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何者にもならなくても。

ずっと自分を偽っていて。
自分自身にも嘘をついてた。
多分無意識はわかってるんだけど、
騙されてる方が都合がよかったんだろうな。

自分自身に嘘をついてると、
自分を信じることができなくなる。
自分で決めることができなくなる。

周りに振り回されて生きることになるんだよね。
それを選んでるってことなんだけどさ。


自分に嘘をつくのは、
愛されたいから。
理想の自分と現実の自分のギャップに耐えられないから。

「愛されたい」気持ちに支配されてたわたしは、
自分のことを愛せなかった。
自分が愛せない自分を愛してほしいって、矛盾してたよね。

「認めてほしい」と思ってたけど、
わたしがわたし自身を否定してた。
自分を否定してる自分を認めてほしいって、矛盾してたよね。


矛盾だらけ。

自分自身の中に相反することが同居していて、
それが苦しさの根っこだった。

そしてそれは、自分自身に嘘をついてたから。

無意識はそれが嘘だとわかってるから、苦しいんだよね。


嘘という鎧が、わたしを守ってた。
自分を守ってるものを、手放すことは難しい。


じゃあ、矛盾した中で苦しいままでいる?

嘘ついてることを認めるのも苦しいけど、
認めて受け容れることができれば、
矛盾の構造が見える。

矛盾の構造が見えて、
嘘をつかなければならなかった理由がわかれば、
自分が愛しくなる。


苦しさの中で生き続けるか、
苦しさを手放して生きるか。

それは選択できるんだよね。

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昨日、うちの車の前にとらのすけが横たわっていて。
3年前、ニケがうちの菜園で息絶えた姿と重なった。

実際は寝てただけだったんだけど、
あまりにも無防備すぎる・・・

存在していてくれるだけでいい。
わたしたちだって、そうなんだよね。

自分に嘘ついて、自分ではない何者かにならなくても。
わたしはわたしのままで存在しているというだけで尊い。

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