002.予想外を好きになる

社会的問題解決において多くの実績がある統計学は、社会で生きる上でもはや当たり前の知識となった。統計を少しかじると、多くのことは予想が可能なのではないかという錯覚に陥る。実際、生活の中で予想をしていると、予想通りになる。不思議なもので。しかし、人は予想通りが続くことにはすぐ飽きる。建築家の谷尻誠は「予想通りほど人を感動させないものはないんですよ。」とインタビューで語ったことがある。精密な計算をして誤差がない建物を設計する人物が、予想外の設計こそ利用者の愛着に繋がると言う。

予想通りと予想外とは、体験における安定と緊張である。「実際に人間が必要としているのは、どのような緊張もない状態ではなく、むしろある一定の、健全な量の緊張なのである。」とは心理学者のV・E・フランクルのセリフだ。豊かな社会においては、ちょうどよい緊張が免除され不足しているとも言う。無菌室では人は長く生きられないのと同様に、人は緊張のない状態には耐えられない。その結果、人は人為的に緊張を自分の中で作り出す。自ら問題を起こしていくヒステリックな人間には、緊張状態を作り出したいという無意識の欲望があることはなんとなくイメージできる。

例えば社会的に老害と呼ばれる面々は、安定したい欲求と、怒りという緊張に理想を見出す。自分の立場が簡単に変化しないという安定と他者との軋轢による緊張が心地よい。人が冷静さを失う瞬間には、そこに何らかの強い欲求が働いている。

この安定と緊張という両軸を自分で必要だと認識できている人間は、様々なことが起きる人生を楽しんでいる。楽しんで選択を行える人間は他人に対しても喜ばしい選択を与えたがる。わざわざ喧嘩をすることで緊張を作ろうとは思わない。そんな不要な緊張ではなく、能動的に緊張状態を作っているから。

4人暮らしの一軒家なら、トイレが4つあってもよい。バリアフリーの時代に高低差のある部屋も面白い。机がないなら床で食事をしてもいいし、カーテンがないなら押し入れで寝てもいい。腰に負担をかけないなら。無駄を省き、効率的な設計が人を豊かにするのではなく、想像しなかった世界が人に色彩を与える。

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