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存在と関係/豊島美術館「母型」に浸った私と私たち

吸い込まれたその先に、私の人生があった。

胸の中のざわつき。
息を呑み、灰を吸い込んだ感覚。

そしてスッと心が抱きしめられ、救われた感覚。
ここを求めていた。
私は天を見上げて眠った。

ここに居たい。
地中から出てくる水滴。
地上と押し合ってできた、表面張力で、見事な立体を形作り、斜面と風の上と下からの摩擦で、水滴は動いた。
動いた水の粒は、別の水の粒に吸収されたり、弾き返されたりしていった。

その粒たちはいつまでも見つめていられた、とにかく美しくそしてまた儚い。

ぶつかって、吸収され弾き返され、最後はみな、水溜りに溜まっていき、空中に蒸発していくのだろうか。

瀬戸内国際芸術祭2022。

私の常日頃の興味関心は、存在と関係。
私たちはなぜいるのか。
私たちはなんのためにいるのか。
私たちはなぜ私たちなのか。

それについての大きな示唆を、身体的にも精神的にも、豊島美術館の作品が与えてくれた。
その作品は、「母型」。アーティスト内藤礼と、建築家西澤立衛によるものだ。

豊島美術館にはこの作品しかない。
詳細は、ググってみてもらえたらと思う。
これはそこでの私の物語だ。

いつもここにある孤独

スポーツ万能だったのもあり、誰かがいつもそばにいた幼少期も、サッカー部でキャプテンをしていた中学時代も、誰かがいつもそばにいた。そしていつも褒めてもらっていた。

でもいつも孤独だった。本当の自分ではない自分を見られ、褒められてる感覚がいつもあった。

これでいいかな?そんな囁きがいつも心に宿る。

説明できる自己を認めてもらうことで、私の繊細さや複雑さは決して誰にも伝わらない。そんな孤独をいまも持っている。

存在するために孤独でいるのだ。

しかし、あの場所で過ごした1時間余り。孤独感は全くと言っていいほどになかった。

私はここにいる、そしてここで生きてるのだ。

それなのに孤独感がない。

水の粒がゆっくりと動き、光が差し込み、糸が揺れる。
息を大きく吸えば、鳥や虫の鳴き声とともに、私が生きているんだと実感できる。
ただ生きている。心はいつもとは違い自由であった。

靴下の先からじんわりと伝わる冷たさは、いつしか、足の先から踵まで、私がその場所にいていいんだと感じられる証になり、いつしか寝っ転がりながら、ありがとうという感情が湧き出てきた。

私はここにいる、そしていろんな生き物が私の周りにはいる。
じんわりと私の171cmの身体がそれを受け止めた。

私が生まれた理由、存在する理由

私は何でいるのか。いつも悩んでいた。
数ヶ月前まで、私は深夜に死にたいと、飲みながら思い、語っていた。

なぜ私は生きているのか
なぜ私は生きなければいけないのか

その理由がどんなにもがいても見つからなかった。
それが辛かった。

そんな辛さをまだ持っていた。
昔よりも誤魔化しが効いているけれど、
あることは事実だった。

でも水の粒に囲まれ、そしてまたこう書いているときにも思う。

私が生まれた理由はきっとないのだろう。

それは両親から生まれてきたという事実はある。しかし、私が私の個性・感性・心を持って生まれてきたことに意味なんて、考えれば特にない。

それでも、生きていく中で、役割を求められ、評価されるから、本当はありもしない私の役割と評価が生まれていった。
私に意味なんてないのに、私に意味をつけなければいけない。
そしてまた、私は誰かに意味なんてないのに、意味をつけていくのだ。

存在、それ自体に意味なんてないのに。

役割と評価を加えていくんだ。

水はただ流れていく

水の粒は風に押されて、斜面に沿って、ゆっくりと動いていく。くっついたり、弾かれたり、そこに意志などない。それでも水の粒はいるのだ。存在する意味はない。そして意志もない。

私も存在する意味はない。そして意志も本来なかった。

ふとこぼれ落ちた涙は、笑みを浮かべた頬を伝っていった。

理由がないなら理由は選べる

理解されないことに、私は絶望なんてしなくていいのだ。本来、理解されるために私は生まれてきたのではなかったのだから。
意志を持って生きなければいけないわけでもないのだ。だって私は意志を持って生きるために生まれてきたわけではないのだから。

そうしたら、私はなんのために生きるのだろうか。
そうか、私はそれを選んでいいのだ。

理解されないことを嘆くよりも、私は私の感性を救うために、そして誰かが自分の感性を愛せるように、生きていきたい。

光刺す青空、水の粒たちは踊るように、自由に散っては集まってくる。

私は私たちと生きている。どんなことがあろうとも。だから自由に散っては集まっていこう。生まれた理由も、存在する理由も、ないのだから。

そしてまた、死んでいい理由もないのだ。

だからもっと自由に今までよりも、ゆっくりと大きく息を吸いながら、また歩いていく。

私の感性を殺さないように、私の内なる個性を肯定しながら、創作していく。

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