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短編小説「泳ぎ方を知らない」

うまく息ができない。

多分、溺れている。

周りを見渡す。暗くて何も見えない。

はるか遠くに、少しだけ光が見える。少しだけ。

手を伸ばしても、ぜんぜん届きそうにない。

色々とあきらめて、ゆっくりと目を閉じた。


気が付くと、人の少ない歩道を歩いていた。

スーツを着た男性とすれ違う。昼休憩だろうか。
青いネクタイと真っ白のシャツがくたびれていた。

季節は秋。風が心地よかった。
イチョウの紅葉がいつもより眩しく、輝いて見えた。

風が吹く。
さっき寿命を終えたばかりのイチョウの葉が、手の甲に触れた。
少しかゆかった。でも嬉しかった。

自分という存在がこの世界に存在している、という事実を確認できたから。
こんな形で生を実感するとは思っていなかったが。


俺には居場所がない。
正しくは、居場所があると思えていない。

家族に友人、会社の同僚、恋人だっている。
仕事もある程度はこなせていると思う。
だけど、なぜだろうか、中身が空っぽなのだ。

やりたいことなんてあるはずもない。
何のために生きているのかもわからない。
ただただ毎日を惰性で生きている。

この世界に、他人に寿命を譲渡できるシステムがあったなら。
名前も知らない誰かのために、
とっくの昔にこの命を捧げているとさえ思う。

そんなことを考えながら、今日も息をしている。
まるで死ねないから生きている奴隷のようなものだ。


うまく息ができない。
だけど、この息を、自分で止めたいとは思わない。

だれかここから連れ出してくれないかな。
暗くて冷たいこの場所から。
オレだって眩しい世界で生きてみたい。

泳ぎ方を知らないオレに、泳ぎ方を教えてよ。
ほんとは、どこまでも遠く、
自分の力で泳いでいけるようになりたいんだよ。


。。。

らしくないことを考えてしまった、変だな。
少し、休もうか。

ちょっとだけ心が軽くなった気がしたけど、それに気づきたくなかった。
外に希望を持ちかけるのは、これで最後にしよう。
裏切られるのは、もうこりごりだもんな。

心の重りを取り戻した俺は、しっかり意識をして、瞼を下した。


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