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『セッションズ(2012)』を観ました。

障がい者の人が出てくる作品で、性についてのお話です。
ここで引いてしまったり、「あーっ、わたしには関係ないなあ」などと思われたくないではあります。
私は本当に「この作品見れてよかった」と思ったのでした。

サンダンス映画祭で賞を獲ったのと、障がい者が出てくる作品というのだけ知って、探してツタヤで借りて見ました。

性は隠されたものだから、歪んでいても歪んでいることに気が付きにくいです。あえて赤裸々に語ると「私は今でもセックスというものが怖い」です。
それは自分をさらけ出すという怖さとか、自分ではない誰かとの距離が縮まる怖さとかがあるのかと思います。
恋愛できる人っていうのは、生き物として強いと感じるし、この世界で生き残れる生き物だなとうらやましく思ったりします。
そして、自分にとってのセックスという行為の位置っていうのが、まだどうもおかしな位置にあるような気がしていました。

以前に女友達と話している時に「セックスって行為に罪悪感を感じる」とかポロッと言ったら、「そう言う気持ちを持ってるのって、とてもいいと思いますよ」などとやけに感心したように言われたことがあって、恥ずかしかったけど話せてよかったと思った記憶があります。

ポリオにより首から下が動かない障害を持つマークは、詩人として自宅で働きながら介護ヘルパーの助けを借りて一人暮らしをしていた。マークはこれまで一度も女性と付き合うこともなく、ある日性の悩みを専門に扱う医者のカウンセリングを受けてセックス代理人とのセックス・セラピーというものを提案される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/セッションズ_(映画)

いくつか日本でも障がい者の性を扱った作品がありますが、私の観たものはデコレーションされたものがほとんどで、相手をする女性を男性が興奮するように見せたり、障がい者をかなりマンガみたいにキャラクター化して見せたり。おかしな歪められ方をしたものを見ている気がしました。

今作を見て「こんなに、事実をそのまま見せようとしている作品にはじめて会った」と思いました。「もっと奇抜にしないと多くの人に見てもらえない」とか「もっとエロくしないと男性を惹きつけれない」とか余計なことを言う人のいないところで作られた、監督にとっても演者さんにとっても、宝物みたいな幸運な作品のような気がしました。そういう作る現場の空気みたいなものを、心地よく感じました。

今作でセックス代理人のシェリル(女性)の言った「お互いの体を意識するエクササイズ」というのが目から鱗が落ちるみたいになりました。そいいう位置にセックスという行為があるのが、とてもいい位置にあるような、なんだかホッとしたのでした。

今いる自分の殻の中から出ようとする、冒険のお話といっていいのかもしれません。人から見たら「そんなことで」と言われるかもしれませんが、本人にとっては今までにない行動なのです。海の上の孤島から手作りのイカダで外海に出るような、命懸けでもあえてここから出ていこうという、できるかどうかわからないけれど、自分ではない誰かと関わろうという姿勢。その姿を見て、応援したい気持ちとか自分の中に力が湧いてくると気持ちとか、なんだかいろいろ湧いてきました。

私の中の性の呪縛というか、性の呪いみたいなものが解けたとは言いませんが、いくらか軽くなったとような気がします。

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