」と思った。確かにその通りだと思った。金も名誉もあるひとが楽しそうに生きているのは、普通だ。しかし、金も名誉もなにもないくせに楽しそうに生きているひとがいたら、周囲の人々は「なんで!」となる。金も名誉もないひとは、不幸でなければいけないという雰囲気が世の中にはある(気がする)。いつの間にか、私たちは、自分でも気がつかないうちに「世間的なタブー」を破っていたのかもしれない。

無論、このような生き方を続けていると、周囲からも散々「そんなんで生きていけると思うなよ!」的なことを言われまくる。が、私としても「現に、そんなんで生きてきてしまっているのですが!」となる。無論、自分自身でもこんな生き方は到底無理だと思っていたのだけれど、現に、そんなんで生きて来てしまっているこの現象を一緒に楽しんでもらえたらと思っていた。

が、なかなかその思いは伝わらずに説教を受け続けていた。他にも「ちゃんとしなさい!」とお叱りを受けた。私は「ちゃんとできる人間だったら、はじめからこんな生き方はしてねーよ!」と思っていた。自分としては、ギャグとして生きている部分が多大にあったので、一緒に楽しんでもらえたらとは思っていた。が、楽しんでくれるひと半分、逆鱗に触れて怒りを買いまくる結果に終わるのが半分、といった感じの人間関係(?)が続いていた。

どうすればこの現象を「一緒に笑って」もらえるのか。説教をしたくなる気持ちはわかる。好き勝手に生きている人間が無責任に見えるのも重々承知の上だ。が、私のやりたいことは「人並みに落ち着くこと」ではなかった。そんなことより、殺伐としたこの世の中を、余裕を失い、ギスギスしてしまっているこの世の中を、僅かでもほぐすことのできる『何か』を求めていた。

ら、奇跡が起きた。

(つづけ・・・)

バッチ来い人類!うおおおおお〜!