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「持続可能性」がうたわれて、約30年。四半世紀もいってる「サステナビリティ」って、なんなん?その歴史と定義


なななら、ななななななぁん。


スウェーデンから帰ってきてビックリしたことが、どこもかしこもSDGs!!と叫んでいたことだった。(帰国は2019年)


なんなん?この状況。(本文と藤井風は関係ありません笑)


国連が採択したことは知っていたし、大学院でももちろん出てきたが、サステナビリティを測る指標の一つ、くらいの扱いだった。
それが、日本ではなんかどこもかしこでもいっている。留学に行く2017年の日本の雰囲気とは圧倒的に違っていた。


環境といえば、活動家や強い関心を持っている層が中心だったようにおもう。が、今度の盛り上がりはどうやら違う、ように見える。なぜなら、うちの両親さえも言葉の意味を知っていたから!笑
2017年、2018年は日本で水害も多かったので、何かがおかしいっていうのは感じていて。やはり「持続可能な社会を目指そう」ってこと「今のまんまの社会じゃ大変だ」っていうことは、なんとなく肌感覚で理解しているようだった。

親世代(アラウンドセブンティー)が知っている、ということを受けて、
あらためてサステナビリティ(持続可能性)ってなんなん?っていうのをあらためて、書いてみようと思う。S D Gsもサステナビリティの形容詞「Sustainable」を使ったSustainable Development Goals の略だしね。


サステナビリティの歴史

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結論からいうと、サステナビリティとか、持続可能な開発ってなんなん?って定義の理解にあまり時間をかけなくてもいいんじゃないかなっていう話を歴史もあわせて、お伝えします。


さて、サステナビリティの概念は、1992年ごろの国連会議で使われはじめて、広く認知されたと大学院で聞いた。調べてみると、1987年の国連のブルントラント委員会の報告書「Our Common Future」で「Sustainable Development」という言葉が登場し、サステナビリティの概念について議論が盛んになっていったといわれていた。※Developmentが開発とかって訳されるけど、持続可能にどういったら世界が発展していけるかなっていうこと。


1987年??!!ってだいぶ前からサステナビリティっていわれていたの? 


さらに調べると、国際的な場での環境意識の高まりは、1972年。国連環境会議が「かけがえのない地球」をスローガンにストックホルムで行われた。日本もそうだし、第二次世界大戦後から社会が発展するにあたって、環境問題が各地で噴出したんだね。国連で扱うぐらい、意識が高まり始めたことは容易に想像できる。


同年には、ローマクラブが出版した人間社会の発展・成長と有限資源の消費を計算し、世界に警笛を鳴らした「成長の限界」が出版されている。「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」って書いてあるので、どんどん近代化する世界に対して、地球への負荷は相当大変!って考えてる人たちがちゃんといたのよ。


が!オイルショックで機運は見事に盛り下がってしまったらしい。


次の国際会議でのタイミングはなんと1992年のリオでの国連環境開発会議(地球サミット)。12歳のセバン・スズキさんがスピーチしたことも有名。ここでの宣言をもとに1993年、国連経済社会理事会の下部組織として、持続可能な開発委員会(CSD=Commission on Sustainable Development)が立ち上がったとのこと。やっとこさ、サステナビリティっていう概念を国際的にも検討するための器ができたんだね。


ストックホルムから考えると50年、リオから考えると30年、ずっとこのままでは地球は大変なんじゃないかって訴え続けていたのだね。。。さすがにこんなに経ってたら、グレタさんもめっちゃ怒るよね。

※グレタさん、2020年の地球サミット。


サステナビリティの定義



そもそもサステナビリティって日本語訳だと「持続可能性」とか「持続可能な社会」と訳されるけど、じゃぁ持続可能性ってなんなの?っていわれると、結局!定義がなかなか難しい。おそらく「持続可能な状態」を測ろうとする指標は世界にゴマンとある。環境指標も含めてパッと書くと


ISO、EMSA 、SDGs、GEMI、 GPI、 Cradle to Cradle 、Zero emission、Life Cycle Assessment、Agenda21 、Ecological Footprintingなどなど。(ちょっと大学院の教科書をまる写ししてるので、関係ないよ!とか違うよっていうのあったら教えてください。)


国際会議でいわれ始めたのも1987年だし、サステナビリティをサイエンスとして捉えて学問が発展していった歴史もそこまで深くはない。そこで、グーグルスカラーで「sustainability」を調べてみると、1987年にBECKY J. BROWN他の皆さんが「Global Sustainability: toward definition(定義)」という論文を書いている。頑張ってサステナビリティをグローバルレベルで定義しようと思ったんだね。結論に、

It is important to recognize that the answers to these questions depend on how we construct our definitions of sustainability. 


定義はどういった過程をへて定義づけたかが大事。そして、その文脈の中で達成されたかどうかわかると結論づけていた


どどのつまリ、文脈によって答えも違うよね。って書いてあった。


【具体例】大学院でのサステナビリティの定義

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スウェーデンの大学院で学んだサステナビリティのフレームは、8つの原則を厳守することが定義。

①自然のなかで地殻から掘り出した物質の濃度が増え続けることに加担しない
②自然のなかで人間社会が作り出した物質の濃度が増え続けることに加担しない
③自然が物理的な方法で劣化することに加担しない
④健康であること 
⑤能力が発揮されている 
⑥影響を与える機会がある 
⑦差別がない 
⑧意味や意義を持ってすごせる。


1〜3は地球環境への配慮で、4〜8は人間社会への配慮。
じゃぁさ、健康ってどこまでいったら健康といえるんですか?とか、能力が発揮されているってどういう状態ですか?っていったら、「どこまで?」「どうなったら?」ってわからないことだらけ。そのことを証明するためには、その領域でさらなる深い研究が必要なわけなんす。


SDGsでも17個の目標があったり、プラネタリーバウンダリーという指標でも9つの臨界点を掲げてていたりする。身近な環境指標のISOだって。それぞれの文脈で話される質感や量感は違うことも多々ある。っていうことは、サイエンスとして横串を入れて証明するのは相当ハードなんですね。

達成をはかる議論するため、共通のマインドセットを持つために。



それで、最初に戻るけど、統一の定義は難しい。ならば、扱う場所によって、持続可能性が語られたときに、どんな文脈で語られていて、どういった定義がされているかっていう視点を持つことが大事だと思うんです。(論文の結論と一緒です笑)人それぞれで「持続可能である」捉え方が違うし、フレームもたくさんある状態だと対話や議論ができないし、達成がどのような状態になったかがわからないから、共通言語としての定義やフレームの理解は、関係者の中では必要。

最後に



昨今、「なんでもかんでも、それってSDGs!」って横行してることにイヤイヤするってこともきく。文脈によって「持続可能性」の達成も変わってくるので、なんでもかんでもいうのはどうかなっておもう。


そもそも、持続可能になることがゴールではなくて、どういう社会を目指してるんですか、そのことを測るのが持続可能性の指標だよね?と問いかけたい。


そういう意味では、僕は、誰もが生き生きして、一人一人が自分らしく個性が発揮されている状態が理想だから、スウェーデンで学んだ8つの指標って結構好きなんです。特に社会に向けた指標。4〜8が守られてる社会って人間的だし、生きやすいとおもうんだな。




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