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第51弾「ねえ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

51曲目はこれ。ねえ。お久しぶりの再開。誰か楽しみにしてくれていたひと、いる???いない???いるわけない???あたし、とっとと死んだ方がいいのかもしれない。でも、大丈夫。遅かれ早かれ、必ず、みんな死ぬから。そう、これを読んでいる、お前もなあああ!ふはははは!参ったか!って、あたし、なんで読んでくれている人の死を、宣告してしまっているのだろう。どうせなら、読んでいないひとの死を願えばいいのにね。てへぺろ。

「ねえ」作詞・作曲 坂爪圭吾

俺のこどもたちが おとなになる頃に
君のこころまでも おいていかないように

美しいままでは 生きられないからね
涙が出るくらい きれいになりたいね

ここで死ぬなら それまでのことだよね
まだ生きている そのことがこたえだね

ねえ 寂しくて 悲しくて 嬉しくて 楽しくて
積み重ね 生きてるねえ 愛を求め

君は悲しいほど 優しいひとなんだね
俺は何も言わない 冷たいひとなんだね

でもいつまでも 見ているよ 君のこと
ただいつまでも 見ているよ 君のこと

ねえ 嗚咽して苦悶して 武者震いとかもして
身を売って 生きてるねえ 銭を求め

死んでしまうことに 安らぎを求めて
生きることのなかに 手応えを求めて

そういうことのすべてがね おかしくて
そういうことのすべてがね いとしくて

ねえ 情けもねえ不甲斐もねえ 勇気も金も自信も才能もねえ
それでもねえ 生きてるねえ 命よ 暴れまわれ

なにひとつ諦めず 欲しいもの取りに行け
安パイは 投げ捨てて 危ない橋を渡れ

血を晒せ肉を斬れ 骨を断ちハイになれ
このままじゃ 終わらんねえ 愛を求め

人生のテーマは「変えてけ!変えてけ!」ということで、令和元年にふさわしく動画配信をしてみました。画質悪いし、歌詞字幕もないけど、雰囲気が伝わればこれ幸い。とか言って、また「坂爪さんのイメージぶち壊れました」とか捨て台詞を言われて、みんな離れていくのかもしれない。でも、いいの。あたしは、永遠に、あたしの味方だから。あなたにも、そういう経験、ある???一方的なイメージを押し付けられて、それにそぐわない生き方をした瞬間に、捨て台詞を吐かれて、誰かに去られた経験。「ある、ある!」という方は、私の第6弾楽曲『さよならフォロワー』を聞いてね!!

最近思うこと。随分昔の話だけど、モーニング娘。の矢口真里さんが、不倫問題で騒ぎになったこと、覚えてる???不倫問題で、社会的に抹殺される芸能人、多いわよね。実は、それと同じくらいの時期に、芸人・江頭2時50分さんも、公然猥褻罪で捕まったの。イベント中、盛り上がった江頭さん、ついつい全裸になっちゃって、補導されたの。これ、一応、どちらも『悪いとされていること』をやって、問題視された点においては、共通。でもね、この出来事が、あたしにとっても大きな影響を与えることになったのです。

矢口真里さんも、江頭さんも、その後、どちらもテレビの前で謝りました。「ごめんなさい。もうやりません」ってね。でね、その後、矢口さんは謹慎処分みたいなことになる。世間的なイメージもガタ落ち、ファンもみんな離れた、みたいな感じで扱われた。それに対して、江頭さんは、社会的に抹殺されるどころか「えがちゃん、さすがだなあ!」って、怒られるどころか、みんなから喜ばれた。楽しまれた。ファンが、もっと、ファンになった。『悪いとされていること』をやって点では同じなのに、そのあとの周囲の反応が、真逆と言ってもいいくらい、違う。これ、興味深いと思わない???

この時、あたし、思ったの。イメージで商売するのはやめよう。って。ファンから望まれるイメージを生きて、それに適した生き方をしている限り褒められたり英雄扱いされるけれど、イメージから外れたことをやった瞬間に「あなたにはがっかりしました」とか言われる生き方、あたしには、無理。だからね、あたしは、えがちゃん寄りの生き方をしていこうって、その時に強く思ったの。仮に、あたしが、今後なにかしらの問題を起こして牢獄にぶち込まれたとするでしょ???その時に、みんなからは「さすがだなあ」って言われたい。笑ってほしいし、あたしの生き様を面白がってほしい。そのためには、最初から、仮面をはずす必要がある。鎧を脱ぎ去る必要がある。

初対面の人から「実際に会ったらイメージと違ってびっくりしました!」って、もう、何億回も言われた。あまりにも言われるから、もっと違うことを言えよ、とか、お前は退屈な人間だな、とか、感じちゃう。イメージが違うのはわかった。でも、そのあとに「もっと重鎮感あるかと思ってたけど意外と今風の若者なんですね!」とか言われても、知らねえよ、としか思えない。お前のイメージのミスは、お前の感性に責任がある。あたしの風貌をとやかく言うより、お前の審美眼の無さを猛省せよ。とか。思っちゃうのよ。

あら、いけない。またしても悪態をついてしまった。こんなことばかり言っちゃうから、みんな、いなくなってしまうのね。SOPHIA風に言うなら「問題は俺だ」だわ。ダメね。令和元年も、あたしは、ダメなままです。それにしても、あたし、思うのよ。世の中、やらなきゃわからないことっていうのが、大量にある。それなのに、多くの人々は「やらなきゃわからないことを、やる前にわかろうとしている」って感じること、凄い多い。そんなの、無理に決まっているじゃない。佐渡島に言ったことない人に、どれだけ言葉を重ねても、絶対に佐渡島の魅力を伝えることはできない。それと同じよ。

要するに「やれ」っつー話よ。情報に踊らされないで、自分の目で見て、自分の体で感じること。話は、それからでしょ。いつまで、イメージの話をしているのよ。実在が目の前にあるのに、イメージとか、過去とか未来とか、いまここにないもの【不在】の話をされることほど、退屈なことはない。目を覚ませよ、って思うことばっかり。でもね、それが、音楽をやる力になるのね。音楽の良さ、芸術の良さって、いま、この瞬間のエネルギーを最大限にぶちこめることにある。音楽があってよかったって、いま、心から思う。

繰り返しになるけど「やらなきゃわからないこと、やる前にわかろうとする無益さ」を、あたしたちはもっと自覚をしてもいいと思う。やってみなきゃわからないこと、やってみたら想像と違っていたこと、人生、そんなことばっかりじゃない。生きていると「なにかを知ったつもり」になることも多いけど、現実は、人間の想像を軽々と飛び越える。それが、いいのよ。結末がわかる映画なんて、つまらないだけじゃない。結末がわからないから、面白いのよ。わかることが面白いんじゃなくて『わからないから面白い』のよ。

じゃあ、またね。愛してるわ。バイバイ。

坂爪圭吾 keigosakatsume@gmail.com

【イベント情報】

5月17日(金)14時~16時@東京都西荻窪「hana」

5月26日(日)15時~16時@神奈川県横浜市「ごちゃまぜの家」

6月2日(日)15時~17時@千葉県千葉市「N-HOTEL」

非常にありがたいことに、イベント出演のお誘いをいただきました。当日は、みなさまとお話をしながら数曲披露させていただくような、そんな感じで進みます。是非、生けいごちゃんの波動をリアルで感じてください。この前、過去に数回お会いした女性から「坂爪さんと会うと、必ずそのあとにいいことがあるから、私の中では『坂爪大明神』ということになってます!」くらいのことは、言われているのよ。とかなんとか、こういうことを書くと宗教っぽいから、やばいわね。まあ、いいや。だって、ホントなんだもん。

みんな、遊びに来てねー!ぴょえー!


バッチ来い人類!うおおおおお〜!